〜アドバンスド・ワールド・ペンティアム少女ドラマ〜
『アキバ大パニック!』その5
――空と海とラナちゃんと――

 前回までのあらすじ

 ――第20回大会という記念すべき年を迎えた鈴鹿8時間耐久は、金曜の計時予選こそ滞りなく行われたものの、決勝を控えた26日は台風9号直撃という願ってもないコンディションに恵まれ、走行はおろか、山田池の氾濫決壊、N山の土石流災害すら懸念されるほどであった。
 翌27日、決勝の朝。雨と風の吹きつける悪天候の中、それでもチームのライダーの観衆のそしてレースをささえる人達の、八耐にかける情熱が、コース上に熱く燃えたぎっていたのだった――
(だからそれがどうしたの?)


 役立たずの扇風機はやけくそになって部屋中に熱風をまき散らしていた。
「…だんなぁ」
「…なに?」
「…暑いですね」
「…そうだね」
 僕もラナちゃんも、暑いのはからっきし駄目だった。
「…ラナちゃん」
「…何でしょう?」
「…暑いね」
「…そうですね」
 『暑い』と言ったところでどうなるものでもないけれど、言えば暑さを相手におすそわけできるようなそんな気がして、ラナちゃんと僕とで夏の暑さの御中元合戦を繰り広げていた。水面下の激しいバトルだった。
「…ラナちゃん、本屋かゲーセンにでも涼みに行こうか」
「…もう、みんな閉まっちゃってますよ」
「じゃ、コンビニにアイスB○Xでも買いに行こうか…」
「はあ…」
 だがちゃぶ台の上はすでに空になったアイスB○Xの山だった。
「…でも、こんなに毎日毎日アイスB○X食べるくらいなら、その分お金ためてクーラー買ったほうがいいと思いますけど…」
「クーラーか…」
「クーラーですよ…」
 クーラー。ああ、なんて甘い響きの言葉だ。だがそれは僕には高嶺の花だった。
「…そう、あの時クーラー買っとけばよかったんだ」
「旦那、あの時って?」
「うん… 実は去年の夏、よっぽどクーラー買おうかと思ってたんだ」
 今思えばそれが、クーラーを手に入れる最初で最後のチャンスだった。
「そん時買っちゃえばよかったんですよ」
「だよね…」
「どうせその時もまた無駄づかいしちゃったんでしょ」
「うん。実は…」
「ほら見なさい」
 母親が子供をさとすようにラナちゃんが言う。
「前から言おう言おうと思ってたんですけど、旦那ったらいつもいつも無駄づかいばかりなんですから。もうちょっと計画性持ってもらわないと困ります」
「は、はい…」
 僕は消え入るような声で答えた。
「で、いったい何買っちゃったんです?」
「…パソコン」
「パ、パソコン、ですか」
「そう、パソコン」
「それって、つまり、ひょっとして…」
 ラナちゃんの声がだんだん小さくなっていく。
「はは… そ、そうなんですか。パソコンですか。やだ、旦那が無駄づかいなんて言うから、どんなくだらないもの買ったのかと思ったら、パソコンだったんですか。そうならそうと言って下さいよお、旦那ったらぁ。あは、あは、あはは…」
 手のひらを返したようなラナちゃんの態度だった。
「…でも、無駄づかいには違いないよね。パソコンよりクーラーの方が役に立つもん」
「な、何言ってるんですか旦那。パソコンほど役にたつものなんかありませんって。ワープロ、通信、表計算。家計簿、献立、時刻表。掃除洗濯家事手伝い。こんなに何でもできる製品が、他にあります?」
「でもクーラーがないと、暑くてパソコン使う気にもなれないし…」
「そ、そんなの気の持ちようですってば。心頭滅却すれば火もまた涼し… ね、ね」
「おまけにうちのパソコンは暑がりときてる…」
「あ、あは、あはは… 何おっしゃるんです旦那。実は私、今まで隠してましたけど、ほんとは暑いの大好き少女なんですよ。ほらほら見てみて、いちに、さんしっ!」
「…そうだ。今からでも遅くはないぞ」
 僕は体操を始めたラナちゃんを無視して、手さげ袋の中から雑誌を取り出した。
「あ、旦那。読書ですか」
「…まあね」
「読書はいいですよね。こんな暑い夜は、読書に限ります」
「…まあね」
 愛想笑いのラナちゃんが、僕の肩ごしに雑誌をのぞき込む。
「…で、何読んでるんです?」
「…ソフ○ップの買い取り査定表」
 ラナちゃんの顔色がスーッ、と青くなった。
「…え〜と、ペンティアム少女の下取り価格は…」
「だ、旦那! そ、そんな縁起でもない本読むのやめましょ、ね、ね。ほらほら、こっちのテレビの方がずっと面白いですよ。なになに、今日の東証株価指数は…」
「…かしいなあ。ペンティアム少女の査定価格なんて載ってないや」
「でしょ、でしょ!? だからこっちの方が面白いですって。なになに、1ドル360円に復活…」
「…じゃあ、仕方ないからバラして売りさばくか」
「だ、旦那ぁ!!」
 ラナちゃんはもう、髪の毛も逆立たんばかりだ。
「だ、旦那! クーラーなんか買わなくても、パソコンがあればほらほら」
 ラナちゃんは慌てて僕の事をうちわでパタパタとあおぎ始めた。
「ほ〜らほら。わあ、こんなに涼しいんだ」
「…でもやっぱりクーラーの方が涼しいなあ」
「だ、旦那! 私のとっときの技見て下さい、ほらほら!」
 もうラナちゃんは必死だった。
「私にだってクーラーくらいついてるんですから!」
 ラナちゃんは両腕をクロスさせ、額のチャクラに思念を送り込んだ。
「むうん… 秘技、CPUクーラー逆回転!」
 ラナちゃんのおでこのCPUクーラーから、ムワ〜ン、と風が送られてきた。
「うわ〜っ、熱風が、熱風が!」
「だ、旦那。大丈夫ですか!?」
 ムワ〜ン、ムワ〜ン、ムワァァァ〜〜ン!
「うわ〜っ、ラナちゃん、顔近づけないでえ〜っ! 助けて〜っ!!」
「あ〜っ、ごめんなさいごめんなさい!」
 みんなも、図に乗って女の子にいじわるすると、やけどしちゃうから気をつけてね。

