いつまで続くのか(とっくにネタぎれ)

〜アドバンスド・ワールド・MMXペンティアム少女ドラマ〜
『アキバ大パニック!』その8
――ラナちゃんの気持ち、僕の気持ちの巻――

 前回までのあらすじ

    ・ ・
 時に笑話17年。
 緒戦の大戦果に続き、珊瑚海、ミッドウェーの両海戦においても、我が連合艦隊は宿敵である米太平洋艦隊に対し、辛うじて勝利を収める事ができた。ここに至り、大本営は遂に敵根拠地ポートモレスビーへの総攻撃を決意する。
 だがその頃、時を同じくして、米海軍の残存戦力の全てをあげての、起死回生のトラック島奇襲作戦が発動されていたのであった……


 ――潮のかおりも海面40メートルのここまでは届かぬのか、それとも長い航海で感覚のほうが麻痺してしまっているのか、ここが海の上だということをともすれば忘れそうになる、そんなうららかな朝だった。
 太平洋の荒波にも数万トンの巨体は動じることはない。だが窓の外を見下ろせば、雲間からときおりのぞく陽光にきらめく水面と、そして彼方に見える僚艦とが、私のいる現実を思い出させてくれる。左舷を並んで進む『蒼龍』の、艦橋を取り巻くハンモックの白が、今朝はやけに眩しく私の目に映った。
「北原長官」
 艦橋という名の殺風景な鉄の檻に、稟とした声が小気味よく響きわたる。異例の大抜擢をうけ帝国海軍初の女性高級将校となったラナちゃん参謀長だ。
「長官、『利根』索敵機より入電です」
 私は鷹揚に頷いた。
「読み上げてくれたまえ」
 参謀長は一礼して電文を読み上げた。
「我、敵艦隊を発見せり。敵艦隊は空母を含むものと思われる」
 私は厳しい顔で頷いた。
 敵機動部隊がこの海域にいる事を我々は既に察知していた。だが何の対抗手段もとれずにいた。私の直卒するこの第一艦隊は空母八隻を含む大艦隊であったが、その実、南方攻略のための戦闘機を運ぶ輸送艦隊でしかなかった。なにより致命的だったのは八隻ある空母のどの艦にも、一機として攻撃機が積まれていない事だった。
 無論手をこまねいていたわけではない。『赤城』を始め正規空母三隻を主力とする第二艦隊を南雲君に預け、これが敵機動部隊を叩く手筈になっていた。だが偽の情報に踊らされ、第二艦隊は見当違いの海域をさまよっていた。
「第二報が入っています」
 参謀長が読み上げた。
「敵の現在位置、北緯八度二〇分、東経一四九度三〇分… 敵は空母『ホーネット』『エンタープライズ』『レキシントン』、他戦艦二隻、護衛艦多数…」
 私は思わず息をのんだ。
 常に冷静さを失わない参謀長の声も、かすかに震えている。
「こちらに向かっています。彼我の距離、約二五海里」
「総員、戦闘配置」
 考えるよりも早く、私は命令を下していた。突如として艦橋は騒がしくなった。
「艦隊速力、第四戦速二二ノットに増速!」
「直援機あげろ。急げ!」
 怒号が飛び交う。駆け回る足音。階下からは可燃物の調度品を叩き壊す音が聞こえてくる。喧騒の中、冷静さを装いながら、私の思考は混乱の極みにあった。
 もはや敵味方は互いに戦艦の射程距離内に入りつつある。なぜだ。敵はなぜ我々をレーダーで補足できなかったのだ? …罠か!? だとしても敵のたった三隻しかない空母を、その持ち駒の全てを目の前にして、攻撃もせずに逃げろというのか?
 『翔鶴』『瑞鶴』『蒼龍』『準鷹』『鳳翔』『龍驤』『祥鳳』そして新鋭の『阿蘇』。だがこれら八隻の空母を擁するこの第一艦隊が、万が一にも破れる事がもしあれば、連合艦隊に、いや日本に明日はない。そして今や我々の頼みの綱は、普段から艦隊のお荷物扱いをされていた二隻の戦艦だけだった。旧式鈍足ながら六基十二門の三六センチ砲を備えた『扶桑』と、そして私の座乗するこの『大和』だ。
「長官」
 参謀長が決断をうながす。私は目を閉じ、そして小さく、だがきっぱりと頷いた。
「戦闘、左砲戦。目標、敵空母群!」
 だがどうした事だ。参謀長からの応答がない。
「どうした参謀長、砲撃用意だ」
 振り向くと参謀長は、
「長官、ちょ〜っと待ってて下さいね。今だんなっちにごはんあげてますから」
「うわお〜っ! 参謀長、こんな時にたまごっちするな〜!!」
「だってえ、こんなにおなか空かせてるんですよ… ほーらお口あけて、はいアーン」
「それどころじゃない! 皇国の興廃がこの一戦にかかっているんだ!」
「だって旦那あ」
「旦那じゃないの、司令長官!」
「あ、そうでした長官」
「ええい参謀長、コントローラーを貸したまえ! こうなったら私が」
「そんな、まさか長官みずから!?」
「構わん!」
 とその時、ヒュルルル、ヒュルルル… と縁起の悪い音が。
「長官、敵弾です」
「しまったあ〜っ!」
ズズ〜ン、ドド〜ン、ドッカ〜ン!
「まあ大変」
「うわ〜っ! 私の、私の『大和』が〜!!」
 ブクブクブク… 哀れ、我が帝国海軍の誇る超弩級戦艦は、敵主力を目前にしながら自慢の四六センチ主砲を一度も放つ事なく、虚しく海中に没したのであった…

