〜アドバンスド・ワールド・ペンティアム少女ドラマ〜  改め
〜アドバンスド・ワールド・MMXペンティアム少女ドラマ〜
『アキバ大パニック!』その7
──遠い日の仮想記憶の巻──


 カチッ、カチッ…
 その夜、小林と松井と先輩は僕の部屋に集まって、互いの親睦を深めあっていた。
 カチッ、カチッ…
 僕らの友情に言葉はいらない。この冷たいプラスチックの響きさえあれば、それでいい。
 友情ってなんだろう? 今の僕にそう尋ねる人がいたら、迷わず僕はこう答えよう。それは五索だ。いやそれよりも二索だ。ピンフタンヤオ三色イーペードラドラだ。ハネ満だ。親っパネだ。そしてそれを捨ててくれる人こそ、僕の真の友人だ。
 だがそんな事を考えているのはどうやら僕だけではないようだった。
 まるで蒸気機関のように延々と煙をはき続けている下家の松井の、その煙草を持つ左手がさっきからずっと止まったままだ。奴がテンパイしている何よりの証拠だった。しかも煙草の先の今にも崩れそうな灰の長さからいって、相当デカい役を狙っている事は間違いない。やばい。これは非常にやばい。
 そしていつもならムードメーカーのはずの小林は、さっきから黙りこくって捨牌を睨みつけている。雀卓がわりのコタツのへりに肘をつき、両手を組んで身じろぎもしないその姿はまるでN○RVの総司令そのものだ。今朝剃ってきているはずの奴のあごひげが、もうクッキリと浮かびあがっている。こいつも間違いなくテンパッている。やばい。これは非常にやばい。
 一方、先輩はというと、こちらはコックリコックリと自分の牌を倒しかねない勢いで眠りこくっていた。そして不思議な事に自分の番になると黙って牌をツモり、また黙って牌を捨てるのだった。だが油断は禁物だ。この無防備な姿に、一体どれだけの人間が先輩の術中にはまり奈落の底まで落ちていった事か。ひとは先輩の事を『眠れる雀聖』と呼ぶ。その先輩がさっきからツモ切りを繰り返している。やばい。これは非常にやばい。
 カチッ、カチッ…
 この一局が正念場だった。この一局を制したものがこの日の戦いを制することになるだろう。四人四様、その緊張は極限に達していた。
「は〜い、みなさ〜ん。お夜食できましたよ〜」
 そんな緊張感を粉々にうち砕いてエプロン姿のラナちゃんが入ってきた。
「え、このエプロンですか? これ旦那とお出かけした時買ってもらったんですけど、やっぱりちょっと子供っぽいですか? でもこれ、旦那が『とっても似合ってるよ』って。キャッ、恥ずかしい!」
 カチッ、カチッ…
「あ、あの… できたてのほやほやですから、温かいうちに召し上がって下さいね…」
 カチッ、カチッ…
「あ、えっとぉ…」
 カチッ、カチッ…
「…お呼びじゃなかったみたいですね。お邪魔じまじだ…」
 ドヨ〜ン、となって流しに戻ろうとするラナちゃんに、僕は思わず声をかけた。
「あ、なんかいい匂い」
 パッ、とラナちゃんの表情が輝いた。
「でしょ!? お野菜とキノコをたっぷり使ったラナちゃん特製チャーハンなの」
「わあ、とってもおいしそうだね」
「でしょでしょ!?」
「これ終わったら、さっそくいただいちゃおうっと」
 ラナちゃんと談笑しながら無造作に捨てたその牌を、小林は見逃さなかった。
「…それや」
「ああ〜〜っ!」
 小林はおもむろに自分の牌を倒した。
「高めやな」
 徹夜で脂ぎった小林の顔がほくそえむ。
「あちゃ〜っ。北原、普通こんなの捨てる?」
「…ぐう」
「あ〜っ、旦那、ごめんなさい、ごめんなさい!」
 ラナちゃんは申し訳なさそうにオロオロしてる。
「…いいんだよラナちゃん。油断してた僕が悪いんだから」
「その通りや」
「くそ〜っ… で、いくらだよ小林」
「えーとやな、難しいな。なんぼやこれ」
「分からなきゃ払わないぞ」
 小林が計算している間に僕らは特製チャーハンをいただいた。
「おいしい!」
「うん、いける」
「モグモグ… ぐう」
「そうですか!? よかったぁ」
 緊張感から開放されて、ようやくみんなに笑顔が戻った。
「それにしてもみなさんのこんな真剣な姿、始めて見ました」
「何言ってるの。僕たちは常に、遊びも勉強も一生懸命なんだよ。なあみんな」
「ンガンガ…」
「ぐう…」
 ラナちゃんはジトーッ、と僕らを見る。
「…私、みなさんが真剣に勉強してるとこなんか、見たことないですけど…」
「能ある鷹は爪隠す、だよ。なあみんな」
「ンガンガ…」
「ぐう…」
「そんな事言って、本当はのんきに麻雀大会やってる場合じゃないと思いますけど。確か月曜日にレポート提出しないといけないんじゃ…」
 僕は思わず、食べていたチャーハンを吹き出しかけた。
「ラ、ラナちゃんなぜそれを」
「ふふふ… 旦那。ペンティアム少女のスケジュール管理機能を甘くみましたね」
 松井があきれた顔で僕を見る。
「え〜っ、北原、お前、まだやってなかったのか?」
 寝ながら食べていた先輩も薄目を開ける。
「何!? 月曜といえばあさってだろうが。北原君、君という奴はまったく…」
「い、いえ、その… 一応、下書きくらいはできてるんですけど」
「情けないぞ北原君。私が学生の頃は… ぐう」
「学生の頃から寝てばかりだったんですか?」
 ラナちゃんのつっこみもますます磨きがかかってきたようだ。
 そんな中、小林だけは、まだ指折り点数を数えている。
「ええと、中の暗カンと南のトイツで… 北原、ちょっと電卓貸してんか」
「電卓? そんなのないよ」
「ないってお前、それでも専門学校生かいな」
「紙とエンピツならありますけど…」
「お、気がきくなあラナちゃんは」
 そう言ってなにげなくメモ帳を受け取ろうとした小林は、突然、ハッとなってラナちゃんを見あげた。
「…ラナちゃん」
「はい?」
 メモ帳の端と端を握りしめて小林とラナちゃんは互いを見つめ合っている。小林ぃ!ラナちゃんを勝手に別世界にいざなうんじゃない!