 今日は楽しい登校日。
「北原、起きんかい」
 小林が僕を揺さぶる。
「う〜ん、も〜ちょっと…」
「…お前学校来てから、寝てばっかりやないか」
「…家で暑くて眠れないんだから、学校で寝るしかないだろ」
「そやかて、もうお昼やで」
「もうちょっと…」
「…仕方ないですね。じゃ小林さん、代わりにお弁当、食べてもらえます?」
「分かった。他ならぬラナちゃんの頼みや」
「お、お弁当!?」
 僕はガバッ、とはね起きた。ラナちゃんが目の前に立っている。
「…だんな、はいどうぞ。お弁当」
「いつもありがとね、ラナちゃん」
「…どういたしまして」
 いそいそとお弁当を開けようとして、僕はラナちゃんがふらふらなのに気づいた。
「だ、大丈夫ラナちゃん?」
「…は、はい。大丈夫ですぅ」
 ちっとも大丈夫そうじゃなかった。
「とりあえずここ座んなよ」
「ありがとうだんなあ」
 ラナちゃんは僕の椅子に腰かけると、へな〜っ、と机にへたりこんだ。
「あ〜、でもここ、冷房効いててい〜ですね〜」
「そっか。ラナちゃんずっと家にいたんだもんね」
「…昼間あの家でお料理するのって、ちょっとこたえます〜」
 もう、想像しただけでおぞましいシチュエーションだった。日頃ぐちなんか言いっこないラナちゃんがそうこぼすんだから、もうよほどの事だろう。
「ラナちゃん、そんなに無理しなくても。僕、コンビニでパン買うから」
「いいえぇ。旦那にお弁当食べてもらうのって、私のポリシーですから〜」
 僕はラナちゃんの言葉にぐっときた。
「ありがとうラナちゃん」
 僕はお弁当をあけて、もう一度ぐっときた。
 なにこれ。なんもかんも、みんな真っ黒黒こげじゃない。
「…なんか頭ぼ〜っとしてて、出来具合あんまり自信ないんですけど〜」
「いやいや、とってもおいしそうだよ。いただきま〜す」
 僕はモグモグと炭素をほおばった。
「小林も食う?」
「どれどれ…」
 小林はお弁当をのぞきこんだ。
「…遠慮しとくわ」
「まあまあ、そう言わずにさ」
「そやなあ… ラナちゃんの愛情こもったお弁当や。ありがたく頂くわ」
 僕と小林はあまりのおいしさに涙をこぼしながらお弁当をつついていた。
「…それにしても、ラナちゃん完全な夏バテやで。北原、なんとかしたれや」
「そりゃ、どうにかしてあげたいけど…」
 その時僕は突然、ひらめいた。
「そうだラナちゃん。海行こうよ海!」
「海、ですか…」
「うんうん。なんたって夏は海だもん」
「そうですねえ…」
「海か… よっしゃ、のった!」
「あのなあ。小林には関係ないだろ」
「何言うんや。そういうのは人数多い方が楽しいやろが」
 小林のバカでかい声に、
「え、海行くの?」
「俺も混ぜろよ」
 クラスの暇な連中がどやどやと集まってきた。
「ねえねえ、どこにしよっか」
「誰か車出す奴いね〜の?」
 仕切り魔の法子と松井は、早くも計画を練り始めている。肝心のラナちゃんがなんだか乗り気じゃないのが残念だけど……
「海か…」
 ぼそりとつぶやくその声に僕が振り向くと、
「サ、サティアン!?」
 来てたのかサティアン。全然気づかなかったぞ。
「おう、サティアンも行くか?」
「そうだなあ…」
 サティアンはしばらく考えていた。
「…ここらで、十年分のあかを洗い流しに行くのもいいかもな」
 …こんな奴を連れていくのに不安がないといえば嘘になる。だけどやっぱり人数の多いほうが何かと安上がりだし。ま、いいか。
「ところでさ、北原…」
 サティアンの眼鏡がキラリ、と妖しく光る。
「いいソフトあるんだけど、買わない?」
 珍しく学校に来たと思ったらサティアンめ、自分のソフトを売り込みに来たのか。
「僕の作ったブラウザ。検索エンジン付きだよ」
「間に合ってるよ」
「残念だな… こいつは自分の好みの女の子のタイプを入力しておくと、自動的にホームページを検索して、最新のムフフ画像をファイリングしてくれる優れ物なんだが…」
「…い、いくら?」
「旦那!」
「はい〜っ!」

