〜アドバンスド・ワールド・ペンティアム少女ドラマ〜
『アキバ大パニック!』その4
――夕闇の戦闘ファイルの巻――

 前回までのあらすじ

 敵の要衝トブルクを完全に包囲した我が軍は、その主力をさらに東方に進撃させ、激戦の末、国境のハルファヤ峠を制圧した。だが敗戦続きのイギリス軍が、この事態を指をくわえてただ見ているとは到底思えない。敵の反撃は必至であろう。
 戦いはまだ、始まったばかりであった……


 ――機上から見る砂漠はおだやかで美しくさえあった。そして左手はるか彼方に広がる地中海――
 私はしばし任務さえ忘れて、砂と海とそして夕日の織りなす自然の造形に見入っていた。眼下に広がるこの美しい大地で、砂つぶ同然の人間たちが生きるために苦闘し、いやそれどころか寸土を巡って血みどろの争いを繰り広げているのが、まるで遠い世界の事のように思われるのだった。
「閣下」
 パイロットにうながされ後方を振り向くと、かなたに一機の友軍機の姿があった。それは夕日の中から忽然と姿を現し、徐々に我々に近づいて来た。
「どこの所属だろう」
「わかりません」
 西日が我々を邪魔していた。ここは戦闘空域ではない。護衛を頼んだわけでもない。どういうわけだろう。なぜこんなに胸騒ぎがするのだ。その理由はすぐに分かった。目ではなく、耳がその理由を伝えてきた。
 あのいまいましいエンジン音。ロールスロイス・マリーンエンジン!
「急降下します!」
 私が気づくより数瞬早く、パイロットは操縦桿を倒していた。もはや私にもイギリス軍機の国籍標識がはっきりとみてとれた。ハリケーン! なぜだ。ここは我が軍の制空権内のはずだ。だが戦場にまさかはつきものだ。参謀の勧めに従って護衛機をつけなかった事を、私はいまさらながら悔やんだがどうしようもなかった。無防備のシュトルヒ観測機と敵の新鋭戦闘機では、結果は日を見るよりも明らかだった。
 敵機はみるみる距離を縮めてきた。じっくりとひきつけて一撃で決めるつもりだ。もはや必勝の余裕が、撃たれる側の我々にも伝わってきた。
 地上では名将と讃えられたこの私が、空に死すとは… 私は目を閉じ、静かに運命を待った。
 機関銃の斉射音に、覚悟していたはずの自分の体がビクンと震えた。だがそれだけだった。起こるはずの破滅は起きなかった。私は目を開け、あたりを見回した。
 スローモーションのように、ハリケーンの機体がばらばらになっていくさまが見てとれた。エンジンは火を噴き、主翼がもげ、もんどりうって、そうして地上に落ちていった。
 そしていつの間に現れたのか、ハリケーンの後ろにもう一機の戦闘機の姿があった。メッサーシュミットBf109F。我々を救ってくれたその頼もしい機体は、沈みゆく日の光を受けて神々しく輝いていた。
 速度を落とし、ゆっくりと我々に並びかけたそのメッサーのキャノピーが開き、パイロットが私に敬礼した。私はそのパイロットを知っていた。長い、長いその髪が夕日になびいていた。その優しい口許がかすかに微笑んでいた。
 眼下に白いパラシュートが広がった。私を仕留め損なった英軍パイロットのその無念さがあだ花となって、地中海に大輪を咲かせていた。
 ここは戦場というには、あまりに天国に近かった。

 砂が一面を覆う飛行場に、メッサーが我々に続いて着陸した。
 私はコクピットを降りてきたばかりのパイロットを出迎えた。
「君には助けられてばかりだ」
「お怪我がなくてなによりです、閣下」
 小麦色に日焼けした顔に笑みがこぼれる。彼女こそケッセルリンク元帥の秘蔵っ子、アフリカの女豹と異名をとるラナちゃん中尉その人だった。
「元帥もお困りだろう。なにしろ君のためにまた本国から勲章を取り寄せねばならん」
「恐縮です」
 二人は固く握手を交わした。
「だがそれまで待たせるのも気がひける…」
 私はお気に入りのゴーグルを彼女に渡した。
「私からの感謝の気持ちだ。受け取ってくれたまえ」
「え、いいんですか!? ありがとうございます旦那」
「あ〜っ」
 僕はプ〜ッ、とふくれた。
「駄目じゃないラナちゃん。今日は最後までなりきりっこしようねって、言ったのに」
「あ、そうでした! ごめんなさい旦那ぁ」
「旦那、じゃなくて、閣下」
「はい、閣下」
「よろしい」
 その時、メッサーの無線の音が聞こえた。不審顔で中尉は無線を取る。
「…閣下、上級司令部より通信が入っています」