「よ〜考えたら、ラナちゃんて… パソコンやないか」
「はい。パソコンなんです」
「それやったら点数計算くらい、楽勝やんか」
「え? でも私、麻雀の事はちょっと…」
 ラナちゃんは困り顔だ。
「かまへんかまへん。俺の言うた通り計算してくれたらええんや。ほな、いくで…
(30+32+4+2)×4×32は?」
「ええと、30たす、32たす…」
 ラナちゃんはなんだか後ろを向いてごちょごちょやってる。
「なにしてるのラナちゃん」
「やーん旦那、見ないで… はい、できました! 2億6千5百万です!」
「ラナちゃん!」
 僕はあきれて叫んだ。
「それってWindows添付の電卓機能じゃないの」
「あ、旦那。しーっ」
「パソコンのくせに電卓使うな〜っ」
「しかも、間違うとるやんけ!」
「あ〜ん、ごめんなさいごめんなさい!」
 計算が苦手なパソコンが存在する事を、その日僕らは始めて知ったのだった。

「旦那、起きて下さい」
 戦い破れ、布団にまどろむ僕の枕元に、ハタキを持ったラナちゃんが立っていた。
「う〜ん… みんなは?」
「とっくに帰っちゃいました。もうお昼ですよ」
「…も少し寝させて」
「だ〜め。旦那は今日はレポート書かなきゃ、でしょ」
「…ひどい。麻雀に負けたうえにレポートまで書けっていうの?」
「それとこれとは話が別でしょ」
「ひどい。ラナちゃんがいじめるよお」
「いじめてなんかいませんてば。レポート書かなきゃ進級できないじゃないですか」
「ひどいひどい。ラナちゃんがいじめるぅ〜」
 ラナちゃんは腰に手を当てて困った顔をしてたけど、
「もう、こうなったら」
「ラ、ラナちゃん何を」
「お目覚めのおまじない」
 そういってラナちゃんは顔を近づけ、僕の頬にそっとキスをした。
 僕はたちまちバネ仕掛けのようにとび起きた。
「やあ、お早うラナちゃん。わあ、今日もいい天気だ」
 そんな僕を見てラナちゃんがククッ、と笑う。
「旦那、朝昼ごはんのサンドイッチとコーヒー、ここに置いときますからね」
「は〜い、いただきま〜す」
「それ食べたら、ちゃんとレポート書くんですよ」
「は〜い」
 一日の始まりがこんなに素敵なら、夕べの事なんかすっかり忘れて、今日は一日中素直ないい子でいられる気がする。お腹の空いてた僕はガブガブと、コーヒーでサンドイッチを胃袋に流し込むようにたいらげ、そして決意も固くレポートの下書きを手に、ちゃぶ台の前に正座した。
「よーし、やるよラナちゃん」
「はい、旦那」
 ラナちゃんもちゃぶ台をはさんで僕の真向かいに座った。
「じゃあ… ディスプレイとキーボード出してくれる」
「…は?」
 ラナちゃんはポカンと口を開けた。
「『は?』って言われても、キーボードがないと、ワープロできないじゃない」
「何言ってんです? そんなの、私が口述筆記すれば済むじゃないですか」
「あ…」
 僕はポカンと口を開けた。
「そのためのペンティアム少女です」
 そうだった。うちのパソコンは可愛いだけじゃなかったんだ。超有能な秘書、世界でたった一人のペンティアム少女なのだ。算数はさっぱりだけど。
「ほんとは旦那の書いた下書きを見て、それを清書しちゃうのが一番なんですけど…」
「それいい! そうしてそうして!」
「ただ、ごめんなさい… 旦那の字って、あまりに達筆なもので」
 『達筆』。
 僕を傷つけまいとするラナちゃんの言葉は、よけいに僕を傷つけた。
「私、どんなOCRよりも優秀なつもりですけど、文字しか認識できないんです」
 ラナちゃんが謝れば謝るほど、僕の傷は深くなっていった。
「…分かりました。僕が下書き読みます」
「…すみません。そうしてもらえます?」
 僕は気を取り直してレポートを持った。
「じゃあいくよ。いい?」
 ラナちゃんはレポート用紙を前にボールペンをとった。
「いつでもどうぞ」
「では… 『ハードディスクの、アクセスにかかる時間は…』」
「はい、次どうぞ」
「は、早いねラナちゃん」
「まかせて下さい」
 ラナちゃんの持ったペンが滑るようにレポート用紙を埋めていく。それは見ている僕が思わずため息をつくほど優雅で、それでいてとてつもなく早いのだった。
「旦那? 早く次、読んでくださいよ」
「あ、ああ。なんかつい見とれちゃって」
「やだ、旦那ったら」
「ちょっと書いたの見せてくれる?」
「はい、どうぞ」
 ラナちゃんはちゃぶ台の上のレポート用紙をクルッと回して僕に見せてくれた。
「どうですか?」
 だが僕はラナちゃんの、まるで印刷のような清書を一目見るなり絶句していた。
「…旦那?」
「あの、ラナちゃん…」
 僕はおもむろに顔を上げて言った。
「…これ、ひょっとして、ぜーんぶ、ひらがなじゃないのかな」
「はい。読みやすいでしょ」
 にっこりしてラナちゃんが言う。
「それからこの字体なんだけど…」
「はい。ハードディスクに入ってた、まる文字フォントです。可愛いでしょ」
 にっこりしてラナちゃんが言う。
「……」
「…旦那?」
「……」
「…旦那。ひょっとして、なんか怒ってます?」
「…怒ってない、怒ってないけどね」
「でも、ここんとこピクピクしてます」
「あああ怒ってない、怒ってないんだよラナちゃん!」
 僕はむりやり笑顔を作った。