「さっきラナちゃんと話してて気づいたんだけどお…」
 ラナちゃんの水着を買いにデパートに行って、その帰りの電車の事だった。
「ラナちゃんって、ちょうどあたしの高校の頃と同じサイズなのよね」
 水着選びに付き合ってくれた法子が、そう言うのだ。
「それで?」
「だから法子さん、自分の着なくなった夏服、私にゆずってくれるって…」
「それって、『着なくなった』じゃなくて、『着れなくなった』じゃないの?」
「うっさいわねえ!」
 法子の住んでるワンルームマンションってのが、今どきの、ロフトとかがあるそういうのじゃなくて、ほんとの、名前の通りの『ワンルーム』だった。
「なんで僕だけ家の外なんだよ」
「見えちゃうでしょ。着替えが」
「だってこんなに暑いんだよ」
「誰も、ついて来いなんて言ってないでしょ」
 そんなわけで僕はこうやって玄関の外に、つまり門前払いの形で、居場所もなく、缶コーヒーを飲んでいるのだった。
 耳を澄ますとドア越しに、ラナちゃんと法子の楽しげな声が聞こえてくる。
「…これなんかどう?」
「え、こんなのいいんですか!?」
「いいからいいから、気に入ったの持ってってよ… わあ、よく似合ってるじゃない」
「なんか恥ずかしいなあ… でも法子さんって、昔から胸あったんですね」
「やだラナちゃんたら!」
 二人のキャピキャピした会話は、僕の想像力に火を付けずにはおれなかった。これはあるいは拷問か。これが僕の青春か。色即是空空即是色。聞いて極楽見て地獄。
 暑さで思考回路までおかしくなったそんな頃、
「おまたせ」
 ようやく法子がドアを開けてくれた。
「まあ、見てやってよ」
 法子が脇にさがる。
「旦那」
「やあラナちゃん…」
 そう言いかけて、僕は飲んでいた缶コーヒーを吹き出しそうになった。
「似合います!?」
 ちょっと照れくさそうに、ラナちゃんがクルッ、と一回転する。
「の、法子…」
 僕は真っ赤になって法子を見た。
「ごめんねえ。考えてみるとあたしの高校の頃って、ミニ全盛だったのよね」
 僕はブルブルブル… と首をふった。謝る必要なし。でかした法子。それにしてもラナちゃんって意外にいい足してんのな〜。普段着でこれでは、水着にかかる期待は否応なしにふくらむのだった。海よ来い、早く来い!
「…ところで、法子」
「なによ」
「セーラー服とか、持ってないの?」
「ないわよ。だってうちブレザーだったから」
「じゃ、スクール水着は」
「え〜っ、あんなのまだあったかな… って北原君、一体何考えてるのよ」
「ふふふ… 君が想像しているとおりの事だ」
「…北原君って、女装の趣味があったの?」
「違う〜っ!」
「でもスクール水着はやめてね」
「違うって!」

 そして今日はいよいよGO TO 海当日。
「え〜っ、先輩も行くんですか?」
「はははは… 当然だよ。先輩として、君達を監督する義務があるからね」
「マーガりん、お前もか?」
「ラナりんを一人でそんなおっかないとこへはやらせへん。うちも一緒や」
「ありがと、マーガりん」
 …ラナちゃんもマーガりんも、海を何だと思ってるのか。借りてきたワンボックスは定員オーバーのぎっちぎちだ。まあラナちゃんはパソコンだし、マーガりんは妖精だから、法的には問題ないんだろうけど。
 だが僕には大きな誤算があった。
「え〜っ、僕が運転するの?」
「そうよ」
「なんで?」
「だってお前しかいないじゃないか」
 僕は免許をとってからまだ一度も運転したことのない、真性ペーパーだった。
「そんな〜。頼むよ小林」
「何言うてんねん。俺、免許持ってないで」
「え〜っ、じゃサティアン」
「小林に同じ」
「松井〜」
「俺、免停中」
「法子〜」
「何言ってるの? こんなに男がいるのにあたしに運転させる気?」
「マーガり〜ん」
「…あのなあリョウちゃん」
 小林があきれた顔をする。
「お前が言いだしっぺなんやから、お前が運転するの、当然やないか」
「そうやリョウちゃん。たまには役にたってみい」
 小林とマーガりんの関西弁ペアが言いたい放題まくしたてる。
「心配すな。お前はただ事故らんと、なおかつスピーディに、それでいて快適に、そして迅速に目的地にたどり着けばそれでええんや」
「それが難しいんだよ!」
 その時、僕はピーン、とひらめいた。
「そ、そうだ先輩!」
「なんだね北原君」
「先輩、たしか免許もってるっていってたじゃないですか」
「ウム。いかにも私は免許皆伝」
「お願いしますよ先輩。このとおり」
「よかろう、まかせたまえ」
 先輩は仰々しく頷いた。やったあ。これでほっとひといきだ。
 ところが小林と松井とサティアンが割ってはいった。
「駄目だ北原」
「なんで?」
 僕はごねた。
「安全第一なんだから先輩も後輩もないだろ? 先輩もいいって言ってくれてるし」
 松井があきれて僕を見る。
「…北原。お前、先輩と同じアパートに住んでて、知らないのか」
「何を?」
「これ見てみなよ」
 サティアンが先輩の目をこじ開ける。
「ほら、瞳孔が開いてる」
「ほ、ほんとだ」
「先輩は起きてるふりして実は寝てるんや」
「先輩はしゃべりながら眠ることのできる特技の持ち主なんだ」
「そんな人に運転をまかせられると思うか?」
 僕はプルプル、と首をふった。それにしても瞳孔が開いてるって… 先輩、一度病院で先生に診てもらったほうがいいのでは。
 というわけで奇しくも今日が僕の記念すべき初ドライブという事になってしまった。もっとも横でラナちゃんがナビしてくれるおかげで、多少は気が楽だったけど。
「…ラナちゃん、これどっち行くの?」
「ななめ、ひだり、ほうこう、です」
「…ラナちゃん、いい加減その言い方やめてくれる?」
「え〜、だってえ。この方がナビゲーションシステムらしいでしょ」
 ラナちゃんの天然ボケはともかく、松井の持ってきたドライブマップCDとペンティアム少女という組み合わせは、理想のカーナビといってよかった。ただ一つの欠点を除いては。
「…なあ、マーガりん」
「なんや、リョウちゃん」
「…モニターの上でちょこまかするの、やめてくれないか。気が散るだろ?」
「ちょこまかやない。うちもナビ手伝ってるんやないか。ほらこっちやこっち」
 マーガりんが3Dマップの高層ビルのてっぺんで踊ってる。
「…分かった。君の好意はよーく分かった」
「おおきに」
「…だけど妖精の君がセーラー服着てるのは一体どういうわけなんだ?」
 カーナビのモニター上でセーラー服を着た妖精が躍り狂う… これ以上ドライバーの集中力を妨げるものがもしあれば、ぜひ一度お目にかかりたいものだ。
「何言うてんねん。ラナりんから、リョウちゃんがセーラー服好きや、ってそない聞いたさかい、サービスしてあげてんのやないか」
 分かってないなあ。マーガりんもラナちゃんも、男のロマンってやつを…
「何? マーガレット、セーラー服がどないした」
 小林が、後部座席から身を乗り出す。
「あ、ああ〜っ!? マーガレット、そ、そ、その服!」
「ご主人様。どないしはったの?」
「ああああ〜っ!」
「…ご主人様!?」
「マァ〜ガレットオオオ〜〜〜ッッ!!」