 どういう事だ。上級司令部から、航空無線だと!? 非常識にもほどがある。いったい司令部ではどういう教育を施してるんだ。ここはきつく、言ってやらねばならん。
 私は無線をとった。
「ああ。こちら『砂漠の狼』」
「こら、誰が『砂漠の狼』や誰が」
 無線の向こうで、礼儀知らずな女の声が聞こえる。
「無礼な。口の聞き方に気をつけたまえ… 君の官姓名は?」
「あほ。うちやうち。そんなんも分からんのかいな」
「む。さては貴様、レジスタンスの一味だな。ドゴールの手先め」
「…あんたいっぺん、しばいたろか」
 横で見ていたラナちゃんがこらえきれず、プッ、と吹き出す。
「旦那、もうやめましょう。『大○略』ごっこ」
「ちぇっ」
 マーガりんめ。せっかくラナちゃんと、いい調子だったのになあ。

「あ〜っ、ラナりんのお茶、おいしいわあ」
「いつもながら同感だね」
「わあ、ありがとうございます」
 人間の僕とペンティアム少女のラナちゃん、そしてバーチャル・ペンティアム妖精のマーガりんの三人が輪になってお茶している姿は、ちょっと妙だった。もっともマーガりんの場合はお茶してるといっても、ラナちゃんがデスクトップ上に特別に作ってあげたバーチャルちゃぶ台で、バーチャル急須からバーチャル湯飲みに注いでもらったバーチャルお茶を飲んでるわけだが。
「それにしても旦那、こんなええ天気の日に家で大○略かいな」
「…お前に旦那呼ばわりされると、無性に腹が立つぞ」
 それにマーガりんが言うと、なんか『旦那』という言葉の意味が違う気がするぞ。
「そうか、しゃ〜ないなあ。ほんなら、『リョウちゃん』」
「…どっちみちむかつく」
「まあまあ」
 とりなし役はラナちゃんだ。
「かわいらしゅうて、ええ名前やないの。なあリョウちゃん。顔に似合わんけど」
「……」
「まあまあ」
「そやけどあれやな。『砂漠の狼』はないわな。リョウちゃんやったら、そうやなあ。せいぜい『鳥取砂丘のらくだ』ゆうとこかなあ」
「…お前なあ、わざわざそんなごたく並べに来たのか」
「まあまあ」
「だいたいマーガりん。ホームページが自分から電話かけて押しかけてくるか普通。非常識だろうが」
 まったく。究極のモバイル端末のラナちゃんに通信手段がないのはあまりにもったいないと、このあいだ奮発してPHSを買ったのだが、それ以来こいつが入りびたりなのだ。これも一種のサイバーストーカーかもしれない。
「まあええやないの。細かいことは気にせんと」
「そうそう。せっかく来てくれたお客さんなんだから。ねえマーガりん」
「なあラナりん」
 ラナちゃんは可愛くてほんとにいい子だけど、友達選びだけは駄目なようだな。
「そうそう、忘れてた。今日はちゃんと用事があったんや」
「用事?」
「そや。ご主人様からのメッセージを伝えに来たんや」
「小林さんからの?」
「うん」
「…だったらなんで小林が直接電話してこないんだ?」
「まあまあ、細かいことはええやないの。とにかく今日はうち、ご主人様のメッセンジャーRNAっちゅうわけや」
「ひとこと多いんだよ。このバクテリオファージが」
「…もう、どうして二人とも仲良くできないの」
 ラナちゃんがあきれて言う。
「分かってないなあラナりん。『喧嘩するほど仲がええ』。な、リョウちゃん!?」
「なんだ、そうだったんだ。よかったあ」
 …もう、好きにしてくれ。
「ほな、ご主人様からのメッセージを伝えるさかい、心して聞いてや」
 マーガりんは自分の傍らに小さな仮想ディスプレイを取り出し、そのスイッチを入れた。社長席のような肘掛け椅子に座った小林がわざとらしくこちらを振り向く。
「おはよう、北原くん…」
 思わせぶりな口調だった。小林め、このへんてこな映像を見せたいがためにわざわざマーガりんに伝令を頼んだのか。凝った作りなのはわかるが趣味が悪いぞ小林。まさにこの親にしてこの子あり、だ。
「北原くん、喜びたまえ。遂に○×女子大との合同コンパが本決まりになった」
 ブッ、と僕は思わず吹き出しそうになった。
「その念願の合コンの日取りはなんと! 明日の日曜午後5時だ。この日を誰よりも待ちわびていた北原君、君にいち早く! この知らせを伝えたくて、私は秘密のルートを使ってこの秘密情報を送る…」
 秘密情報だかなんだか知らないが、メッセンジャーがこのおしゃべり妖精じゃ、なんの意味もないだろうが!