 お昼のチャイムが鳴ってもラナちゃんは教室に現れなかった。
「今日はどないしたんやろな、ラナちゃん」
「さあな」
 やっぱり今日は来ないんだな。怒ってんだろな。昨日の今日だもんな。
「小林、購買行こうか」
 その時、教室の扉をガラリと開けて、
「ちわー、三河屋で〜す」
 ラナちゃんが入ってきた。
「おっ、噂をすればやな」
 僕は慌ててそっぽをむいた。ラナちゃんは僕のところにつかつかとやってきた。
「はい旦那、お弁当。ツーン」
「ありがとうラナちゃん。ムスッ」
「なんや、夫婦喧嘩かいな!?」
 小林の一言に、教室に残っていた連中はたちまち野次馬と化した。
「え〜、ラナちゃんと北原が!?」
「うそ!」
「雪降るんじゃないの」
 たちまちできた人垣をかき分けて、こういうのに目がない法子がやってきた。
「はいはい、御免なさいよ」
 デジカメのフラッシュの中、法子はマイクがわりの割り箸をラナちゃんに向けた。
「ラナちゃん。離婚の原因は!?」
「だって、旦那がひどいんだもん」
「なるほど、それは北原君が悪い」
「まだなんにも言ってないだろ」
「ど〜せ北原君が悪い、というのがみんなの一致した意見ですが… 何か言い分ある?」
「だってね…」
 僕は拗ねた目でラナちゃんを見た。
「僕とだんなっちと、一体どっちが大事なの?」
「だからあ、どっちが大事とかそういう問題じゃないって、何度も言ってるじゃないですか」
「なるほど。たまごっちをめぐる痴情のもつれが原因、と…」
 みんな、あきれかえっていた。
「…始めて見たぞ。たまごっちにやきもちやいてる奴なんて」
「…あ、あほくさ」
 そんな中、僕らの痴話喧嘩は続いていた。
「だってだんなっちは、ちょっと目を離したらすぐ病気になっちゃうんですよ。その点、旦那なんか二、三日エサあげなくてもピンピンしてるじゃないですか」
「人をカマキリみたいに言わないでくれる」
「旦那こそ、だんなっちと大○略と、いったいどっちが大事だと思ってるんです?」
「そんなの! 大○略に決まって…」
 みんなの冷たい視線がじと〜っ、と僕を見る。
「…だんなっちです」
 『泣き寝入り』。その言葉が僕の脳裡をよぎった。
 そうだった。小林も松井も法子もみんな、ラナちゃんの味方なんだ。『大和』の主砲が敵空母の飛行甲板をブリキのように貫く快感を、その千載一遇のチャンスを目前で奪われた悲しみを、誰も分かっちゃくれないんだ。いいさ、分かってる。天才は常に孤独なんだ。もうこうなったら歌っちゃうよ。ららら〜。
 そんな僕を捨ておいて、みんなはラナちゃんに群がった。
「ラナちゃん、だんなっち見せてよ」
「そうそう。見せて見せて」
「見て見て、今こんななの」
「わ〜、可愛い」
「なあなあ、うちにも見せてえな」
「おおっ!? マーガレット、いつの間に」
「マーガりんもエサ、食べる?」
「あのなあ」
 みんながラナちゃんを囲んではしゃぐ中、僕は冷えきったお弁当を黙々と食ってた。ああ冷たい。この冷たいご飯つぶ一つひとつが、僕とラナちゃんの冷えきった男女関係を象徴してるようだ。
「ラナちゃん、お茶ちょうだい」
「はいどうぞ」
 『鯖』と書かれた特大の湯飲みを、ラナちゃんは急須ごとドンとよこした。
「ねえねえ、この子いくつ?」
「もうすぐ80歳になるの」
「え〜っ! ほんとかよ」
「ちなみにうちは0歳や」
「いいなあ。うちの子なんかすぐ死んじゃって…」
「そりゃ法子が育てるんじゃなあ」
「どういう意味よ!」
「…みんな、うちの話聞いてる?」
 『蚊帳の外』。その言葉が僕の脳裡をよぎった。
 くそ〜、飲んでやる。これが飲まずにいられるかってんだ。僕は『鯖』と書かれた湯飲みになみなみとお茶を注ぎゴボゴボと飲みほした。
「…リョウちゃ〜ん」
「ん、どうしたマーガりん」
「みんな、だんなっちだんなっちって、うちの事構てくれへんねん」
「…お前も食うか?」
「リョウちゃん、ええ人やな」
 僕はたくあんをかじりながらお茶を、マーガりんはポリゴンたくあんをかじりながらバーチャルお茶をすすった。そうとも。なにが『だんなっち』だ。あんなののどこが可愛いんだか。だいたい名前がよくない名前が。
「それにしてもこいつ…」
「うんうん。見ればみるほど…」
 またしてもみんながじと〜っ、と、今度は笑いをこらえた顔で僕をみる。
「な、なんだよ!?」
「ね、パパそっくりでしょ」
「誰がパパか、誰が!?」
 僕はそんな子、認知した覚えはないぞ。
「ひ、ひどいです旦那…」
「よ〜見てみい北原。似てるもなにも、生き写しやないか」
「僕とおやじっちと、どこが似てるのどこが!」
「どこがって、どこもかしこも、もう目元なんか北原君そのまんま」
「どれどれ。おやなるほど良く見りゃうりふたつ… って、言わせるなあ!」
「…リョウちゃん、こんなときでもノリだけはええなあ」
「ねえ、旦那もいつまでもスネてないで、だんなっちと遊んであげて下さいよ」
「そうそう」
 ラナちゃんたらみんなを味方につけて、ずるいよ。
「嫌だ」
 プイと横を向いた。瞬間、ラナちゃんの顔が曇った。
 そんな顔しないでよ。悲しいのは僕のほうなんだから。