 僕の奮戦も虚しく、ファミレスに休憩に入った時はすでに12時を回っていた。
「…まさか海に着く前に昼御飯になるなんてね」
 スパゲティを食べながら法子がぐちる。
「仕方ないよ。出発が遅れたんだから」
 カレーを食べながら僕が言う。
「何言ってるの。北原君の運転が、遅すぎるからでしょ」
「法子が待ち合わせに遅れるからだろ?」
「みんな、どう思う?」
 法子はみんなの顔を見た。
「北原が悪い」
「遅い」
「下手」
「短足」
「あほ」
 ひ、ひどい。
「ラナちゃ〜ん」
「よしよし」
 僕の頭をなでなでしながら、ラナちゃんが見かねて言った。
「旦那、なんだったら私が運転、代わりましょうか?」
「え、ラナちゃん、できるの?」
「ふふふ… 実はこの日のために、密かに練習してたんです」
「そうなの? でもラナちゃん、免許持ってないんじゃ…」
「それやったら心配ない」
 小林が自信たっぷりに言う。
「なんで?」
 僕の問いに、小林が低い声でボソッ、と言った。
「…ポリさんも、パソコンに赤キップは切られへんやろ」
 僕もつられて低い声で言った。
「…それって、『法の網の目をかいくぐる』ってやつじゃないのか?」
『法の網の目をかいくぐる』。この妖しい言葉の魅力に負けて、僕はとうとうラナちゃんを運転席に乗せてしまった。だが、これを読んでくれているよい子のみんなは、