「でもやっぱりレポートってのは大事な書類だから、それなりの形式で書かないとね」
「…いろいろ、難しいんですね」
「難しいんだよ」
 ラナちゃんが常識を知らないのは無理もない。パソコンなんだもん。僕がラナちゃんの保護者なんだから、いろいろ教えてあげなくちゃ。
「じゃあ、漢字使って書いてみますね」
「字体も明朝体にしてくれるかな」
「は〜い」
 ラナちゃんは目にも止まらぬ早業でレポート用紙に書き込んだ。
「どれどれ」
 僕はレポートをのぞきこんだ。ペン習字の先生もびっくりの綺麗な明朝体だった。
『…心出椅子区野亜苦背苦似架かる次官歯…』
 僕はため息をついた。
「…ラナちゃん、やっぱりキーボード出して」
「あ、旦那やっぱり怒ってる…」
「怒ってない、怒ってないんだよ」
「でも、ここんとこピクピクしてます」
「あああラナちゃん、怒ってない、怒ってないってば!」
 ラナちゃんが漢字を知らないのは無理もない。パソコンだもの… いや、本当は知っててもおかしくないとは思うけど。でも知らないものは仕方ない。
「日本語って難しいもんね」
「ごめんなさい旦那…」
 その時、しょぼんとなってたラナちゃんがパッ、と顔を上げた。
「そうだ旦那、いい方法がありますよ!」
「え、なになに?」
「それはですねえ…」
 ラナちゃんは自慢げに言った。
「○S−IMEです」
「○S−IME!?」
 僕は言ってやった。
「けっ」
「あっ、ひど〜い」
「何がひどいもんか。あんな外人の作ったもんが、日本人に使えるかって」
「旦那、無茶苦茶言ってません? そんな事言わず、まあ使ってみて下さいよ。新型の○S−IMEにはとっておきの機能がついてるんですから」
「機能!? どんなの?」
「それはですねえ…」
 ラナちゃんは自慢げに言った。
「手書き入力です」
「手書き入力!?」
 僕は言ってやった。
「けっ」
「あっ、ひど〜い」
「ラナちゃん。僕はこれでも打ち込みの速さと大○略だけは誰にも負けない自信があるんだから。それを手書き入力!? 手書き入力!?」
「…旦那、やっぱり怒ってる」
「あああ怒ってない、怒ってないんだよ!」
 僕はブルブル… と首を振った。
「そ、そうだね、食わず嫌いはよくないよね」
「そうですよ旦那」
 とほほ… ラナちゃんのご機嫌をとるのも楽じゃない。こうしてハードディスクのこやしになりさがっていた○S−IMEは、ようやく日の目を見ることになった。
「…で、手書き入力ってどうやるの?」
「簡単ですよ。指で書いてくれればいいんです。ここに」
 ラナちゃんは自分の掌を僕の前に差し出した。
「えっ!? ここ?」
「はい!」
 ゴクッ…
「…い、いいの!?」
「いいも悪いも…」
 ラナちゃんはきょとんとした顔で言う。
「書いてくれなきゃ、認識できません」
「それもそうだね。じゃあ遠慮なく…」
 僕はそっと、自分の人指し指をラナちゃんの掌に乗せた。
「わあ、ラナちゃんのてのひら、やわらかいんだ」
「ふふ…」
「じゃあいくよ… これ、な〜んだ」
「ええと… 『あ』、ですか?」
「当たり〜」
「わ〜い」
「じゃあね、これは?」
「ええと… 『ほ』!?」
「ご名答〜!」
 こんなに楽しくレポートが書けるなら僕は毎日レポート提出してもいいぞ。だが、こんな調子じゃ、今日中にレポートなんてできそうにもない。
「ラナちゃん。スピードあげてもいいかな」
「はい、どうぞ」
 僕はすらすらすら… とラナちゃんの掌に書き綴っていった。
「『ハ・ー・ド・デ・ィ・ス・ク・の・シ・ー・ク・時・間・に・よ・っ・て…』」
 ラナちゃんはディスプレイにプリントイメージを映し出した。
「いいぞ。バッチリだ」
 僕はますますペースを早めた。
「『そ・の・ア・ク・セ・ス・時・間・が…』」
「くっ、くくくっ…」
「ど、どうしたのラナちゃん」
「ごめんなさい。なんかちょっぴりくすぐったくて」
「頑張って、ラナちゃん。僕の進級がかかってるんだ」
「はい、頑張ります!」
「『ま・た・そ・の・回・転・数・に・比・例・し・て…』」
「くっ、くくくっ…」
 ラナちゃんの肩が小刻みに震えてる。
「もうちょっと頑張ってね。やっと調子にのってきたとこなんだ」
「はい、頑張ります!」
「『一・回・転・に・要・す・る・半・分・の・時・間・が・平・均・の…』」
「くっ、くくく… アハハハハ!」
「ラナちゃん!」
「だって、だって、キャハハハハ!」
 だがようやくノリにノッてきた僕の指は容赦なくラナちゃんのてのひらを縦横無尽に駆け回った。
「『そ・し・て・シ・リ・ン・ダ・と・ヘ・ッ・ド・の・間・の…』」
「あはは… だ、旦那、おねがい… もうちょっとゆっくり… キャハハハ!!」
「そんな事言われても… おお、なんだかムラムラと創作意欲が沸いてきたぞ!」
「アハハ… レポート書くのに創作意欲なんて… キャハハ… 関係ないでしょ!」
「それがあるから不思議なんだよ」
「と、とにかく… スピード落として、でないと、私… キャハハハハハ!!」
「ええい、この期に及んでやめられるかあ!」
「た、助けて… キャハハハハ!!」
 ラナちゃんは涙を流して笑いころげた。
「泣くなラナちゃん。泣きたい時はコートで泣くんだ!」
「だって、だって!」
 その時、ズザザザザ… バーン!