 校門を出てみんなと別れると、誰かさんの予言通りに雪がちらついてきた。
 『やきもち』。さっきそう言われるまで気づかなかった。自分がやきもちをやいてる事に。始めてだったから。きっと今まで、本気で誰かを好きになった事なかったから。
 帰り道の商店街を歩いてると、師走の人ごみの中にラナちゃんを見つけた。きっと夕ごはんの買い物してくれてるんだ。いっそ知らんふりして通り過ぎようかと思った。その時、手に持っていた空のお弁当箱がカラン、と音をたてた。
 やっぱり謝ったほうがいいんだろな。でもなんて言えばいいんだろ。『たまごっちの事、ごめんね』… これでいいかな。『たまごっちの事ごめんね』、『たまごっちの事ごめんね』…
「おかえりなさい」
「わっ!?」
 いつの間にかラナちゃんが目の前に立っていた。買い物かごをぶらさげて。
 僕はどぎまぎして言った。
「あの、ラナちゃん… ご、ごまごっちの事、あと、えと、あと…」
 …『ごまごっち』って、なに?
「何言ってるんです」
 きょとんとした顔のラナちゃんは、スッ、と僕の手をとった。
「一緒に帰りましょ」
「う、うん…」
 ラナちゃんの手はとても冷たかった。
「ラナちゃん、寒くないの? そんな薄着で」
「今くらいのほうが涼しくて気持ちいいですよ。でも結露しちゃうと困りますけど」
「そ、そう」
「旦那だって夏の間、あんなに暑い暑いって言ってたじゃないですか」
「暑い時は暑いし、寒い時は寒いんだよ」
「ふうん… 人間て不便ですねえ」
 降る雪をCPUクーラーで溶かして遊んでたラナちゃんが不意に立ち止まった。
「あ、旦那。私もなんかこう、急に寒くなってきました」
「え!? ヤバいよそれ。ひょっとして風邪じゃないの」
「ああ寒い。なんかあったかいもの食べたいな、あったかいもの…」
 ラナちゃんの視線は、こないだできたばかりのワッフル屋に注がれていた。
「ねっ旦那」
「…はいはい」
 まったく。いつだって女の子って、甘いものに弱いんだから。
 そしていつだって男って、そんな女の子の笑顔に弱いんだよな。