  ***  危ないから決して真似しないでね。約束だよ!  ***

「ラナちゃん、ほんとに大丈夫?」
 シートの位置やミラーの確認をしているラナちゃんに、僕は心配で尋ねた。
「ほんと言うと、動体視力やパターン認識はあんまり自信ないんですけど… でもその分、気合で頑張ります」
「そうやラナりん。その意気や」
「応援するで」
「ラナちゃん頑張れ」
「はいっ」
 ラナちゃんがシートベルトを閉める。
「じゃあ、行きます!」
 真顔のラナちゃんが叫ぶように言う。
 助手席の僕は頷いて、親指をたてる。
「レディ、ゴー!」
 キュルキュルキュル! ブラックマークを残して、僕らを乗せたワンボックスがすっ飛んで行く。
「すげー、はやいじゃん」
 車にはうるさい松井も、ラナちゃんのきびきびした運転に感心している。
「まあ、まかせてください」
 ほんと、凄いスピードだ。ちょっぴり不安になって僕は尋ねた。
「ラ、ラナちゃん。今、なんキロぐらい出てるの?」
「それが…」
 申しわけなさそうにラナちゃんが言う。
「この車、全然スピード出なくて。え〜とお… 今、時速130キロです」
「130!? ここ、たしか制限50キロだよ」
「制限!? なんの事ですか?」
 ラナちゃんは不思議そうに僕を見る。
「あああラナちゃん前見て前」
「だいじょぶだいじょぶ」
 といいつつラナちゃんは、交差点の信号をまるっきり無視して突っ走っていった。
「あ、あの、ラナちゃん…」
 僕はおずおずと尋ねた。
「今、赤信号完っペきに無視して行きませんでした?」
「それなんですよ旦那」
 きょとんとした顔でラナちゃんが言う。
「前から聞こう聞こうと思ってたんですけど… 赤信号ってなんですか?」
「じょ、冗談だよねラナちゃん」
 だが残念な事に、ラナちゃんの目はマジだった。
「…ラナちゃん、まさか本当に交通ルール知らないの?」
「ルールもなにも、三周して一位でフィニッシュすればいいんじゃないんですか」
 ひ、ひぇ〜〜っ!!
 そ、そりゃ確かにパソコンが交通ルールを知らなくても不思議はないけど、今までラナちゃん、どうやって学校までお弁当届けに来てたの? ああ、それ考えると背筋がゾクッと… いや、今はそれどころじゃない!
「と、とにかく! 赤信号だと止まんないと駄目なんだよ!」
「えっ、そうなんですか」
 ラナちゃんは困った顔だ。
「でも、いったいどれが赤信号なんです?」
「どれって… あっ、それだよそれ。目の前に」
「え、どれどれ?」
「それだってば、あああ〜〜っ!!」
「あ〜ん、よくわかんな〜い」
「ラ、ラナちゃん。やっぱり運転代わろうか…」
「あっ旦那! この道どっちでしたっけ!?」
「え!? あと、えと… み、右だよ右!」
「そこねっ!」
 ギュギュギュギュン!
 四輪ドリフトしながらワンボックスが曲がっていった。
「ひ、ひ〜っ!」
「まだ甘いわ… クリッピングポイントの進入が…」
「クリッピングポイントなんかいいの!」
「はいっ、以後気をつけます」
「もう、誰か何とか言ってえ〜」
 僕はそう言って車内を見回して唖然となった。みんなはとっくの昔に気絶していた。
「ひえ〜ん、ラナちゃん止めてえ〜! お願いだからあ」
「旦那、おトイレですか? 目的地までぶっ飛ばしますから、もちょっと我慢してて下さいね」
「違う〜〜っ!!」
「しっかりつかまってて下さい!」
 ドビュュ〜〜ン! ワンボックスはさらにスピードをあげてかっ飛んでいった…

「旦那、旦那」
 ラナちゃんに揺り動かされて、僕はようやく気がついた。
「着きましたよ」
「う… ん…」
 どうやらまだ生きているようだ。僕は目をこすって、あたりを見渡した。
 そこは一面、はっとなるほどの青の世界だった。まばゆい空とまばゆい海。
「旦那… これが、海、なんですね」
「うん。そうだよ」
 僕とラナちゃんは、誰に言われたわけでもないのに、うながされるように車を降りてその景色をながめていた。
「うわ〜〜っ」
 ラナちゃんは両手をいっぱいに広げ、全身で海を感じていた。
 はるかな水平線と白い波間と波打ち際と防砂堤が、何本もの平行線を描いていた。まるで自分が映画のワンシーンの中に入り込んだみたいな気分だった。
「綺麗…」
「うん…」
 ラナちゃんはともかく、僕はもちろん始めての海じゃないのに、あきれるほど美しい景色に、ポカンと口を開いていた。
「…なんでだろ」
「なにが?」
「なんでこんなに海が綺麗にみえるんだろって」
 ラナちゃんは首をかしげる。
「ラナちゃんが魔法使ったんじゃない?」
「ふふっ… 変な旦那」
 僕らはどちらからともなく腕を組んだ。
「もう少し… 歩こうか」
「はい…」
「ウオッホン、ゴホン」
 ん、なんだ?
「あの〜、お二人さん、お取り込み中のとこ、悪いんやけど」
「あら、マーガりん」
「よお、一緒に海見ようぜ」
「そら結構なんやけどな… みんな起こしたったほうが、ええのとちゃうか?」
「あら、本当。みんなよく眠ってる…」
「正確には『気絶してる』んだけどね」
 それにしても、マーガりん君。君は妙〜な時に気がきくねえ。