「北原あぁ〜〜っっ!!」
 スリッパの音とともにドアを開けて現れたのは、
「あ〜っ、先輩!」
「むむむ… なんたる破廉恥な光景。もはや言い逃れはできんぞ。北原、そこに直れ!」
「せ、先輩! これには深いわけが…」
「問答無用! かよわき女性をいたぶるとは、この私が許さん!!」
「い、いえ先輩… 僕はただラナちゃんに手書き入力を…」
「そ、そうなんです先輩さん」
「む… そういう事だったのか」
「分かってくれましたか、先輩」
「うむ。ならば私がラナ君の代わりをやってあげよう」
 先輩はふしくれだった手を差し出した。
「さあ! 遠慮せずここに書くがよい!!」
「え、遠慮します…」
 僕の創作意欲は一瞬にして冷めてしまった。

 ようやく騒ぎは一段落した。だが僕の目の前にはほとんど手つかずのレポートが、厳しい現実としてそこに横たわっていた。
「ラナちゃん。やっぱりキーボードじゃないと駄目だよ」
「そうですね… 分かりました」
 なんだかラナちゃんはがっかりして見える。ただのワープロとしてではなく、ペンティアム少女として役に立ちたかったらしい。だけど漢字を知らないんじゃ仕方ない。
ラナちゃんはおなじみのショルダーバッグの中をごそごそと探り始めた。が…
「…あれ? 私、キーボードなんか持ってましたっけ」
「もちろん!」
 持ってるも持ってないも、キーボードのないパソコンなんてパソコンじゃない。
「でも、ありませんよ」
「そんなはずないって!」
 僕は思わず声を荒らげていた。ラナちゃんがキーボードを持ってないはずがない。
 僕がここまでキーボードにこだわるのにはわけがある。僕はわざわざ純正のJISキーボードを取り外して新しいキーボードに付け替えたのだ。それもそんじょそこらのとはわけが違う。定価3万円もする『○指シフトキーボード』だ。家賃2万5千円の下宿に住んで、いつも1980円のスニーカー履いて、たまに学食でランチ食べる時も350円のB定食しか頼まない僕が、3万円出して買ったキーボードなんだ。
「も一度探してみて」
 ラナちゃんは泣きそうな顔でショルダーバッグの中を掘り返した。ディスプレイ、スキャナー、タブレット、ZIPドライブ、音源… ありとあらゆる周辺機器がバッグから取り出された。キーボード以外の。
 そしてラナちゃんは悲しげに首をふった。
「でも旦那… 私の記憶じゃ、私、最初からキーボードなんか…」
 そんなはずはない。僕がどれほどあのキーボードを大事にしていたか。
「……」
「旦那、怒ってます?」
「ラナちゃん」
 僕はじっ、とラナちゃんを見すえた。
 ラナちゃんが常識を知らないのは無理もない。パソコンなんだから。だけどいけない事はいけない事だ。こないだだって赤信号無視して暴走しちゃったりって事もあったし。だから僕がラナちゃんに、いろいろ教えてあげなくちゃ。
「なくしちゃったんなら仕方ないよ。それだったら僕も怒ったりしない」
「……」
「だけどそれを嘘をついてごまかすのはよくない事なんだよ」
 ラナちゃんは、はっ、となって僕を見つめた。
「でも、旦那…」
 僕はラナちゃんのその、すがるような視線から目をそむけた。あの目で見つめられたらきっと何もかも許してしまう。でも、今はそうしちゃいけないんだ。僕がこんな厳しい事言うのも、みんなラナちゃんのためなんだ。
 僕の耳にラナちゃんの、消え入るような声が聞こえてきた。
「…ごめんなさい」
 僕は頷いた。そしてうなだれているラナちゃんの頭を撫でた。本当はギュッと抱きしめたかった。
「分かってくれたら、もういいんだよ」
「うん…」
「はい。じゃあもうこの話はおしまい!」
「うん」
 僕はしゃがみこんでラナちゃんの顔をのぞきこんだ。目に涙をうかべているラナちゃんに、心臓が締めつけられる思いだったけど気づかないふりをした。
「えへっ」
 ラナちゃんは元気に笑顔をみせた。
 僕もにっこり笑ってみせた。どんな言葉をいっても嘘にきこえそうで、何も言えなかった。

 思えばアキバという街ほど買い物するのに楽しい場所はない。品物が豊富で値段の安いのはもちろん、他では絶対に売ってないモノ、他ではゴミにしかならないモノ、他では法律が怖くて売れないようなものまで売っている。
 僕にはどうしてもキーボードが必要だった。僕の字が『達筆』すぎてラナちゃんにも、おそらく先生にも読めない以上は。逆にキーボードさえあれば、僕には絶対の自信があった。もちろん僕の気に入ったキーボードがあれば、だが。
 僕とラナちゃんは行きつけのパーツショップを巡っていた。
「それにしても、キーボードだけでいろいろありますねえ」
「そりゃ、アキバだもの」
「こんなにあったら、どれ選んでいいか、迷っちゃいますね」
「それがそうでもないんだよ」
 まず第一に、僕にはお金がなかった。
「旦那、予算はいくらくらいでしたっけ?」
「…3000円」
「3000円、ですか」
 3000円でキーボードを買う。無茶だった。アキバだから許される事だ。
「しかも○指シフトキーじゃないと駄目なんだ、僕」
 3000円で○指シフトキーボードを手に入れる。無茶の二乗だった。だからこそアキバに来たのだ。
「旦那。それがですね、いい方法あるんですよ」
「…そうなの?」
「あ、でも… さっきから迷惑かけてばかりだから、やっぱりいいです」
「もったいぶらずに、教えてよ」
 半信半疑な僕の顔色をうかがうように、おずおずとラナちゃんが言う。
「耳年増のタバサに聞いたんですけどね… なんでもパソコン通信のニフティサーブに行けば、普通のキーボードでも○指シフトキーボードのように使える、魔法のソフトがあるんですって」
「…ほんとかなあ」
「とにかく駄目でもともと。一度、ニフティにアクセスしてみましょうよ」
「そうだね」
 だがラナちゃんのPHSはどういうわけかつながらない。
「ピッチって、いざって時、役立たずなんですよねえ」
 幸い、近くに空いている電話ボックスがあったので、僕らはそれを使った。
「旦那。サインアップできるまでボックスの外で待っててくれていいんですよ」
「いいのいいの」
 ただでさえ狭い電話ボックスは僕とラナちゃんとディスプレイでぎゅうぎゅうだ。
ラナちゃんのプニッとしたほっぺが僕の胸元のあたりにあたって、僕はもう舞い上がりそうだった。
「あ… 旦那、ちょっとくっつきすぎ…」
「嫌?」
「そんな事ありませんけど… 私から出る電磁波で旦那の頭がこれ以上悪くなったら…」
「僕、こうやっていられるのなら、悪い子でもいいや」
「それにほら、こんな事してると電話代がもったいないし…」
「ラナちゃん。世の中にはね、お金よりもっと大事なものがあるんだ」
 僕はラナちゃんに顔を近づけてささやいた。
「それはね、愛だよ」
「…わしもそう思う」
 わしも、ってラナちゃん。そんなばばあみたいな。
 えっ、ばばあ!?