「お〜いしい!」
「そう? ちょっと甘すぎ」
「じゃ、旦那のも下さい。アムッ」
「あ〜っ、じゃ僕もアムッ」
 やっとちょっとだけ、いつもの二人に戻れた。
 家に近づくにつれ人通りも絶え、降ったばかりの雪がもう道端の草に積もっていた。
「ラナちゃん、足元滑るから気をつけてね」
「はい… キャッ!」
「もう。言ってるそばから… 大丈夫?」
 僕は手をひいてラナちゃんを起こそうとした。
「よいしょっと」
「あっ!?」
 勢いあまったラナちゃんが僕の胸に飛び込んできた。
「ごめん、痛くなかった?」
「うん… わあ、旦那ってあったかい」
 ラナちゃんは安らかな顔をして目を閉じた。ちょっとちょっと、そんな安心しきった顔で寄りかからないでよ。困ったな…
 いやちょっと待て。これは困ったどころではなく、ものすごいチャンスなのでは!? この間からのギクシャクした関係にピリオドをうち、それどころかより親しい間柄への一歩を踏み出す、半期に一度の大バーゲン。これはもう『大和』の46センチどころの話ではない。そうだ、今しかない!
 冷静に、こんな時こそ冷静になるんだ。通行人、なし。もっとも恐れているラブコメばばあもいない。状況はオールグリーン、よし攻撃開始だ。目標との距離、約5センチ。方位修正、上下角修正、いけるぞ。目標到達時刻まであと3、2、1…
「あ〜っ」
 突然のラナちゃんの声に、僕はバビュ〜ン、と後ずさりした。
「ど、ど、どうしたのラナちゃん」
 5メートル先から、僕はラナちゃんに尋ねた。
「あの… その… だんなっちがウンチしちゃって…」
 申し訳なさそうにラナちゃんが言った。
「ああ、そう」
 …いいよ。もう知らない。ラナちゃんの、ばか。

 デパートの最上階、副都心が一望できる喫茶店の窓際の席で、こうして法子と一緒にいるのは、なんか不思議な気分だった。
「法子、口紅してんだな」
「当たり前。大人だもん」
 場所が変わって服が変わってこうして二人でいるとまるでデートみたいだ。だけどなんだかんだいってこんな時に頼れる奴といえば、やっぱり法子しかいないもんな。
「…そんなもん食って、寒くないのか?」
 冬だというのに法子は、到着したばかりの巨大なチョコパフェの掘削に余念がない。
「食べる?」
 ブルブル… こっちはようやく来たコーヒーで冷えきった体を温めてる最中なのに。吹きっさらしの場所で遅刻魔の法子と待ち合わせなんて、思えば僕が馬鹿だった。
「ほら、手なんかまだガチガチだよ」
「どれどれ」
 法子は僕の手をむんず、と掴んだ。
「本当だ。こりゃ冷たいわ」
 法子の手はラナちゃんと違ってあたたかだった。
「ところで… ラナちゃんとは、まだコレ?」
 法子は指でバツ印を作った。
「ん、まあ…」
「そりゃ、悪い事したわね」
「法子のせいじゃないよ」
 法子はこんな性格にみえて、ラナちゃんの誕生日プレゼントをたまごっちにした事、気にしてくれてるらしい。だけど法子がたまごっちって言いだした時、僕もそれが一番いいと思った。僕が学校に行ってる間、きっとラナちゃん退屈してると思って…
「ラナちゃんが悪いんだよ。あの可愛がり方、異常だもん」
「確かにちょっとね。ラナちゃん、とっても優しいから」
「……」
 だんなっちにだけ優しくしてたって、僕は嬉しくない。
「みんなにもらったプレゼントだから、だからあんなに一生懸命、大事に育ててくれてるのよね。みんなの気持ち大事にして…」
「あ…」
 まただ。こないだのやきもちといい、今の事といい、なんで僕、そんな事さえ気づかなかったんだろう。これじゃまるで子供だ。
「今度は慎重に選ばないとね。たまごっちの二の舞にならないように」
「うん」
「一応、下調べしといたんだけどね… こんなのどう?」
 法子は持ってきたファッション雑誌を広げて、僕に見せた。
「…ちょっと大人っぽすぎない?」
「北原君の好みが子供っぽすぎるのよ」
 いつだって法子は痛いところをついてくる。
「女の子って、男が考えてるより、よっぽど『女』なんだから」
「そんなもんかな」
「まあ、実際見てみないと決められないけどね… じゃ、そろそろ行こうか」
「うん」
 これ以上子供にみられたくなくて、ひったくるようにレシートを取った。