「…ここだけの話だが、今回の女性参加者は、お嬢様学校の誉れ高い○×女子の中でも選りすぐりの美女ばかり。不肖、私と松井が厳選した。無論、貴殿のお好みの『巨乳』! タイプの美女も多数、取りそろえている事はいうまでもない。だが今の話、くれぐれもラナちゃんには内密に…」
 何が内密に、だ! マーガりん経由でこんな情報伝えたら、ラナちゃんにバレバレなのが分からんのかこのあほう!!
「そこで君の使命だが… 北原! お前、この前んときみたいにだら〜しない格好で来て、お前だけやのうてみんなに恥かかせたん、忘れてないやろな! お前今回は正装で来い正装で! そいで髪もビシィッ! と決めてやな、ちゃ〜んと風呂入って体ピカピカにして来い! ええな!!」
 …こいつ、ひとを子供あつかいしやがって。ま、実際その通りなんだが。
「なお、分かっていると思うがこの録画は自動的に消滅する。では互いの健闘を祈る」
 仮想ディスプレイはモクモク… と煙をあげて消えてしまった。
「どや」
 マーガりんが尋ねてくる。
「もう嬉しゅうて涙出そうなええ話やったやろ?」
「まったく」
 僕は放心状態だった。悲しくて涙が出そうだった。
 なんでよりにもよってこんな情報、ラナちゃんの目の前で流すんだよ。誰が待ちわびてたって? 誰が巨乳好みだって? その通りじゃないか! だから困るんだよ!僕はもう、ラナちゃんに合わせる顔もなかった。
「…旦那」
 来た、来た、来た! 破滅が来る、破滅が来る!
「旦那ぁ…」
「は、はい〜っ」
 僕はめんどりのような声で答えた。
「はい、あ、あの、その、それはですねラナちゃん。これはもう全く誤解というかなんというか、すべてこれ、小林君のジョークというやつではい」
 僕は無意味に卑屈に答えた。
「旦那… ひとつ質問していいですか」
「は、はい〜〜っ! な、なんなりと」
 ラナちゃんは、きょとんとした顔で尋ねた。
「旦那、『こんぱ』って何ですか?」
「へ!?」
 今度は僕がきょとん、とする番だった。
「…ラナちゃん、知らないの?」
「はい」
 や、やった! 天は僕を見捨てなかった! まだチャンスはある!
「なんや、そんな事も知らんのかいな」
 げ、まだいたのかマーガりん!