「えしぇしぇしぇ…」
 電話ボックスの外から聞こえるその声に、恐る恐る振り向くと…
「うわ〜っ!!」
「ラ〜ブコ〜メ〜!」
 出、出た〜っ! ラブコメばばあ!
「ばあちゃん、なんでこんなところに!?」
「いやあ、道に迷うてしもうてな。ちょっと教えてくれんかの」
「わ〜っ、入ってくるなあ!」
 ただでさえ狭い電話ボックスは僕とラナちゃんとディスプレイとラブコメばばあでぎゅうぎゅうだ。ばばあのクシャッとしたほっぺが僕の胸元のあたりにあたって、僕はもう骨の髄まで凍りそうだった。
「アメ横でしいたけの特売があるって聞いて来たんじゃが… どこにも売っとりゃせんがな」
「アメ横? 何言ってるのばあちゃん」
「ここは秋葉原ですよ」
「何? それを先言わんかい!」
 ばばあは電話ボックスを出ると準備運動を始めた。
「では若い衆、さらばじゃ」
 そしてばばあは老人にはあるまじきスピードでアキバを駆け抜けていった。
「えしぇしぇしぇぇ…」
「…元気ですね、おばあさん。あのまま上野まで走るつもりかしら」
「それにしても、おそるべき方向音痴だな」
 僕らはただ唖然と後を見送るばかりだった…

 …で、肝心のニフティへのアクセスはというと。
「ごめんなさい旦那」
「いいよいいよ。ラナちゃんのせいじゃないもん」
 オンラインサインアップをしようにも、僕はクレジットカードを持っていなかった。
「それにしてもほんと、融通のきかないホストね。タバサとはえらい違いだわ」
「…あんまりそういうコンピュータが、融通がきくのも困ると思うけど」
「いいえぇ。あのホスト、前から頭カタくてタカピーで、『お局様』ってみんなから評判悪いんですよ」
 僕は魔法のソフトをあきらめて、地道にキーボードを探す事にした。やっぱりキーボードっていうのは、触った時の感触が大事だものね。
「行くよラナちゃん」
「はい旦那」
 欲しい物は足で探す。それがアキバの基本だ。そして僕らが次の店に入っていくと電車の高架の音に混じって、どこかで聞いたような声が聞こえてきた。
「よお、ラナちゃん、北原」
「偶然ねえ」
 なにが偶然だか。お前らアキバに来ると必ずいるじゃないか。
「小林さん、法子さん、お買物ですか」
「俺、ザ○ルス買おうかな思てな。夕べ、金も入ったし」
「それで付き合ってんのよ」
 くそ〜っ。3000円でキーボードを探してる僕とは雲泥の差だ。
「これなんかどうかな思てんやけど、ラナちゃんどう思う?」
「小林さんの事なら、私に聞くよりあの子に聞いたほうが…」
「あの子?」
 ラナちゃんは展示してあるザ○ルスの前に立つと、その前に両手をかざした。
「いでよ、マーガりん」
 画面の中にたちまち煙が沸き立って、元気だけがとりえの妖精が現れた。
「は〜いご主人様!」
「おお、マーガレット!」
「すごい… ラナちゃん、どうやったの?」
「ちょっとIrDA使っただけですよ。ね、マーガりん」
「そういうこっちゃ。そやけど、ここちょっと狭いな。天井つっかえるで」
 口の悪さは相変わらずだ。
「ご主人様、PDA買うんやて? なんでうちに相談してくれへんの」
「すまんすまん。このザ○ルスなんかどうかなあ思てんやけど、どや」
「あかんあかん。狭すぎや」
「そうか。ほな、このカシオ○アは?」
「あかんあかん。ご主人様、これ、白黒やないの。うちの美貌が台無しや」
 …こんな奴らに付き合ってるほど僕は暇じゃない。だがその時、カシ○ペアの横に置いてある携帯端末が僕の目に止まった。
「ああっ、これだよこれ! ねえ、これにしなよ小林」
「なんや。イン○ートップか? こんなん、どこがええねん」
「どこもなにも、全部だよ」
 僕は目を輝かせて言った。
「画面も広いし、君のマーガレットちゃんの美しい姿もバッチリ再現のカラー表示、もちろん高速モデムもついておまけにDOSマシンとしても使える… その上なんと! ○指シフトキーボードモデルまであるじゃない!」
「…あっ、本当だ。旦那、よく気がつきましたね」
「だから小林ぃ。これ買いなよ今すぐ。それで今日だけ僕に貸して」
「スリスリすな北原、気持ち悪い」
「小林さん。私からもお願いします」
「え、そんな事言われても、困ったな…」
 それを聞いていたマーガりんが、ムッとして振り向いた。
「イン○ートップ!? あかんあかんあかんあかんあかん!!」
「なんでなんでなんでなんでなんで!!」
 どうもガキ相手だとこっちまで言葉づかいがガキになってしまう。
「これ誰が宣伝してるか知ってんの? 巨人の松○やで」
「ほんまか!? そらあかんわ。話にならんわ」
「○庄はんが宣伝してくれはったらよかったんやけどな」
 なんなんだこいつら。
「そんなのいちいち気にしてたら、○ロナミンCも飲めなくなるだろうが」
「当たり前や。大阪の人間はみんな○ンガリアしか飲まへんのや。なあマーガレット」
「ちなみにケーキはパル○スや。なあご主人様」
「何言ってるのマーガりん。ここは東京よ」
「とにかく、あかんゆうたらあかんのや。うちのこの目の黒いうちはなあ…」
「お前の目の色は、思いっきりエメラルドグリーンだろうが!」
「もう… 北原君も、マーガりんちゃんも、やめなさいって。みっともない」
「ほんまや。まったく、ガキの相手は疲れるわ」
「お前に言われたくない!」

「なんでお前ら、付いて来るんだよ」
「いいでしょ、別に」
 僕とラナちゃんがキーボードを探して、ほかの奴らが暇つぶしに、ぞろぞろと次の店に入っていくと、ビジネスソフト売り場からまた聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おっ、皆さんお揃いで」
「よお、松井」
 松井とビジネスソフト。これほど場違いな組み合わせも珍しい。
「松井がゲーム以外のもの買いに来たの、はじめて見たぞ」
「まあな… ところで北原、お前、レポートできたの?」
「それが… 今大変なんですよ」
「それで今、キーボード探してるんだけど。○指シフトキーボード」
「…なにそれ」
「知らないの?」
「知らないよそんなの …ああ、お前確か、変なワープロソフト使ってただろ」
「変じゃないよ。オ○シスだよ」
「だから変なキーボードが欲しいとかいいだすんだよ。この際思い切って買換えたら?