 ラナちゃんへのプレゼントを大きな袋の底に隠して、僕は家に戻った。
 困った顔のラナちゃんが出迎えた。
「旦那、夕ごはんの支度してたら… ガスコンロが壊れちゃって」
「ガスコンロ!? ああ、それなら心配ないよ。壊れたんじゃなくて、止められたの」
「!?」
「つまりね、ガス代払うまで、ガスは使えないの」
「えっ、えっ、それじゃ大変じゃないですか!」
「まあね。でももうすぐバイト代入るから」
 これもラナちゃんのプレゼントを買うための尊い犠牲だ。
「…旦那、よくそんなで落ちついてられますね」
「これくらいで驚いてちゃ、貧乏学生はつとまらないよ」
「わあ、旦那って大物なんだ」
 ラナちゃんは妙に感心してる。
「今日は夕ごはんはいいよ、軽く食べてきたから。はい、これはラナちゃんに」
「わあ、ひよこまんじゅう! ところでその大っきな荷物は?」
「ああこれ? 小林に貸してたビデオテープとか」
「凄い量ですね」
「とりあえず押入れにでもしまっとこうかなって」
「え、押入れ…!? いいですいいです! 後で私がやっときますから」
「いいよいいよ。それくらい自分で」
「いいですいいです」
「いいよいいよ」
 僕がかまわず押入れを開けると、
「うあ〜っ!」
 ドド〜ッ… 押入れから雪崩のように白いものが崩れ落ちてきた。
「なにこれ!?」
 それは花だった。押入れからこぼれた真っ白い花が、部屋いっぱいを飾っていた。
「あ、あの、その、私、実は、お花集めるのが大好きで…」
 しどろもどろのラナちゃんだった。
「お花ったって、なにもこんなに…」
 僕はその花の一輪を手にして、よく眺めた。
「…造花!?」
 きまりわるそうにラナちゃんが僕を見た。
「これって、ひょっとして…」
「はあ… 実は… 内職をちょこっと」
 『内職』といっても授業中にノートに漫画を書くのとはわけが違う。正真正銘、本物の内職だ。まさか現代日本にこんなものがまだあったなんて。
「言えば旦那が怒ると思って…」
「怒るとか怒らないとかじゃなくて」
 僕はどう言っていいか分からず頭をかいた。
「そりゃ僕、貧乏だけど。でもラナちゃんに心配かけないようにはしてるつもりだよ」
 といってもガス代も払えない僕の言葉には、全く説得力がなかった。
「分かるだろ。僕、ラナちゃんにそんな事してほしくないんだ」
 ラナちゃんはこくりと頷いた。
「でも私… クリスマスには大事な人にプレゼント贈るものだって聞いたから… それで私も…」
 僕には何も言い返せなかった。
 造花は本物と見間違うほどの出来だった。おまけにどれ一つとっても寸分違わぬ正確さだった。日本内職協会の人がこれを見たら間違いなく表彰ものだろう。
「…ありがとね、ラナちゃん」
「もう、怒ってません?」
「最初っから怒ってなんかないって」
 怒れるわけない。これで怒れる人がいたら人間じゃない。
「よかった」
 ラナちゃんがホッとしたのも束の間、たまごっちがごはんをねだる音がした。
「あ…」
 ラナちゃんが僕の顔色をうかがっている。
 こんなに素直で明るくて優しい子なのに、そんなラナちゃんにこんな悲しい顔をさせてるのが、たまごっちでも他の誰でもない、よりにもよって僕だなんて。
「だんなっちに、ごはんあげるんでしょ」
「…うん」
「それ、僕にやらせてくれない?」
 ラナちゃんの表情がパッ、と輝いた。
「はい!」
 なんで今まで、こんな簡単な一言が言えなかったんだろう。