「知らんのやったら、うちが教えたるわ」
「マ、マーガりん! 余計な事を!!」
「…何が余計なんです? 旦那」
「い、いえ何も」
「ラナりん、『コンパ』っていうのはやな、男の子と女の子のグループが集まって…」
「うんうん、集まって…」
 ああ、駄目だ。やっぱり破滅だ。
「そいで自分らで描いた漫画を売ったり買ったりするんや」
「へー、そうなんだ」
 僕はガックリと倒れた。
「ちょうどご主人様も、今頃ノリりんと晴海にコンパに行ってるとこや」
「法子さんと? いいなあ」
 …こいつ、マジで言ってるなどうやら。

 さんざん騒いだマーガりんがやっと帰ったら、今度はラナちゃんが、
「ねえねえ」
「駄目だよ」
「何がですか?」
「コンパには連れてかないよ」
「なんで分かったんです!?」
 ラナちゃんはびっくり仰天だ。
「ふっふっ… ペンティアムの分岐予測も凄いが、人間の頭脳だって負けてはいないのだよ」
「ねえ、だんなあ」
「だあめ」
「なんで?」
 僕は怖い顔をして言った。
「ラナちゃん。『コンパ』っていうのは、とっても危ないところなんだよ」
「え、そうなんですか」
 確かに考えようによっては危ない所だ。特に女の子にとっては。
「何がどう危ないんですか」
「それはだね…」
 僕は嘘は苦手なのだが、本当の事を言うとかえってラナちゃんを傷つけると思い、不本意ながらでまかせを言った。
「コンパに来たものはそこでおのれの勇気と力を試される。まずは腕立て100回に腹筋100回。おまけに苦〜いお茶を飲まされてそのうえバリウムまで飲まされるんだ。そしてなんと根性焼きを10個も食わされる」
「ふ〜ん…」
「それだけじゃない。体力だけじゃなくて頭脳も試されるのだ。まずはかき氷10杯。頭の弱い人間はここでダウンだ」
「そうなんだ…」
「だからそんな危険な所へラナちゃんを行かせるわけにはいかない。ここは僕一人で行くよ」
「…分かりました。旦那一人で行ってきて下さい。私、かげながら応援してます」
「ありがとうラナちゃん」
「いい子見つかるといいですね」
「うんそうだね… って。えっ!?」
ラナちゃんはペロッ、と舌を出した。
「あ〜っ! ラナちゃん、知ってたの?」
「はい。ごめんなさい」
 ラナちゃんはくすくす笑った。
「だって旦那、からかうと面白いんだもの」
「そうなんだ…」
 僕はかえってホッとした。
「…ごめんねラナちゃん、騙したりして」
「旦那の嘘に騙される人なんかいませんよ」
 …またしてもパソコンにいいようにあしらわれてる僕。
「でもラナちゃん…」
「はい?」
「ラナちゃんは、僕がコンパに行く、って言っても、止めないの?」
「止めませんよ」
「どうして」
「どうして、って言われても…」
 ラナちゃんがやきもちやいてくれないと、それはそれで悲しいものがあるな。ああ人間って、なんて欲張りなんだ。
「だって旦那が女の子と仲良くなって幸せになれれば、いうことなしじゃないですか」
「でも、ラナちゃんはどうするの?」
「そうですねえ…」
 ラナちゃんは唇にひとさし指をあてて考える。
「山奥に小屋でも借りて、山菜取りでもして暮らしますか」
「僕、そんなのやだ。ラナちゃんにも幸せになってほしい」
「私の幸せは、旦那が幸せになる事ですから」
 ラナちゃんはにっこりする。
「旦那が私の事、喜ばせてくれるつもりでしたら、早く孫の顔見せて下さいね」
 …そりゃまた随分気の早い。
 と、その時聞こえてくるスリッパの音!
 ズザザザザザ…
「北原ぁ〜〜っ!!」
「あ〜っ、先輩!」
「先輩さん」
 先輩は入ってくるやいなや、僕ににじりよった。
「北原〜っ!」
「は、はい!?」
「北原君、君はラナ君というステディがいながら、コンパだと? コンパだと!?」
「い、いや別にステディという訳では…」
「北原ぁ〜〜〜っ!!!!」
「はい〜〜〜っ!」
「君は何も心配しなくていい。私が君の代わりに行ってあげよう」
 そりゃ心配だ。
「先輩さん、確か…」
 ラナちゃんがお茶を出しながら先輩に尋ねる。