このW○rd97に」
 そう言って松井は、棚にずらりと並んだパッケージをポンポン、と叩いた。
「キーボードに金かけるより、優秀なワープロを使って効率アップした方が断然お得!」
「…んな事言って僕に買わせてコピーしようってハラだろ」
「うっ…」
「いや、どうせ買うんやったら北原、悪い事は言わん。○太郎や」
「それだったらせっかくだから○ラリスにしてみたら?」
「…ク○リスって何や?」
「知らないの!? 冗談!」
「僕はキーボード買いに来たんだよ!」
 だがみんなは勝手にワープロ談義に燃えている。
「OSとワープロが同じ会社の方が、互換性とれてて安心だろ?」
「互換性より変換効率や。○S−IMEがAT○Kに勝てる思てんのかいな」
「あんたたち、ウインドウズが天下とったと思っていい気になってない?」
「そりゃひがみだよ」
「…ところでクラ○スって何や?」
「…泥棒さん?」
 …こいつら本当にワープロという共通の話題を話し合っているのだろうか。お互いの話がまるでかみ合ってないぞ。これもみんな、古代バビロニアの人がバベルの塔なんか作るからいけないんだ。
「だいたい互換性互換性って、松井がW○rd97で作ってきたdocファイル、うちのワ○ドパッドで開けかれへんかったぞ。どないなってんねん」
「そんなら俺も言わしてもらうけど、なんだよ○太郎のあのデカさ。コンポーネント化の話、一体どうなってんだよ」
「うっ… そうなんや。結局うちの○太郎、HDD170Mも食いよって」
「まだいいわよAT○K11使えるだけ。うちのなんかいまだに8よ」
「じゃ、僕も言わせてもらうけど、オ○シスV4.0から4.1へのバージョンアップは無条件に無償で行うべきだね。ひどいよ、あれ」
 ラナちゃんとマーガりんは、そんな僕らを冷やかな目で見つめていた。
「難儀やなあ日本人は。そんなんエディターで十分やないか」
「ねえ」
 だが僕に言わせればラナちゃん、君には『もじ○じワープロ』が必要だ。

 僕らはいつしかぞろぞろと、キーボードを求めてアキバの最深部に足を踏み入れていた。ジャンキーな雰囲気がそこはかとなく漂うここは、僕のようなまともな人間の来る所ではない。ここはパソコンに時間を奪われ、部屋を奪われ、魂さえ奪われてしまった人間が最後に行き着く所だ。だが破格値で○指を探すにはやはりここしかない。
 だが、ジャンクショップを一軒のぞくたびに、みんなは大騒ぎだ。
「ああ〜っ、見てみて、これ!」
「なんや法子」
「初代マッ○ントッシュですか。しかも超美品…」
「欲しかったの、欲しかったのよ〜」
「よかったですねえ。じゃ、次行きましょ」
 …こいつ、実はジャンク品オタクだったのか。哀れな奴。他人のふりしよっと。
「うわ〜っ! これ、これ!!」
「どうしたの松井君」
「ああ、X68○00ですか」
「ただの68じゃないよ。68○30だよ! 北原、買ってえ」
「だからなんで僕が!」
「はい、次行きましょ」
 …僕のまわりってこんな奴ばかりかよ。
「う、うわあ〜〜っ! これ、これ!!」
「ご主人様、どないしはったの?」
「○ャープのスーパ○MZですね」
「そや。○ャープの技術屋根性がこの一台に結集した、当時の8ビット最速機やで」
「小林、マニアックすぎるんだよお前は!」
「次、行きましょうね」
 こんなの伏せ字にしたら誰も分からないぞ。
「…こんな奴らと来るんじゃなかった」
「みなさん、相当なマニアですねえ」
「ラナちゃんはこんな人の真似しちゃいけないよ」
 とその時ふっ、と顔をあげた僕の目の前に、とんでもない物がおいてあった。
「うわ〜っ!!」
「ど、どうしたんですか旦那」
「こ、これ、これ…」
 僕は中古パソコンショップの棚にドン、と置いてあるFM○6βを指さした。
「ああ、イチロクベ○タですか。往年の銘機ですね」
「欲しかったんだ、欲しかったんだよ、これ」
「旦那の好みが、一番マニアックじゃないですか」
「だって凄いんだよ。メモリは標準でなんと1メガ。確か4メガまで増設可能で… たしか増設1メガに10万くらいしたと思うけど。それに67Mのハードディスクも増設可能。それが確か90万で…」
「よく覚えてますねえ」
「それが全部ついてラナちゃん! なんと2万5千円で売ってるよ」
「凄いですねえ。じゃ、次行きましょうか」
 ああ、こんなところに長居してたら人間だめになってしまう。でもなんて楽しいんだ。一日中ウインドーショッピングしててもここなら飽きないだろう。でも今はそんな事してる場合じゃない。
「あっ、旦那。あれあれ!」
 …ああ、とうとうラナちゃんまでこの不治の病に侵されてしまったか。
「よかったねえラナちゃん。じゃ、次行こうか」
「そうじゃなくて、旦那ほら」
「あ〜っ!」
 ジャンク屋の隅に、捨てるようにたてかけてあるその汚らしいキーボードは、間違いなく、捜し求めていた○指シフトキーボード!