 僕とラナちゃんは部屋いっぱいの花の中、壁にもたれて座ってた。僕は片手でラナちゃんの髪を撫でながら、もう片方の手でだんなっちとジャンケンをしていた。ラナちゃんは僕によりかかるようにしてひよこまんじゅうを頬張ってた。
「はい、旦那も」
「ありがと」
「…旦那」
「なに」
「…なんでもない」
 こんなに時間がゆったりと感じるのは始めてだった。
「あ、だんなっち寝ちゃったよ」
「ほんとだ… 旦那、ありがとう。だんなっちのお世話してくれて」
「どういたしまして」
「じゃあ旦那がたまごっちしてくれたから、今度は私が…」
「えっ、なになに」
 ラナちゃんは意味ありげに目くばせする。
「旦那、ちょっと耳貸して」
「ほい」
「あのね… ごにょごにょ」
「ええっ、本当!?」
 ラナちゃんはにっこり笑った。
「たまには、敵味方でやりません?」
「おお、望むところだ!」
 こうして夢にまでみた頂上決戦が始まった。お花畑の部屋の中で僕とラナちゃんの大○略。まだイブイブだというのに、僕のサンタさんからの最高のプレゼントだ。
「でもやるからには、たとえ旦那でも容赦しませんよ」
「ククク… 言ってくれるね。でもその強がりがいつまで続くかな?」
「旦那こそ、今のうちに負けた時の言いわけ考えといた方がいいですよ」
「なにをこしゃくな小娘が。ひとひねりにしてくれるわ」
 言葉による前哨戦はすでに始まっていた。そして僕とラナちゃんの戦いは、血で血を洗う壮絶な戦いになるはずだった。しかし…
「くっ… 馬鹿な… こんなはずは…」
「さあ旦那、こんな時なんて言うんでしたっけ」
「くっ、くぅ〜っ!」
「男らしく負けを認めたらどうです? それとも首都ボコボコにしちゃいましょうか」
「ええいラナちゃん、もう一度だ!」
 それは血で血を洗う壮絶な戦いになるはずだった。しかし…
「さ、そろそろゲーム片づけて寝ましょ」
「やだやだ。僕が勝つまでやるんだい」
「そんなのずる〜い」
「僕は勝つためには手段を選ばんのだ。さあラナちゃん!」
「しくしく…」
 それは血で血を洗う壮絶な戦いになるはずだった。しかし…
「わあ、やっぱり旦那が本気出すと強いですね〜 まいったまいった」
「……」
「じゃあそろそろゲーム片づけて、寝ちゃいましょ、寝ちゃいましょ」
「…ラナちゃん。手抜きで勝たせてもらって、この僕が喜ぶとでも思っているのか!」
「だってえ、旦那が勝つまでやるって言うから」
「ええい、このままではプライドが許さん! さあラナちゃん、もう一度だ!!」
「あ〜ん、やっぱり旦那と大○略なんかするんじゃなかった〜」
 でも、本当によかった。やっとラナちゃんと、仲直りできた。
「ねえ旦那あ。笑ってないでもう寝ましょうよお…」
 夜はふけて… いや、明けていった…

 朝のラナちゃんは、味噌汁の匂いのするラナちゃんだ。
「旦那、いつまで寝てるんです!? 朝ごはんの支度、できましたよ」
 笑って振り向くエプロン姿のラナちゃんだ。
 だけどその朝、味噌汁の匂いのする前に僕は目覚めた。そうか、ガス止められてたんだ。ぼ〜っとした頭で僕は考えていた。
 ふと横を見るとラナちゃんはまだ静かに眠っていた。夕べと同じ、花いっぱいに囲まれて。まるで眠れる森のお姫様みたいだ。僕はなんだか嬉しくなってじっとラナちゃんの寝顔をみつめていた。
 ところで今何時だろ、なんだか空が明るいけど。なにげなく見たラジカセの時計を見て、僕はびっくりした。11時半!?
 なんで目覚ましのやつ、鳴らないんだよ。小林達とクリスマスパーティーの前準備、約束してるのに。僕は八つ当たりでもするようにラジカセのスイッチを入れたり消したりした。そしてようやく、とんでもない事に気づいた。
 ガスだけじゃなく、電気も止められたんだ。
 電話やガスなら止められてもいい。でも電気は、それだけは絶対にやばい。
 だって電気がないとパソコンは動かないんだから!
「ラナちゃん!」
 くそっ、なんでさっき気づかなかったんだろ。ラナちゃんのCPUクーラーが止まってる。僕は慌ててラナちゃんを揺さぶった。
「ラナちゃん、ラナちゃん!」
「う… ん… 駄目… もうこれ以上は…」
 ラナちゃんはのんきに寝言いってる。夢でもみてるんだろうか。
「もう… 食べられないの…」
 一瞬ぼ〜っ、と目を開けたラナちゃんは、また安らかな寝顔でスヤスヤと寝入ってしまった。どうやら電源の供給をストップされて自動的にサスペンドモードに入ったらしい。内部電源はまだ死んでないみたいだし、まずは一安心か。
 それにしてもしくじった。忘れていたわけじゃない。今日入ってくるバイト料を直接払い込みに行けばギリギリ間に合う計算だった。僕の読みが一日甘かったのだ。
 僕は腕を袖に通すのももどかしく、急いで身支度を整えた。悔しかった。例え何時間かでも、自分のミスでラナちゃんの時間を奪ってしまった事が。素早く書いたメモ書きをラナちゃんの枕元に残して、僕は家を出た。