「明日は仕事が徹夜になるから、今日は静かに寝かせといてくれって、そう言ってませんでしたっけ」
「なに、何の事かな? 私は知らんぞ。ラナ君、そりゃ人違いだろう。はははは…」
「いえ、昨日の私の記憶が確かまだWAVデータで残ってますから、それ再生すればすぐ分かりますけど…」
「あ、あああ! 忘れていた。夕べは仕事疲れですっかり記憶が混乱していたようだ。私とした事が、ははは、はははは… ああなんだか夕べの疲れが今になって。うう眠い。悪いが寝かせてもらおう… ぐうぐう…」
 先輩はまたまた所構わず眠りについてしまった。
「しかしバタンキューもここまで来ると、名人芸だね」
「…先輩さんって、ひょっとして会社でも、端末の前でおねんねしてるんじゃ…」
「あ、ラナちゃん! それ言っちゃ…」
「あああああ!」
 一度寝たら絶対に起きないはずの先輩が、その一言に飛び起きた。
「あああああ!」
「せ、先輩!」
「せ、先輩さん、私、私…」
「あああ! 嫌いだ、ラナ君なんか、北原君も、青い空も、白い雲も、雲形定規も、テンプレートも、フローチャートも、コーディングも、デバッグも、ファイルダンプも、トナー交換もニューメリックチェックも進捗会議もゼロデバイドも夜間バッチもサブスキーマも結合テストもアイデンティフィケーションディビジョンもパックドデシマルもJCLエラーも0C7も、みんなみんな、大嫌いだあ〜〜っ!!」
 そういって先輩はダッ、と駆けだしていった。
「せ、先輩〜っ!」
 先輩はどこかへ消えていった。ラナちゃんの一言が、先輩の触れてはいけない心の琴線に触れてしまったようだ。
「だ、旦那。どうしましょう。私、私…」
「大丈夫だよラナちゃん。タフな先輩の事だから、きっとすぐ元気になるさ」
「はい…」
 だがその日、とうとう先輩は戻ってこなかった……

 僕はコンパに行こうかどうしようか、迷っていた。
 いいわけになるのを承知で言わせてもらおう。僕がこのコンパに燃えていたのは事実だ。だけどこの話は随分前からくすぶっていて、その間に僕の事情が変わってしまった。つまり僕には理想の彼女ができてしまったのだ。確かに胸は控えめだけど。
 僕はラナちゃんの事、大好きだ。だけどラナちゃんは人間じゃない。僕はどうしたらいいのだろう。誰かとつきあいながらラナちゃんと一緒に暮らすなんて、できるだろうか。それってやっぱりふたまたかけてることになるのだろうか。そもそもラナちゃん以上に誰かの事、好きになれるだろうか。
 ラナちゃんは、僕がコンパに行ったほうがいいと言った。僕はラナちゃんの言ってる事の意味がわかる気がする。でもそう言ってくれるラナちゃんは、いったいどんな気持ちなんだろう。
 こんなに近くにいながら、肝心な所で、僕はたまにラナちゃんが何を考えてるのかさっぱり分からない事がある。それがやっぱり人間とパソコンの違いなんだろうか。ラナちゃんの本心が知りたい。だけどそもそもパソコンに『心』なんてあるのだろうか。あるとしたら、それはもうパソコンではなくて人間なんじゃないだろうか。
 考えれば考えるほど、分からなくなってきた。分からないのでとりあえず銭湯に行くことにした。お風呂で心も体もすっきりしたら、きっといい考えも浮かぶだろう。
 ラナちゃんが玄関までお見送りしてくれた。
「じゃ、行ってくるね」
「いってらっしゃい」
「……」
「いってらっしゃい」
「…」
「…行かないんですか」
「ラナちゃん」
 ぼくはその時、不意に思いたった。
「ラナちゃん、銭湯行ったことないだろ」
「はい。だって私、パソコンですから」
「ねえ、ラナちゃんも一緒に行こうよ」
「え。一緒に、ですか」
 ラナちゃんはポッ、と頬を赤らめた。なんかすごい勘違いしてるようだ。
「あ、でもひょっとしてラナちゃん、お風呂入れないんだっけ。だったらゴメンね」
「ううん」
 ラナちゃんは首を振る。
「私、普通のパソコンと違ってペンティアム少女ですから。一応生活用防水くらいはありますから、普通に生活するぶんには大丈夫だと思います。多分」
 本人がそういうんなら大丈夫だろう。多分。