 それから僕らは当然、水着に着替えて海辺に遊んだ。
「おまたせ〜」
「おお〜っ」
 男どもがどよめくのも無理はない。法子め、ラナちゃんの水着に付き合う、とか言いつつ自分のもちゃっかり買ってくるところが抜け目ない。
「ほら、どう北原君」
「ビキニだな」
「そうじゃなくて」
「白とピンクのストライプだ」
「じゃなくてえ」
 法子は髪をかきむしる。
「似合ってる、とかセクシーだ、とかあるでしょ」
「似合ってる。セクシーだ」
「ああもう!」
 法子はやってられん、と行ってしまった。
「どう、小林君」
「…お前、そんなん着て恥ずかしないんか」
「…松井君」
「…高かっただろ、それ」
「…先輩」
「うあああ! 目の毒だ!!」
「…サティアン君」
「……」
「…は、パス」
「何それ」
「ああ、ここの男どもはどうしてまともなのがいないの。見る目ないのね!」
 違うよ、法子。みんなまともじゃないのは確かだけど、法子の事、ほんとは綺麗でセクシーだと思ってる。ただ小林は照れ屋さんで、松井は小林に気がねして、サティアンは女の子とのしゃべり方を知らないだけだ。先輩ばかりは、この人ばかりは何を考えてるのか僕にもさっぱりだけど。
 そして僕は…
「旦那あ、おまたせ」
「あ、ラナちゃ〜ん!」
 僕は大喜びでラナちゃんを振り向いた。そしてラナちゃんを一目見た瞬間…
 ガクッ。
「…どうしたんですか旦那」
「どうしたもこうしたも!」
 僕はブ〜ッ、とふくれた。
「何ラナちゃん、その恰好」
 ラナちゃんときたら真っ白の、ひざまで隠れるひらひらのワンピースを着て、おまけに大きなリボンのついた麦わら帽子なんかかぶってるし。
「ラナちゃん、ここは海なんだよ」
「はい」
「海と言えば水着に決まってるじゃない」
「…一応、中に水着着てますけど」
「そんなんじゃ駄目〜っ!」
「だってえ」
「だってじゃありません!」
 僕はビシリ、と言い放った。
「それじゃまるで、セミ取りに来た鼻たれ小僧が橋のたもとのバス停の前で偶然見かけた、都会の雰囲気を漂わせた色白の見知らぬお嬢さんじゃないか!」
「…やけに細かいシチュエーションですね」
「とにかく、そんなワンピース、ポイしちゃいなさいポイ!」
「だって私、直射日光は苦手だし…」
「駄目ったら駄目!」
「それに私、ナトリウム系はちょっと…」
「ええい、そんな聞き分けのない子は、ベンチマークテスト50回だ!」
「え〜っ、そんなのやだ〜」
「僕の言う事が聞けないのかあ」
「やなものはやだもん」
「待て〜」
「待たないもん」
 その頃小林とマーガりんは…
「…あ〜あ、行ってしもた」
「どないしたマーガレット」
「せっかくリョウちゃん喜ばしたろ思て、わざわざスクール水着に着替えてきたのに…」
「あああっ! マーガレット、その恰好!?」
「…ご主人様!?」
「マァ〜ガレットオォ〜〜ッ!!」

みんなですいか割りを楽しんだあとの、アンニュイな午後のひとときだった。
 法子と松井と先輩はゴムボートで沖合にプカプカ浮かんでいる。
 サティアンはデッキチェアに寝そべって『ラ○オライフ』を読んでいる。
 小林はみんなに寄ってたかって砂に埋められ自力での脱出が不可能になり、そのままマーガりんと一緒にお昼寝してる。
 ラナちゃんはビーチパラソルの影を追いながら、CPUクーラーの隙間にシリコングリスを塗るのに余念がなかった。
「旦那も、法子さんたちと泳いできたらどうです?」
「うん…」
 そう言われても、さっきアイスクリームを買いにちょっと目を離しただけで、砂糖に群がるアリのごとく、サーファーやサーファーまがいの男どもが先を争って13人も、ラナちゃんに声をかけに来たばかりだった。
「ラナちゃんも一緒に行こうよ」
「でも…」
「じゃ、僕もラナちゃんとここにいる」
「うん…」
 そうして二人で眺めていた。ラナちゃんは海を。僕はラナちゃんを。
「…あのね、旦那」
「うん」
「私ね、やっぱり海に来てよかった」
「そう」
 僕は、素直に嬉しかった。
「じゃあまた、一緒にどこか旅行しようね」
「ええ」
「そうだ。今度一緒に、地獄巡りなんてどう?」
「ふふっ、地獄ですか。でも私、硫黄系はちょっと…」
 ラナちゃんのおしゃべりが急にやんだ。
「…どうしたのラナちゃん」
 ラナちゃんは浜辺の向こうをじっと見つめている。
「…ラナちゃん!?」
 そしてラナちゃんはスクッと立ち上がったかと思うと、一目散にそっちに向かって駆けて行った。
「あ、ラナちゃん!」

 そこは、もう砂浜と岩場の境目あたりだった。
「…どうしたのラナちゃん」
 僕がようやく追いついて、しゃがみこんでいるラナちゃんに声をかけようとすると、
 キィ〜ッ、キィ〜ッ!
 ラナちゃんの足元に、甲高い鳴き声をあげるものがいた。
「…カモメだ」
 そのカモメは、つり糸がからまって動けなくなっていた。
「旦那…」
 ラナちゃんが心配そうにカモメを見つめている。
 随分もがいていたに違いない。からまった糸には血もにじんでいた。
「かわいそうに…」
「ねえ、旦那。助けてあげましょ」
「えっ、でも…」
「旦那」
 ラナちゃんが僕を見つめる。
 じぃ〜〜〜っ。
 ひ、ひどい、ラナちゃん。僕がラナちゃんのその訴えかける目に弱いのを知ってるくせに。知っていてなおその反則技を使うなんて。
 じぃ〜〜〜っ。
「分かった分かった、分かりました!」