 銀行を出た足で即、払い込みに行った。そしてやっぱりラナちゃんが気になって、小林にことわりの電話を入れて、そのまま家に戻った。
 ラナちゃんはもう起き上がっていた。花も布団もシュラフも片づけられた部屋の真ん中に、ポツンと正座していた。
「ラナちゃん、よかった」
 ラナちゃんはうつろな表情で僕のほうを振り向いた。
「…旦那」
「…どうしたの?」
「だんなっちが…」
 僕はラナちゃんの傍らのディスプレイをのぞきこんだ。
 画面に映っているのは、お墓だった。
 その回りをとんでいる幽霊はきっとだんなっちの成れの果てなんだろう。
「あ…」
 何を言っていいか分からなかった。僕がラナちゃんから奪った数時間が、だんなっちに、ラナちゃんに、取り返しのつかない事をしてしまった。
「…ごめん」
「旦那のせいじゃありません」
 その言葉は、言葉の意味とはうらはらに、僕の心臓をさらに締めつけた。
「いつかこうなるのは、分かってましたから…」
「…ごめん」
 ラナちゃんはもうだんなっちを見ていなかった。窓の外をじっとみつめていた。

 ラナちゃんの充電時間を見計らって、僕はラナちゃんを昼食に連れだした。そんな事で許されるはずもないのは分かってる。でも今は、あの家にいたくなかった。
 スープの音とスプーンの音がやけに大きく聞こえる食事だった。
 僕は正直、ラナちゃんがここまでショックを受けるとは思っていなかった。
「…優しいんだね、ラナちゃん」
 そう、人並みはずれて優しいラナちゃんだから。でもそのおかげで僕はまるで人殺しでもしたかのような罪悪感を背負わなくちゃいけない。たかがたまごっちなのに。
「優しくなんか、ありません」
 ラナちゃんは首をふった。
「違うんです。旦那、誤解してます。私、そんなじゃないんです」
 ラナちゃんの言う事が、僕にはさっぱり分からなかった。
「私、ちっとも優しくなんかありません… わがままで、残酷なんです」
 僕は思わずゆがんだ笑みを浮かべた。『わがまま』とか『残酷』とか、ラナちゃんにはちっとも似合わない言葉だった。まして自分の事そんなふうに言うなんて。
「…ラナちゃん。とりあえず、出よっか」
 今日のラナちゃんはちょっと変だと思った。

 帰り道の国道は、トラックの行き交う騒音で自分の声さえ聞き取りにくいほどだった。そのほうが気が楽だった。こんな日は。
「…私、あの子のこと一生懸命育てたの。みんなにもらったたまごっちだったから」
 僕が尋ねるでもなく、ラナちゃんは話しはじめた。
「でも本当はちょっと、辛かったの…」
「僕がやきもちなんかやいたから… 子供だったんだ、僕」
「…やきもちやいてたのは、旦那だけじゃなかったかもしれません」
 えっ!?
「私、ひょっとしたらだんなっちの事、可愛がるふりしてただけなのかも…」
 そんな事ない。そう言おうとしてやめた。ラナちゃんの心の中、僕はどれだけ分かってるというんだろう。
「今朝起きたらあの子が死んでて…」
 ラナちゃんは不意に立ち止まって僕をみつめた。
「その時、どこかでほっとしてる自分がいたの。その時、気づいたの」
 ラナちゃんの目はとても澄んでいた。残酷なほど。
「私、本当はあの子に、死んでもらいたかったんじゃないかって…」
 トラックの弾けるような騒音が、ラナちゃんの髪をかきあげて通り過ぎた。