「じゃあさ、行こうよ、たまにはさ」
「ええ、でも…」
 なんかラナちゃんは気乗りしない様子だ。
「ほら、前に僕がラナちゃんにコーヒーこぼしちゃった事あったじゃない」
「ああ、まだ私が普通のパソコンだった頃…」
「うん、キーボードと本体びっちょりにしちゃって… あの時はごめんね」
「ううん。旦那、一生懸命になって私の事、拭いてくれましたから」
 ラナちゃんは当時を振り返りながら言った。
「それはもう丁寧に、異様な目つきで、上から下までねぶるように… そして歯形がつくほどきつく私の事を…」
「あの時は必死だったからね」
「だからおかげさまでもうすっかり綺麗です」
「いやいや。まだ汚れが残ってるかもだよ。やっぱり一度綺麗にしたほうがいいよ」
「でも…」
「じゃあ分かった。僕がもう一度ラナちゃんの事ふきふきしてあげよう」
 僕は異様な目つきで言った。
「それはもう丁寧に、上から下までねぶるように… そして歯形がつくほど君の事を…」
「私、銭湯に行きます」
 ラナちゃんはきっぱりと言った。

 既に日は西に傾いていた。僕とラナちゃんは腕を組んで歩いた。
「なんだ、私てっきりすっかり旦那と一緒に入るんだとばかり」
「ははは… 一緒でもよかった?」
「やだ、旦那」
 いつもはおしゃれなラナちゃんがこうやって洗面器持って、僕の健康サンダルつっかけてるのを見てると、一緒に生活してるんだなって実感が沸いてきて、なんだかくすぐったい感じだった。
「ああラナちゃん。そっちじゃないよ」
「え!? だってここは…」
「いいから」
 僕は塀の割れ目をくぐって中に入り、ラナちゃんの手を引いた。
「ほら、ここの空き地通ったほうが全然近いんだ。ね」
「ほんとだ」
 ラナちゃんもうきうきしてる。
「なんか、冒険に来たみたい」
 なんとも安上がりな冒険ではある。
「それにしても… お金がなくて銭湯もおちおち行けないなんて、20世紀末の日本に僕みたいな人間がいていいのだろうか」
「旦那が貧乏なのは認めますけど…」
 ラナちゃんは同情の余地なし、という表情で僕を見る。
「お金がないのにCD−ROMを買う旦那にも問題があると思います」
「だってえ。あれ欲しかったんだよ〜。あの壁紙ぃ〜」
「はいはい」
「ラナちゃんだってあれ見て『かわいい』って言ったじゃない」
「はいはい」
「ね、ね、可愛いだろ。きゃる〜ん、て。きゃる〜ん」
「…旦那が言っても可愛くありません」
「きゃ、きゃる〜ん……」
 そんなこんな言ってるうちに僕らは銭湯についた。なんの事はない。僕んちと銭湯は、抜け道を使えば目と鼻状態なのだ。
「あれ、みんなあんまり洗面器持ってきてませんね」
「だから言っただろ。銭湯に用意してあるから、持ってこなくてもいいって」
「でも、どうせ銭湯に来るならやっぱりそれらしい格好でこないと、ね」
「まあそうだね」
 僕はそういってなにげにラナちゃんの洗面器を見てギョッ、とした。
「どうしたんです旦那」
「い、いやなんでもない」
 OAクリーナーにOAクロスにOAブラシ… いいのかなあ、こんなの銭湯に持ち込んで。まあ、なるようになるか、うん。
 僕とラナちゃんは『ゆ』と書かれたおなじみののれんをくぐって中に入った。
「じゃ、僕はこっちでラナちゃんはむこうね」
「じゃ旦那、7時にここで」
「うん。あんまり長くつかってちゃ駄目だよ。のぼせちゃうから」
「は〜い」
「それから、あんまり早くあがっても駄目だよ。湯冷めしちゃうから」
「は〜い」
 ラナちゃんはにっこりする。
「ありがとう旦那、心配してくれて」
「だってラナちゃん、銭湯始めてだもんね」
「旦那、やさしい…」
「そう?」
「ふふふ…」
「ははは…」
「えしぇしぇしぇしぇ!」
「うわ〜っ!!」
 しまった、ばばあに背後をとられた! 僕は慌てて後ろを振り向いたが、そこにいるはずのラブコメばばあの姿はなかった。
「どこを見ておる」
 その声にはっ、と見上げる番台に、なんとあのラブコメばばあが鎮座ましましているではないか。
「ラ〜ブコ〜メ〜」
 ラブコメばばあはにやり、と笑った。