「なにもみんな来なくてもよかったのに」
「ごめんなさい。つきあわせちゃって」
「いいのいいの気にしなくて」
 ただでさえ満員御礼のワンボックスは、カモメを乗せてる分、ますますぎゅうぎゅうだった。
「でもさあラナちゃん…」
 僕はラナちゃんに代わってハンドルを握っていた。
「やっぱり水族館じゃ、鳥の治療なんかしてくれないんじゃないかなあ…」
「でも、行くだけ行ってみます。私、一生懸命お願いしますから」
「…それにしても、この子おとなしくしてくれて助かるわ」
 今は法子が、カモメをひざの上に抱いていた。
「ほんと、車の中で騒がれちゃたまんないからね」
 あれだけキーキー鳴いていたカモメが、さっき浜辺で僕が抱き抱えてから、観念したのか、もうすっかりおとなしくなっていた。
「よ〜く見ると、可愛いんだこの子」
 法子がカモメをなでてやる。
「あ〜っ、ええなあ。うちも撫でたいなあ」
 マーガりんがうらやましそうに言う。
「なあラナりん。うちの代わりに撫でてやってや」
「だめよ。カモメさん、また騒いじゃうから」
「なんでや」
「この子、私のこと怖がってたもの…」
 ラナちゃんはさらりと言った。
「この子は、私が人間じゃないって… 生き物じゃないって気づいたから… それで騒いでたの」
「そんなんじゃないって!」
 僕は思わず叫んでいた。
「でも、あの時、旦那も見ていてそう思ったでしょ」
「……」
 ラナちゃんは、そういうとこ、敏感だった。
「何言うんや。助けてもろて、そんなわがまま言うような奴は、うちがしばいたる!」
「…それより食っちまったほうがいいんじゃないか」
「やめてよねサティアン君。あなたが言うと本気に聞こえるでしょ」
「だってうまそうだし」
「そうかな?」
「いや、多分この手羽先のあたりなんかなかなか…」
 サティアンと松井と先輩はグルメ談義を始めた。
「そういう問題じゃないでしょ!」
 ワンボックスは街道をひた走っていった…

 ようやく着いた水族館で、窓口のお姉さんに「へっ?」っていう顔をされたけど、それでもなんとか話が通じて、僕らは従業員用の通路を通って獣医さんのいる所まで案内してもらった。
「ああ… この子はカモメじゃなくて、アジサシっていうのよ」
 獣医さんは若い女の人だった。
「そうなんですか…」
「今ごろこんなとこにいるなんて… 仲間とはぐれたのかな?」
 僕と松井がアジサシの羽を押さえている間に、獣医さんは器用につり糸を切っていった。
「怪我のほうも心配なさそうね。今日一日ゆっくり休めば、明日にもまた飛べるようになるでしょ」
「よかったあ」
 獣医さんが、しゃべりながら消毒液やらなんやら、てきぱきとアジサシにつけてあげてるのを、僕は妙に感心して見ていた。
「さあ、これでよし」
 獣医さんはアジサシの頭を撫でた。
「ありがとうございます」
「この子はうちで一晩預かって、明日の朝に空に返してあげるから …君達はもう、何にも心配しなくていいわよ」
「どうも、すみませんでした」
「君達こそ、わざわざここまでこの子、連れてきてくれてありがとね」
 僕たちは帰りぎわ、一人ずつ、アジサシの頭を撫でてやった。
「じゃあ、バイバイ」
「達者でな」
「親子三人、仲良く暮らせよ」
 僕がふと見ると、ラナちゃんはなごり惜しそうに、遠くからアジサシを見ていた。
「ラナちゃん。ラナちゃんも撫でてあげなよ」
「え、でも…」
「そうよ」
「早く早く」
 ラナちゃんは頷いて、そっとアジサシの頭に手をのせた。
 さっきの脅迫が効いたのか、アジサシは嫌がりもせず、ラナちゃんを見ていた。
 ラナちゃんはにっこりと目を細めた。
「旦那」
 ラナちゃんの口許が、ようやくほころんだ。
獣医さんは黙ってその様子を見ていたが、つぶやくように言った。
「それにしても… 人間が捨てたつり糸に鳥が傷ついて、パソコンのあなたがそれを助けてあげるなんて… なんかおかしな世の中よね」
「でも…」
 ラナちゃんは獣医さんを振り向いた。
「私のこと作ってくれたのも、やっぱり人間ですから」
 獣医さんはラナちゃんの言葉に感心していた。
「そうね、そうよね…」

 それからみんなでアシカショーを見ていた時の事だった。
「よかったねラナちゃん」
 僕は傍らのラナちゃんに言った。
「はい、みんなのおかげです」
「あ、ラナちゃん。その羽は?」
「さっきのアジサシさんの羽。獣医さんにもらったの」
「そう… いい人だね、あの獣医さん」
「はい」
「獣医さんもいい人だけど、ラナちゃんも、とってもいい子だね」
「そんなあ、おだてないで下さいよお」
「…ねえラナちゃん」
 僕は、さっきラナちゃんが獣医さんに言ってた言葉を思い出していた。
「ラナちゃんを作った人って、いったいどんな人なんだろうね」
「えっ」
 ラナちゃんは息をのんだ。
「きっとものすごく優秀な技術者なんだろうな… ラナちゃんどう思う?」
「それは…」
 ラナちゃんは視線をそらしてうつむいた。
 僕はほんのなにげない気持ちで聞いただけだった。答えなんか期待してなかった。
 でも。今のラナちゃんの表情は… それって、まさか。
 ラナちゃんは、自分を作った人のこと、知ってるの!?
「ご、ごめんね。変な事聞いちゃった?」
「ううん…」
「あ、あのさ、言いたくなかったら、別に言わなくたっていいんだよ」
 僕はどぎまぎして言った。
「あ、ほらほらラナちゃん。キャッチボール始まったよ。アシカのキャッチボール。面白いね。あは、あはは…」
「…私を作った人は」
 僕は思わず全身が耳になっていた。
「…私を作ってくれた人は、とても、とても優しい人…」
 ラナちゃんは僕を見つめた。
「ごめんなさい… 今はそれしか言えないの」
 僕は頷いた。
「…あやまる事なんかないよ」
「はい…」
 僕は今のラナちゃんの言葉を噛みしめていた。
「でも… なんか分かる気がする」
 ラナちゃんは首をかしげた。
「ラナちゃんが優しいのは、きっとその人に似たんだね」
 ラナちゃんは、満面の笑みを浮かべた。
「はい!」