「…ラナちゃんは、やっぱり優しいと思うよ」
 もう夕日があたりを照らす頃になってようやく、僕はラナちゃんにそう言った。
「そんな気持ちでいても、それでも、あんなにだんなっちの事、可愛がってあげてたんだから…」
 僕とラナちゃんは一日何もせず、今は家の窓から夕日をながめていた。もうそろそろパーティーの始まる頃だろう。
「…言葉って、不思議ですね」
 今日始めてみる、ラナちゃんの笑顔だった。
「旦那の言葉聞くと、嬉しくなっちゃいます… たとえ嘘でも本当でも」
 そう、嘘だった。僕は今日、始めてラナちゃんの事、残酷だと思った。でもたとえ嘘でもごまかしでも、ラナちゃんを喜ばせるためだったら何のためらいもなく言える。きっと僕も残酷なのだろう。
「ねえ、ラナちゃん」
 僕はあれから考えていた。僕がラナちゃんにしてあげられる事。
「あのね、ラナちゃんがよかったらだけど… もう一度だんなっち、育てようよ」
 ラナちゃんは微笑みをうかべたまま、何も言わない。
「今度は絶対やきもちやかない。二人で一緒に育てようよ、リセットして最初から」
 ラナちゃんはゆっくりと首を振った。
「でも… じゃないと僕の気がすまないんだ」
 開け放した窓から、冷たい風がラナちゃんの髪をカーテンのようにくすぐった。
「あの子はもう死んだの。だからそれっきり… たかがたまごっちにって、変に思われるのは分かってるけど…」
 ラナちゃんの言葉は優しかったけど、強い意思が感じられた。
「でもこれは、私の… ラナのわがままですから…」
 やっぱり今日のラナちゃんは変だ。でもいつもと違うそんなラナちゃんが、僕にはとても素敵に思えた。
「…うん。分かった」
「ありがとう、旦那…」
「ラナちゃん。もっとわがまま言ってくれていいんだよ」
「……」
「だっていつも、わがまま言わなさすぎだもん、ラナちゃん」
 ラナちゃんの目が静かに僕を見る。
「僕にできる事だったら… ううん、出来なくたって、してみせるから」
 ラナちゃんの目がいたずらっぽく笑った。
「…本当?」
 なんて顔するんだろラナちゃん。なんにも知らないくせに何もかも知ってるような、そんな顔だった。
「いいんですか」
「うん」
 なんかわくわくしてきた。僕がラナちゃんのために何かしてあげられる。ラナちゃんのわがままって、一体何だろう。
「でも、やっぱり…」
「いいんだよ。遠慮なんか」
 ラナちゃんはうつむいて頷くだけだった。
「はっきりしないラナちゃんは、好きじゃない」
 ラナちゃんは何か観念したように顔を上げた。そして窓を閉め、僕の方を向いた。
 吸い込まれそうな瞳だった。底無しのように澄んでいて、それでいて燃えるような瞳だった。目をそらすとやけどしそうだった。
「旦那… 私を…」
 まるで怒ったようにラナちゃんは言った。
「私を… 抱いて下さい」
 今、なんて言ったの? うそ。そんな事、言うはずない。
 ラナちゃんがそんな事言うはずない。
 そう思いながら、僕はラナちゃんの視線から目をそらす事ができなかった。
「なんで… そんな…」
 喉がカラカラに乾く思いだった。
「怖いんです。私…」
「怖いなら」
 抱かれたいなんて言わなけりゃいいじゃない。
 ラナちゃんはかすかに首を振った。僕の目をにらみつけたまま。
「怖いから…」
 ラナちゃんの肩が小刻みに震えているのにも、僕の肩も同じように震えているのにも、僕は気づいてなかった。
「…お願い。二度も言わせないで」
 かすれた声に、刺さるようなラナちゃんの視線に、僕はもう耐えられなかった。
 もう、逃げる術はなかった。
 僕はぎゅっと抱きしめていた。ラナちゃんを。二人まるでそっぽを向いたまま。
 僕だってどれだけ、ラナちゃんの事、自分だけのものにしたかったかしれない。もしもラナちゃんが人間だったなら。
 いや、違う。僕も怖かったんだ。逃げてたんだ。ラナちゃんとずっと今のままでいたかった。でももう後戻りできない。ううん、後戻りしない。
 この瞬間にラナちゃんは人間でもパソコンでもない、僕だけのラナちゃんになった。

 時間なんてものはとっくに消え失せていた。
「…ラナちゃん」
 僕はまるで、遠いところにいる人に話しかけるように、ささやいた。
「ひとつ教えて… 何が怖かったの?」
「私、怖かったの…」
 その声もまるで遠いところから聞こえてくるようだった。
「私もいつか、たまごっちみたいにリセットされちゃうんじゃないかって…」
 声には出さなかったけど、僕の驚きは腕枕を通して彼女に伝わった。
「ううん、旦那がそんな事するはずないって分かってる。でも、とっても怖かったの…」
「……」
「そうしていつか、旦那の事を忘れてしまって、忘れた事も忘れてしまって… 全然知らない他の誰かとどこかで一緒に暮らしてるんじゃないかって… そんな事考えて、怖くて怖くて、仕方なかったの」
 僕はただ、黙ってラナちゃんの横顔を見つめていた。
「でも、不思議なの… 今はもう、ちっとも怖くないの」
 天井をみていたラナちゃんの表情が和らいだ。
「旦那に私の事、ギュッ、て抱きしめてもらって、そうしたらもう、何にも怖いものなくなっちゃったの」
 そう言い終えてラナちゃんは僕を見た。
「…不思議だね」
「うん…」
 僕らはそのまま二人して、馬鹿みたいに天井ばかり見つめてた。

「旦那、朝ですよ。起きて下さい!」
 僕が眠い目をこすると、ラナちゃんが味噌汁を作っているところだった。
 気がつくと枕元にリボン飾りのプレゼントが置いてある。
「気に入ってもらえると嬉しいんですけど」
 中から出てきたのはランチジャーとマフラーだった。
 ラナちゃんはいつもと変わらない笑顔で僕をむかえる。
 変わってしまったのは、僕の方かもしれない。
「…どうしたんです? なんかついてます、私の顔!?」
「ううん」
 昨日よりもっと、ラナちゃんのこと好きになってる自分がいた。

(続く)


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