「すごいやラナちゃん。よくこんなの見つけたね!」
「でも、これ…」
 ラナちゃんはそれを手に取って眺めた。
「コネクタの形状が違いますね。残念だけど、使えませんよ」
「えーっ、そうなの? でもそこをなんとか頼むよラナちゃん」
「そう言われても、私じゃどうにも…」
「イチロクベ○タもペンティアム少女も、同じパソコンじゃない」
 ラナちゃんは口をとがらせた。
「あんなオバンと一緒にしないで下さい!」
「お、オバン…」
 僕はとりあえずなんとかならないものか、店員さんに相談しにいった。
「あの、これ、ウインドウズパソコンで使えないですか」
「…僕、店員じゃないんだけど」
 そう言って振り向いた牛乳ビン眼鏡のその男は…
「サ、サティアン!?」
「よう」
「サティアン君」
「全然気づかなかったぞ」
 店の雰囲気に完全に溶け込んでたから、てっきり店員かと思った。
「まあ、ここのおっさんとは確かに顔なじみだけどね…」
 サティアンとジャンクショップ。あまりにはまりすぎて怖い…
「これ、ラナちゃんに接続できないかと思ってね」
「サティアンさん、なんとかお願いします」
「うーん、いくらラナちゃんの頼みでもなあ…」
 サティアンはキーボードをひっくりかえしてながめていたが、
「…まあ、中のチップ載せ替えてコネクタ変換すれば使えなくはないけど… 5万円くれるならやってもいいよ」
「そんな金あったら純正キーボード買ってるって!」
 僕のアキバ探検は、こうして不毛なまま終わりを告げたのだった。

 秋の日暮れはあっという間に来る。
 僕らはいつものようにいつもの店でいつものラーメンを食べた。体はあったまったが心は寒かった。
「僕、来年はみんなと別れ別れかもね…」
「旦那…」
 ラナちゃんが辛そうに僕を見る。
「何言ってるのよ。まだ半日あるじゃない。元気だしなさいよ」
「うん… ありがとう法子」
「そうや。12時間あったらレポートくらい楽勝や。頑張りやリョウちゃん」
「ありがとう、マーガりん」
「俺らは、ただ黙って北原を見守るしかでけへん。ラナちゃん」
「はい」
「北原の事、頼むで」
 いつになくマジ顔の小林だった。
 ラナちゃんはしっかと頷いた。
「今日のラーメン代は、麻雀で勝った分、俺のおごりや」
「え、小林。だって…」
「北原。俺ら、来年も同じクラスや。ええな」
「…うん」
 小林。お前って奴は…
「北原。俺もお前の事、見守るしかできないけど…」
 松井は鞄の中からノートパソコンを取り出した。
「普通のキーボードだけど、ないよりマシだろ。これ、使ってくれよ」
「でも、これ、お前がいつも大事にしてる…」
「いいんだ。俺たち、友達だろ?」
「…ありがとう。頑張るよ」
 松井。お前って奴は…
「小林のおごりか… おっちゃん、もう一杯」
 サティアン。君って奴は…

 カチッ、カチッ…
 麻雀ではない。僕の情けない人指し指が、松井に借りたノートパソコンを叩く音だ。
 カチッ、カチッ…
 深夜、こうこうと明かりの灯った部屋で、僕はなめくじの歩むスピードでレポートを書いていた。自分で自分がもどかしかった。ただでさえ遅い指が、夜の冷え込みにかじかんで、なおさら思いどおりに動かない気がした。
「…ラナちゃん、悪い。お茶入れてくれるかな」
「は〜い」
 いつもなら絶妙のタイミングでお茶を出してくれるはずのラナちゃんは、何やら誰かとコソコソ電話してるみたいだ。
「旦那、お待たせ」
「ラナちゃん、誰と電話してたの?」
「…バレちゃいました?」
「狭い家だからね」
「本当はこんな事したくなかったんですけど…」
 申し訳なさそうにラナちゃんが言う。
「いざとなったら学校のコンピューターに侵入して、旦那の内申書書き替えようって…」
「ひ、ひえ〜っ!」
「…それでタバサと計画練ってたんですけど」
「ひえ〜っ、ひえ〜っ!」
「だって私、それくらいしかお役にたてませんから…」
「そ、そんな事で役にたってくれなくてもいいんだよ」
 ラナちゃんは唇をかんで立ち尽くしている。
「ごめんなさい… 私がキーボードなくしたばっかりに」
「もう済んだ事だよ」
「でも…」
 僕は首を振った。
「僕はね、ラナちゃんがいてくれるだけで元気が出るから」
 ラナちゃんはにっこりうなずいた。
「私、一生懸命、漢字覚えます。旦那のお役にたてるようになります」
「そうだね。ラナちゃん自身のためにもね」
「はい!」
「よーし、僕ももう一頑張りだ… あ〜っ、寒い時のお茶は格別だあ!」
「旦那。窓、閉めちゃいましょうか」
「ううん。窓開いてるほうが好きなんだ。でもちょっと寒いね」
「今、なんか羽織るもの出しますね」
 ラナちゃんは押入れを開けた。
「…冬物ってどこでしたっけ」
「ああ、一番奥にね、はんてんがあったと思うんだ」
「はんてんはんてん…」
 ラナちゃんは押入れの中を覗き込んだまま出てこない。どうしたんだろ…
 はっ! まさか、内緒の秘蔵うれしはずかし本を発見されてしまったのでは!?
