憧れの真空管編

 憧れのアルテック(安物だけど)を買って大満足の私でしたが、ある意味それ以上に欲しいものがありました。
 真空管アンプです。
 なにしろ真空管の音なんて一度も聴いた事がありません。どんなものなのか、ぜひ聴いてみたい。
 以前、ネット情報を頼りに見よう見まねの自作を試みた事があります(6BM8を使った超3結アンプ)が、見事に玉砕。もくもくと煙をあげる電源トランスはあたかも私に「お前に真空管はまだ早い、早い、10年早いよ〜」と語りかけているようでした。
 でも、あきらめきれません。自作が無理ならお手軽キットに頼ろう!

 初心者むけ真空管アンプキットといえば、なんといってもコレですよね!

 エレキットの定番キット「TU−870」。2万円を切る価格で真空管の音が楽しめます(動けば、だけど)。

 ちっちゃなころ家にあったテレビの中を覗き込んだら、こんな奴が何本も林立してぼや〜っと輝いていた… そんなかすかな記憶だけが私の真空管体験のすべて。21世紀の今改めて眺めると、なんて美しいんでしょう真空管って。これで音が出ればもっと嬉しいんだけど。

 IC使った電池アンプしか作った事がないので、キットの中身は見なれぬ部品のオンパレード。これは電源トランス。デカくて重い。100ボルト、200ボルトを扱うのは正直こわいです。ICアンプの時みたいに「わ、やってしもた」では済まないでしょう。


 トランス以外のほとんどすべての部品はこの基盤一枚に納まります。
 左端に見える緑色のボリュームがどうにも貧弱で気に入らないのですが、まずは正常に鳴らす事が先決。全てマニュアル通りやってみました。手持ちのコンデンサを増設(右端手前の大きなやつ)したのが唯一オリジナルと違う部分です。

 買ってきたその日の晩に4時間かかって制作終了。
 期待と不安に震えおののきながら、スイッチON! 高圧回路を扱ってるぶん、こっちの心臓もバクバクです。

 ちゃんと動きました。まずはひと安心。
 壊れてもいいスピーカーで動作確認をしたうえで、いよいよ本命のスピーカーとご対面。

スピーカーケーブルがエナメル線なのはご愛嬌

 アルテックのスピーカーと真空管アンプ。アンティークなサブシステムのできあがり。
 アンプ正面の化粧板はスピーカーとお揃いのものを作ってみました。

 

 音の事はうまく表現できません。でもこれを作り終えたのが夜12時でそのあと3時すぎまでずっと聞き入ってました。
 ずっと聴き続けていたい、そんな不思議な魅力を持ったアンプ & スピーカーです。

 あと、これ作って改めて思いました。やっぱり初心者はキットに限ります。
 以前自作した管球アンプの失敗の理由を自分なりに考えてみたのですが、「高い電圧がかかるから」とむやみに太い線を使って真空管まわりの狭い配線をますます窮屈にしてしまったのが敗因のひとつかもしれません。電流が少ない部分なら細い線でも大丈夫なんですね。キットを作りながらそんな事にも気づかされました。どの部分にどのくらいの電流/電圧がかかるのか… そういうのがわかればアンプ作りも面白くなるでしょう。というわけで修行は続きます。

今日の一枚

『梯剛之プレイズ・モーツァルト』

 モーツァルトは聴くには優しく、弾くには難しい。弾けるわけでもないのにそう思う。確信といっていい。演奏を聴けばわかる。どんなささいなミスタッチもモーツァルトの場合、致命傷になりかねない。キーをミスるならまだマシで、ただの一音でも荒っぽい下品な音を出そうものならそれは破局だ。それほどモーツァルトの曲は繊細で上品なのだ。
 元々の天才がさらなる純粋な音楽を求めて音譜を切り詰め切り詰め、晩年にいたりエッセンスだけの曲を作り上げてしまった。無駄な音など何ひとつないのはもちろん、驚くほど少ない音譜ひとつひとつに計り知れない重みがある。こんなのを演奏する人はまるで綱渡りをしてるようなものだ。だからこそ多くの音楽家はリスナーとしてモーツァルトの音楽を慕いつつも演奏家として彼を敬い、そして恐れてさえいる… 私はモーツァルトと演奏家にたいしてそのような思いを描いていた。梯剛之に出会うまでは。

 梯剛之(かけはしたけし)。彼の演奏をFMで初めて聴いた時はちょっとした衝撃だった。どう表現していいか分からなかったが妙に心にひっかかった。とにかく名前だけは忘れずに覚えておいた。そしてこのCDを見つけた。
 モーツァルトの曲は、いってみれば天使の音楽だ。少なくともピアノ曲のほとんどは。優しく美しく純粋で、だから弾く人も自分の美しくよい部分を、せいいっぱいの自分を出そうとしている。少なくとも自分にはそう見える。だのにこのにいちゃんときたらモーツァルトで喜怒哀楽の全てを表現している。モーツァルトの、ではない。自分の感情をだ。崇高な彼の曲を私物化しやがってるのだ。感情の赴くままに鍵盤をぶっ叩き、床がぬけるんじゃないかというくらいペダルをふんずける。モーツァルトの演奏としては〇点だ。それ以前にこんなのモーツァルトじゃない!
 …はずなのだ。なのに不思議と、どこまでもモーツァルトなのだ。過去にモーツァルト弾きと言われたどの名人にも似ていない。こんなモーツァルトは聴いたことがない。自分の感情を全てさらけだしてなおモーツァルトであり続ける。そんな演奏が可能だとしたら、それはモーツァルト本人しかありえない。
 これは才能などという生易しいものではない。天から授けられた力だ。外野から眺めてるヤジ馬からはそうとしか見えない。そういう希有な演奏家をもう一人だけ知っている。ベートーヴェンを振る時のフルトヴェングラーだ。本当に、比較できる人がそれくらいしかいない。グールドがバッハを弾く時でさえ少しは遠慮というものがあったというのに。
 というわけでここまで語れば十分だろう。奇跡が今、日本で起きているのだ。

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