「ば、ばあちゃん!? あんたなんでここに」
「なんでもへったくれもあるかい。わしゃもう30年もここの番台じゃ」
 ばばあは高らかに言った。
「お前さん、何度もここに来て気づかなんだのか。修行が足らんのお。えしぇしぇ!」
 ええい、いちいち番台のばばあの顔など覚えているものか。こちとら番台の向こうのアナザーワールドが気になってそれどころじゃないんだ。てやんでえべらぼうめ。
 僕は江戸っ子でもないのにそう思った。
「じゃ旦那、行ってきます」
「うん」
 そうしてラナちゃんは、憧れのアナザーワールドに消えていった。

 3日も風呂に入ってないと、髪の毛も一度洗ったくらいでは綺麗にならなくて、僕はシャンプーで何度もワシャワシャと髪の毛と格闘していた。あ〜、でもやっぱり銭湯は気持ちいいや。極楽極楽。世の中には一度も銭湯に行った事ない人も大勢いるだろうけど、ああなんてもったいない事だ。
 ラナちゃんもいまごろ、体を洗ってる最中かなあ。ちゃんとできるかなあ。まず首筋をきれいにして、それから左の肩から左腕、それから右の腕へと移って、それからいよいよ、まだふくらみきっていない胸にその手をそっと…
 ああいかんいかん。変なビデオの見すぎ病だ。それにしてもなぜああいうビデオに出てくるお姉さんは、体を洗う時にタオルを使わないで手で洗うのだろう。謎だ。
 ああまただ、いかんいかん。他の事考えよう他の事。そうだ。最近、パソコンにCCDカメラを付けるのがはやってるけど、あれをラナちゃんに取り付けて銭湯に行ってもらえば、ラナちゃんの見た女湯のすべてがいま明らかに…
 ああいかんいかん。なんでこんな事ばかり考えるんだ僕のばかばかばか。
 僕が自分の煩悩と格闘しているそんな時、なんかあたりがざわざわと騒がしくなった。僕はあたりをきょろきょろと見回した。何か変な事があったようすもない。どうやら、騒がしいのは女湯のほうらしかった。だが壁越しにその異様な雰囲気が伝わってくるほどだった。いったい、何があったのだろう。
「どうしたんだ」
 モップでタイルを洗っていた銭湯のおやじ(ラブコメばばあの旦那?)が、いかにも職務上やむをえない、という顔をして、女湯をのぞきにかかった。ほかの銭湯はどうだか知らないが、ここの銭湯の壁は昔ながらに、男湯と女湯のしきいの上には隙間があるのだ。おやじは洗面台や壁の突起を器用に登り始めた。その素早さが尋常ではない。おやじ!!
 僕はさすがにのぞきをやるわけにもいかず、おやじの動向を見守っていた。ラナちゃんになにかあったのではと心配だったのだ。
 おやじは最初、鼻の下をのばしてにやにやと女湯をのぞいていたが、そのうち顔が青ざめてきた。
「…何か見えます?」
 僕が尋ねるとおやじはただブルブル… と首をふるばかりだった。あぶら汗がしたたり落ちていた。見てはいけないものを見たような顔だった。
 僕はなんだかとても心配になった。

 銭湯の外で、僕はラナちゃんを待っていた。もうすっかり体は冷えてしまっていた。あたりには夕闇が迫っていた。
「あ、ラナちゃん」
 ようやくラナちゃんが出てきた。濡れた髪が色っぽい。
「どうしたの? ずいぶん…」
 それいじょう、言葉が続かなかった。
 顔をあげたラナちゃんは、お葬式の時のような表情をしていた。僕の顔を見て、何か言いたそうにしたが何も言わなかった。そしてとぼとぼと歩き始めた。僕はどうしようもなく、ただ後についていった。
 おしゃべりに夢中のおばさんたちが、僕らを見てササ〜ッ、と道を開けた。僕らはそうやって、無言で銭湯をあとにした。僕が振り返ると、おばさんの一人がラナちゃんの方を横目で見ながら他のおばさんに何か言ってるのが見えた。
 二人して黙って歩きながら、僕は心配でずっとラナちゃんの横顔を見ていた。こんなラナちゃんは始めてだった。
 ラナちゃんが、やがて、ゆっくり僕の方を見た。
「旦那…」
 僕はつとめて明るく答えた。
「なに」
「旦那は… 私のこと、怖くないですか」
「え」
 ラナちゃんはじっと僕を見ている。