「ラ、ラナちゃん。やっぱり僕が出すからいいよ。あは、あははは…」
 その時、ラナちゃんは僕の方を振り向いた。
「旦那、これ…」
 不思議そうな顔をしてラナちゃんが手にしていたものは…
「あああ〜〜っ!!」
「押入れの奥のつっかい棒に、つるしてあったんです」
 それは紛れもなく、僕の○指シフトキーボードだった。
「ああっ、そういえば!」
「そういえば!」
 僕とラナちゃんは同時に思い出した。あの日の事を。
 あれはまだ春の足音が聞こえるか聞こえないかという頃の事。そんなある日の夕暮れだった。その時僕はパソコン(つまりラナちゃん)で人には言えないゲームをやりながらくだらないテレビを見ていて…
「それで旦那、まだパソコンだった私にコーヒーこぼして…」
「それで慌ててキーボード洗って、陰干ししてたんだ」
 その直後、女の子になったラナちゃんが僕の家にきて、そんな事すっかり忘れて…
「じゃ、このキーボード、あの日からずっと、半年も…」
「そういう事になりますね」
 ラナちゃんは頷いた。
「よかったですね、旦那」
 ラナちゃんはにっこりして、僕にキーボードを差し出した。
「僕…」
 僕は首を振った。受け取れなかった。恥ずかしくてラナちゃんの顔、見れなかった。
「僕… ラナちゃんに、取り返しのつかない事しちゃった…」
 保護者気取りで、ラナちゃんの事、『嘘つき』なんて…
「いいんですよ、もう」
「でも…」
「過ぎた事です… 旦那がそう言ったじゃないですか」
「ラナちゃん… 怒ってないの?」
「もちろん」
「…許してくれる?」
「許すも許さないも…」
 僕は顔をあげてラナちゃんを見た。
「私が旦那の事、恨んだりするわけないじゃないですか」
 ラナちゃんの笑顔はまるで天使だった。
僕は思わず天使を抱きしめていた。あんなひどい事した僕には、そんな事する権利なんかない。でも、そうせずにはいられなかった。
「でもね…」
 僕の胸で、くぐもった声が聞こえる。
「本当は少し、悲しかったの…」
「…ごめん」
「とっても、悲しかったの…」
「もうあんな事言わない。約束する」
「いいの。約束なんて」
 ラナちゃんはもこもこと、僕の腕の中から顔を出して言った。
「だって旦那が、こんなに優しいんだもの」
「ラナちゃん…」
「さ、レポート片づけちゃいましょ」
 いつもの、元気いっぱいのラナちゃんがそこにいた。
「うん!」
 念願のキーボードは手に入った。そしてラナちゃんも、みんなも、僕の事、応援してくれてる。ここで頑張らなきゃ、男じゃない。
「旦那、接続完了しました」
「よーし。行くぞ、ラナちゃん!」
「はいっ!」
「うりゃ〜っ!」
 長年慣れ親しんだキーボードに久々に触れて10本の指が喜びに震える。下書きを読む僕の目が脳に信号を送るよりも早く、手首から先は僕とは別の生き物であるかのように、怒濤のように打ち込みを開始した。
「うりゃうりゃうりゃ〜っ」
「すごい。旦那、しゃべるより早いです!」
「ふっ… こうみえても僕は『○指トム』と異名をとる男なんだよ」
「すごい、すごい、すご〜い!」
 ラナちゃんは僕の荒技をはじめて目の当たりにして感動している。
「ラナちゃん、プリントアウトの方、頼んだよ」
「はい、もうこっちは任せて下さい。旦那に負けられません!」
「よーしラナちゃん、競争だ」
 入力された文書を確認するいとまもなく、ラナちゃんが即座にプリントアウトしていく。ミスタッチの許されない極限の打ち込みだ。だが今の僕は無敵だった。
「旦那、もう紙がありません」
「なんて事だ… だが僕の指はもう止まらん! ラナちゃん、ティッシュペーパーでもトイレットペーパーでも、なんでもいいから書くんだ!」
「感熱紙ならありますけど」
「上等!」
 そして早起きの鳥たちが朝の挨拶を交わす頃…
「ラナちゃん!」
「やりましたね!」
 遂に念願のレポートは完成したのだった。

 そして月曜日の朝。
「…おはよう」
「おはよう北原君… 目、真っ赤よ」
「大丈夫か!?」
「レポートはどないなった?」
「…なんとか」
 僕は鞄からノロノロと、松井に借りたノートパソコンを取り出した。
「これ、ありがとね。じゃ、おやすみ…」
 僕は崩れるように机に突っ伏した。
「ちょっとちょっと。北原、寝る前に」
「そや、寝る前に」
 なに、なんなんだ、小林と松井のその手は?
「…レポート」
「そや。レポートの入ったフロッピー」
「えっ、えっ!? お前ら、やってきたんじゃなかったの?」
 …こいつら。夕べはなんか調子がいいと思ったら、そういう事だったのか。
「そんな事だろうと思った」
 横でみていた法子があきれてつぶやく。
「でも、そんな事したらバレバレだろ?」
「大丈夫」
 松井が自慢げに解説する。
「俺のノートで『だ、である』と『です、ます』の一括変換すれば…」
「もう、ばっちり別物や」
 …お前ら、相当心臓強いな。
「な。俺たち、友達だろ」
「来年も一緒のクラス行くんやろ」
 小林と松井が僕の肩をポン、と叩く。
「でも、ないよ。フロッピー」
「何!?」
「だってデータはラナちゃんのハードディスクの中だもん」
「なんやて!!」
「北原。お前、ラナちゃん早く呼んでこい!」
「んな事言っても眠いんだよ…」
「あかん! もう間に合わん!!」
 と、そこへ。
「旦那ぁ!」
 ガラリと教室の扉を開けてラナちゃんが飛び込んで来た。
「あ、ラナちゃん!」
「ラナちゃん!!」
 ラナちゃんは、はい、と包みを差し出した。
「せっかく書いたレポート、忘れちゃ駄目じゃないですか」
「えっ?」
「ちゃぶ台の上に置いてありましたよ」
「あっ、そうだった」
「よかった〜!」
「天の助けや」
「…どうしたんです? 小林さんも松井さんも」
 手を取り合って喜ぶ二人を、ラナちゃんはきょとんと見つめている。
「いや、ラナちゃん。夕べ書いたレポートのデータ、見せてもらえるかな…」
「テキストファイルの事ですか? それが眠くてセーブし忘れて…」
「ひ〜〜っ!!」
「お二人とも優しいんですね。そんなに旦那の事心配してくれて… でも安心して下さい。ちゃんと一部だけプリントアウトしましたから」
「ひ〜〜っ! ひ〜〜っ!!」
 僕はクックッ、と笑いながら包みをのぞいた。
「…それにしても、大きな包みだね」
「はい。ついでだからお弁当も作ってきちゃいました」
「え、お弁当!?」
「急いで作ったけど、安心して下さいね。夕べの残りなんかじゃなくて、できたてのほっかほかですから」
「できたての、ほっかほか…」
 僕は不安げにラナちゃんに言った。
「で、夕べのレポート、この中に入ってるの?」
「はい。なくさないようにお弁当の下に」
「感熱紙でプリントアウトしたレポートが」
「はい、ばっちりほっかほか…」
 僕とラナちゃんは顔を見合わせた。
「ああ〜〜〜〜っ!!」
 僕とラナちゃんは争うようにして包みをひっぺがし、ほっかほかのお弁当の下敷きになっていたレポートを取り出した。
「あああぁぁ……」
 僕は目の前が真っ暗になった。包みから出てきた感熱紙のように……

(続く)


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