 そうして僕らは海をあとにした。僕の運転は相変わらずだったけど、誰も「ラナちゃんに代われ」とは言わなかった。みんな自分の命の方が大事だった。
「先輩、寝るのはいいけど、横にならないでくださいよ。狭いんだから」
「そんな事、寝てる人に言ってもしようがないだろ」
「それより法子、お前やけに荷物増えてるぞ」
「あたしはドルフィングッズに命かけてるのよ!」
「なあなあ、それはええんやけど…」
 マーガりんが泣きそうな顔で言う。
「どしたのマーガりん」
「うちもさっき気いついたんやけどな。あのな、みんな、なんか忘れてない?」
「なんかって、なんだ?」
「さあ」
「なんだろね」
「マーガりん、ヒントくれ」
「ヒント1、砂浜」
「それから」
「ヒント2、生き埋め」
「まだまだ」
「ヒント3、うちの大事な人や!」
「なんだ、それって僕の事かい… あ〜っ!」
「あぁ〜〜っ!!」
 結局、大慌てで砂浜に戻って、埋めっぱなしの小林を救出したのは、それから10分後だった。だがその時、小林はまだ寝ていた…

 ようやく都内に入った頃には、もう真夜中を過ぎていた。
「みんな寝ちゃったね…」
 見ると、ラナちゃんも静かに寝息をたてていた。手にはアジサシの羽を持っていた。
 ラナちゃんの寝顔を横目で見ながら、僕はさっきのアシカショーの時の事を思い出していた。
『ラナちゃんが優しいのは、きっとその人に似たんだね』
 僕がそう言った時の、その時のラナちゃんの笑顔。
 あんなに嬉しそうなラナちゃんは始めてだった。
 それっきり、僕はラナちゃんに何も聞かなかった。ラナちゃんも何も言わなかった。でもラナちゃんのあの笑顔だけで十分だった。十分すぎた。
 ラナちゃん。ラナちゃんは、その人の事…
 僕はその人に会ってみたいと思った。会って感謝の気持ちを伝えたかった。でもそうしたら、その時に、全てが終わってしまうような気がして…
 だからこのままでいいと思った。だからこのままがいいと思った。
 ラナちゃんとずっと、今のままでいたかったから……
 僕は羽が落っこちてしまわないようにラナちゃんの手からそっと羽を抜き取って、ラナちゃんの服のポケットに、その羽を差してあげた。

「…ラナちゃん」
「…旦那」
「…暑いね」
「…暑いですね」
 役立たずの扇風機さえ壊れて、状況は絶望的だった。
「…そうだ、冷たいものしりとりで、気を紛らわせましょ」
「なにそれ」
「いきますよ… 『すいか』!」
「か、か、か… 『火炎放射器』」
「…旦那、やる気あります?」
「…ない」
「もう、仕方ないですねえ… じゃ私が血も凍るような怖〜い話、してあげましょう。むか〜し、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが、ひっひっひっ…」
「…ラナちゃん、ちっとも怖くないよ」
「じゃ、これはどうです? 羊が一匹ぃ〜、羊が二匹ぃ〜、ひっひっひっ…」
「だめだめ」
「いぃ〜っひっひっひっ…」
「お、今の声なかなか」
「…私じゃないですよ」
「えっ」
 開け放した窓の外から、不気味なその声は聞こえてきた。
「いぃ〜っひっひっひっ…」
 そればかりではない。なにやら得体の知れない音まで聞こえてくる。
 シャリ、シャリ、シャリ…
 僕はなんだか気味が悪くなってきた。
「旦那、あそこ」
 路地裏の電信柱の影に、誰かがうずくまっている。不気味な音はそこから聞こえてきた。
「いぃ〜っひっひっひっ…」
 シャリ、シャリ、シャリ…
「だ、誰だ!?」
 シャリ、シャリ、シャリ…
「や、やめてくれ〜っ!」
 するとその謎の人物は、ぬっ、と顔をあげた。
「いっひっひっ… ひっひっ… えしぇ、えしぇ、えしぇしぇしぇ〜っ!!」
「うわ〜〜っ!!」
「ラ〜ブコ〜メ〜」
 で、出た〜っ!! 妖怪ラブコメばばあ!
「おばあさん、ここで何してるんです?」
「ひっひっひっ…」
「ひっひっひっ、じゃないって!」
 シャリ、シャリ、シャリ…
「だからあ!」
「なんの、あずきをといどるだけじゃ」
 そう言ってばばあはにや〜っ、と笑った。
「なんでこんな所でとぐんだよ」
「どこであずきとごうが、わしの勝手じゃ」
「こんなとこじゃ、迷惑なの!」
「……」
「聞いてる!?」
 シャリ、シャリ…
「とぐなあ!」
「いぃ〜っひっひっ…」
 ばばあはあずきをとぎながら去っていった。
「な、なんだったんだラブコメばばあ…」
「おばあさん、ひょっとして旦那に気があるんじゃないですか?」
「す、凄い冗談よしてよラナちゃん」
「あ、旦那、鳥肌たってる」
「…今のラナちゃんのギャグで体温が10度くらい下がったよ」
「わあ、うらやましいんだ」
「うらやましくない!」
 夜は更けていった……

(続く)


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