ひとこと日記
 

4月6日(火)
 ニュースでは新党がどうとか言ってるが、その新党の政策がまるで伝わってこない。真っ先にそれを語るべきじゃないの? たとえそれが建前でも。
 自民党の連中は相変わらず頭が固い。が、それを抜けてくる連中の頭もガチガチで新味がない。これでは沈没しそうな船から逃げ出したネズミと言われても仕方ない。

同日・夜
 ここ数年で瞬く間にネット上にあふれ返るようになった「Twitter」。だが私の肌には合いそうもない。
 本来日本人は言葉の省略が得意だ。私も日本語をうまく使いこなしたい。なるだけ言葉少なに気持ちを伝えたい。だがネットで気持ちを伝えるのは常に誤解との戦いだ。そうならないよう必要最小限の言葉を尽くして書くように心がけてるつもりだ。たとえ文章として冗長になっても。
 Twitterには舌足らずな印象が拭えない。伝えたいだけの情報量が足りない気がする。他の人の書いてるTwitterを読んでもただの書きなぐりにしか見えない。はっきり言おう。今まで「使うに足る」と思える値打ちのある使い方をしてる人を見たことがない。
 今のところTwitterには情報伝達能力を感じないし、といって俳句や短歌のようなセンスも感じない。私がもう古い世代に属するからか? それとも何か根本的に思い違いをしているのか?
 ともあれグーグルで検索した先がTwitterでがっかりすることの多い今日このごろだ。

4月13日(火)
 随分間を置いて健康診断の結果に従い診察に行った。4月から明細書がより明細になるとのことでちょっとどうなるか楽しみだったのだが…
 正直、見てもよく分からん。もっと正直に言うと、全く分からん。

4月18日(日)
 NHKのBS-hiでやってた中村芝翫の番組を見た。
 最後に歌舞伎を見たのが芝翫一世一代の道成寺。あれからもう何年たっただろう。また見に行きたい。そうだな、3年後の歌舞伎座再建後のこけら落としの時とか。
 その時も芝翫の元気な芝居が見れますように。

4月20日(火)
 同じくBS-hiで、過去の歌舞伎座公演の特集。「忠臣蔵」九段目「山科閑居の場」を見た。
 芝翫の演じる戸無瀬に注目して見ていた。もう10年近く芝翫の芝居を見ていない。もう年だし衰えは隠せまいと思っていたのだが… とんでもなかった。「うまい」を通り越して「すごい」。演技していない時でも、ただ立っているのを見ているだけでもため息が出る。役になりきっているのでどこにも隙がない。
 幸いにして六代目歌右衛門の芝居を見たことがある。うまいなどという生易しいものではなかった。江戸の芝居を演じるのではなく観客を芝居小屋ごとタイムスリップしてしまう力をもっていた。芝居を見ているのではなく登場人物と同じ場所に居合わせ歴史を目の当たりに見てしまうような、有無をも言わせぬリアリティをもっていた。たとえ昔言葉がわからなくてもその人の状況や気持ちが伝わってくるそら恐ろしい迫力をもっていた。
 それに並んだとは言わない。だが今の芝翫は限りなく歌右衛門の境地に近づいていると感じた。ほかの演者たちの古めかしい言葉が耳に届かぬのとは対照的に芝翫のセリフは母が精根込めてこしらえたおかゆのように五臓に染みていく。
 TVでの歌舞伎鑑賞は退屈なものだ。ともすればチャンネルを変えたくなる。そんな気持ちが一切起きない名演だった。齢八十を超えてなお精進を続ける芝翫に尊敬の念を禁じ得ない。
 芝翫を好きになってよかった。そしてますます好きになった。

4月24日(土)
 今流行りのLED。私はこのデバイスが大好きだ。自作アンプにも欠かせないし、手作りでLED20個搭載のライトを作ったこともある。
 そのくらい大好きだから家の電球にもLEDを使いたかったが、家電店に行ってもLED電球なんか置いてなかった。それが1年前のことだ。
 それからわずか半年でLED電球は当たり前になった。
 いい時代になった… といいたいのだが、今になって疑問を感じてる。

 LEDは物理的に適性電圧が決まっている。色によって違うが主流の白色LEDの場合せいぜい3.5〜3.6Vってとこだろう。
 いっぽうコンセントから供給される電圧は100V。従来の白熱電球をとりつける金具に来てる電圧も同じだ。
 しかもLEDに必要なのは直流だが、コンセントは交流。
 交流の100Vを直流の3.5Vに変換しないといけない。
 もちろん可能だ。しかしロスが出る。
 個人的な経験では、そのロスがけっこうシャレにならない。
 アンプ作りで適当な電圧の電気をてっとり早く作る際、「DC-DCコンバータ」というものを使う。お手軽な反面、発熱がすごい。大電流を扱うなら放熱板が欠かせない。
 パソコンの自作に詳しい人なら「VRM」という言葉を知ってるかもしれない。これもマザーボード上で電圧の変換をするためのもので、同様に発熱を伴う。高級なマザーボードにはこの部分に放熱板がついているのはご存じだと思う。
 それと同じような仕組みが今のLED電球にも必要なはずなのだ。
 中身はどうなってるのか知らないし、最新の技術を使ってるのは間違いないだろう。しかし写真で見る限りLED電球の根っこに見える「ひだひだ」。あれはどうみても放熱板だ。電力のロスがあると考えて間違いない。

 たしかにLED電球は白熱灯より省エネだろう。しかし未だ過渡期の技術だと思わざるを得ない。LEDの性能そのものより、そこに電気を送るシステムに問題が残っている。LEDをスマートに使うなら低電圧の直流で動かすべきなのだ。白熱球の口金にそのままポン付けするのは無理がある。
 現在企業が盛んに宣伝してLED電球の購買を煽っているのは、「いい物を売りたい」というより(いつものことだが)たんに売り上げを伸ばしたい、シェアを獲りたいという意味合いが強い気がする。本当にエコを謳うなら今のシステムの欠陥を放置していては意味が薄い。圧倒的な長寿命という宣伝も、電圧変換部の信頼性を考えると少々あやしく思える。

 交流駆動のLEDもすでに開発されているらしい。技術的なことは詳しく知らないが。大事なことはエネルギーを無駄なく使うという気持ちを大事にした物づくりを進めてほしいということだ。素人考えだが太陽電池(直流を発電し、電圧は可変)とLEDは相性がいいと思うので、そういうのと組み合わせ、将来的には家庭内でAC(交流)とDC(直流)が手軽に使い分けられるよう配電の仕組みを変えていくのがいいのではないかと思う。

 ともあれ、今作ってるLED電球が大量の粗大ゴミになりませんように。


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