「だって私、人間じゃないんですよ」
 僕は笑顔で答えた。
「何いってんのラナちゃん。怖いわけないだろ。ラナちゃんはとっても可愛いよ」
 ラナちゃんは微笑もうとして、それができなかった。
「…さっき、女湯で、なにか言われた?」
 ラナちゃんはうつむき、首をふる。
「…別に」
 と言って、あとは唇をかみしめているばかりだ。
 僕はその時、さっき横目でラナちゃんを見ていたあのおばさんが、何を言ってたのかようやく気づいた。あのおばさんの唇の動き。
『バ・ケ・モ・ノ』
 僕は突然、身体中の血が水銀か何かのように、ドロッと冷たくよどんだように感じた。冷たくよどんでるくせに、ボコボコと煮えたぎり体を逆流していくのを感じた。
 僕は身を翻して、元来たほうに足早に戻っていった。
「旦那」
「あいつら、ぶんなぐって来る」
 感情を抑えてしゃべったつもりだが、声が震えていた。
「旦那、待って」
 ラナちゃんは僕の手をつかんだ。
「相手は女の人よ」
 僕は強引にラナちゃんの手をふりほどいた。
「ぶんなぐらないと気が済まない」
 言い捨てて行こうとする僕の前に、ラナちゃんはツツッと立ちはだかった。そして行く手をふさぐように、僕をぎゅっ、と抱き留めた。
「行かないで!」
 思いがけないくらい強い力に、僕は驚いた。
 ラナちゃんは僕の胸に顔をこすりつけるようにして哀願する。
「怒らないで旦那… みんな私が悪いの」
「…何言ってるの、ラナちゃん」
 ラナちゃんが悪いわけない。そんなわけ絶対にない。
「ううん、私が銭湯に来ちゃったから、だから…」
「そんなの… 無理に連れてきたのは僕だ。ラナちゃんは悪くない」
 ラナちゃんは首を振る。
「あいつらに、ラナちゃんの事あんなふうに言う資格なんかない。あいつらの方がよっぽど化け物だ!」
 ラナちゃんは首をふる。
「私、パソコンだもの。パソコンが人間に迷惑かけちゃ、いけないもの」
 ラナちゃんの言葉に、僕は息がつまった。
「だから旦那、お願いです。私のために誰かを憎んだり、そんな事しないで下さい…」
 僕は拳を握りしめていた。急にはおさまらない感情の昂りが、体の外に吹き出さないようにするのがせいいっぱいで、僕はギュッと目をつぶった。
「お願いします。お願い…」
 ラナちゃんの体はとても温かかった。風呂上がりのせいだからだろう。でもそのせいだけだとは思いたくなかった。
「…わかった」
 僕は拳の力を抜いた。ラナちゃんはぎゅっ、と僕の事を抱きしめてうつむいていた。
「約束する」
 ラナちゃんは、うつむいたまま、コクリと頷いた。
「約束するから、もう泣かないで」
「うん…」
 ラナちゃんはようやく僕の胸から離れて、手で頬をぬぐった。
「…だけどラナちゃん。これだけは覚えといて」
 ラナちゃんは顔をあげて僕を見た。
「他の人がラナちゃんの事どう思っても、僕はラナちゃんの事、世界で一番かわいいと思ってるから」
 涙に濡れた瞳が僕をみつめている。
「これからもずっとだよ」
「…そんな事言われたら、また泣いちゃいます」
 そういってラナちゃんは、また僕の胸に顔をうずめた。
 夕闇がすっかりあたりを包んでいた。僕はラナちゃんの頭をそっと撫でながら、そうやってしばらく立ち尽くしていた。だけどやっぱり男だから、ずっとそういうのって恥ずかしかったので、
「さ、もうそろそろ帰ろう」
 そう言って、ポンとラナちゃんのお尻を叩いた。
「キャッ」
「早く帰んないと、湯冷めしちゃうよ」
「うん…」
「そうだ。帰りに、自販機でコーヒーおごってあげるね」
「本当?」
「うん。いつもラナちゃんにはごちそうになってるから」
「ありがとう旦那」
 そうしてラナちゃんはにっこり笑った。
 そんな感じで、二人で缶コーヒーを飲みながら帰った。帰り道じゅうずっと、僕はラナちゃんに、銭湯とコーヒー牛乳のきってもきれない相関関係について講義した。ラナちゃんは熱心にそれに聞き入っていた……

(続く)


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