小林んちは庭つきの立派な一軒家だった。だけど一歩あいつの部屋に足を踏み入れると、そこはまるでラナちゃんが来る前の僕の部屋のようだった。壁を埋める本棚と漫画とビデオテープ、ガラスケースに入ったフィギュアの妖精たち。それでも飽き足らず床いっぱいに散らばったアニメとパソコンの本。おまけにあいつ自慢のバ○ュースターときたら周辺機器ともども部屋の真ん中のコタツの上にドンと置かれていた。
 僕はそのコタツに入りながら、慣れないマシンをなだめすかしていた。
「ZIPって、これでいいの?」
「そや。Eドライブや」
「うちのと全然違うんだもんなあ」
 小林はそんな僕を横目で見ながら口いっぱいにミカンをほおばっている。
「なあ北原、なんでラナちゃん連れてこんかったんや」
 よくもそんな状態でしゃべれるものだ。まあ小林の気持ちは分かる。ラナちゃんが来れば小林もマーガりんに会えるから。だけど今日はそういうわけにはいかなかった。
「これでいいの?」
「OKや」
 僕はようやくZIPドライブのデータ消去画面にたどり着き、そしてポケットから一枚のディスクを取り出した。ここにはかけがえのないデータが入っている。この世に一枚しかない、とても貴重なデータが。
「そやけどお前、データの消去くらいラナちゃんにやってもろたらええやないか」
 駄目なんだ。それができるようなら苦労はない。本当はラナちゃんもこのディスクの事、うすうす感づいてるんだろう。だからといって彼女にこのデータの消去をお願いするほど、僕は無神経じゃない。
 ディスクの中身はラナちゃんのバックアップデータ、彼女の人格そのもののコピーだった。僕はラナちゃんに気づかれないよう、随分苦労してこのバックアップをとった。ラナちゃんに万一の事があった時のために。僕のためにも、ラナちゃんのためにも、それが一番いいと思ってた。
 でもラナちゃんはそんなもの望んでいなかった。リセットされるのが怖いと、ラナちゃんは言った。ラナちゃんは一度きりの人生を一生懸命生きたいんだ、人間と同じように。それが彼女の望みなら、僕はもう迷わない。
 僕はディスクをドライブに挿入し、エンターキーを叩いた。あっけないくらい簡単にデータの消去は終了した。
 取り出したディスクをながめているうちに、僕はなんだかそのディスクそのものが僕にとって汚らわしいもののように思えてきた。
「小林、よかったらこれあげるよ」
「え、ほんまか」
 小林が驚くのも無理はない。ZIPディスクは学生の僕らには高価な代物だ。
「ええのか」
「いいよ」
 小林は半信半疑で僕のディスクを受け取った。
「…なんか怪しいな」
「怪しくなんかないって」
「ひょっとして悪さするウイルスでも入っとんちゃうか」
 小林はディスクを蛍光灯にかざして眺めている。
「たった今、全消去したの、お前も見てただろうが」
「ふ〜ん…」
 小林は僕というものを全く信用していなかった。
「分かったで。お前このZIP、こえだめに落としたんやろ。ああばっちい」
「誰が! だいたい今どき、こえだめなんてどこにあるんだよ」
「それがあるんや。ここだけの話やけどな…」
 小林はぼそぼそと僕の耳に囁いた。
「俺な。昔フロッピー、こえだめに落とした事あるんや」
「聞きたくない!」
「まあ聞いてくれ。あれは俺が中学1年の時やった…」
「やめてくれ〜!」
「そんなん言わんと聞いてくれ〜」
「お前、これいらないんだな」
「いるけど聞いてんか〜」
 うわ〜ん、もう嫌だ〜! なんで僕のまわりってこんな馬鹿ばかりなんだあ〜。
 だがそんな些細な出来事がまさかあの大騒動の引き金になろうとは、僕も小林も、いやこの時点では誰ひとり、知る由もなかったのだ――

 なんだか大げさな始まり方だぞ

 〜アドバンスド・ワールド・MMXペンティアム少女ドラマ〜
『アキバ大パニック!』その9
――1/4096の生還の巻――


 思えば静かな正月だった。先輩は里帰り。どういうわけか小林からの麻雀の誘いもない。必ずやお年玉をねだりにくると思われていたマーガりんもこのところ姿を見せず、ここ何日かラナちゃんと僕と二人きり、水入らずの冬休みだった。
「旦那、旦那」
「うーん…」
「旦那、いつまで寝てるんです。もう」
 ラナちゃんが優しく僕を起こす声も、近所の家々の屋根に積もる残雪のまぶしさも、今の僕を起こす事はできなかった。
「…まだ朝じゃない。もうちょっと寝かせて、ね」
 だらけきった生活で僕の昼夜は逆転していた。せんべい布団を頭からかぶって僕は徹底抗戦の構えをとった。
「もう。冬休みだからって旦那ったら、コタツに入ってミカン食べて大○略して寝てばかりじゃないですかあ」
「ラナちゃん」
 僕は布団の中からもごもごと言った。
「日本には『寝正月』という言葉があるのを知ってるかい?」
「寝正月、ですか… まさに旦那のためにあるような言葉ですね」
「分かったら、どうか僕をそっとしといて」
「はいはい。じゃあちょっと買い物行ってきますから旦那、お留守番お願いね」
「まかせなさい」
 再び安らかな眠りにつこうとした僕だったが、ラナちゃんが押入れのふすまを開けるかすかな音を聞き逃しはしなかった。
「ラナちゃん」
「ぎくっ」
 僕は頭から布団をかぶったまま言った。
「まさかお買物に行くのに、振り袖着ていくつもりじゃないだろうね」
「だ、旦那。どうしてそれを!?」
 ラナちゃんの慌てふためく姿が見てとれるようだった。
「だってせっかくのお正月だもん。いいでしょ旦那、振り袖え〜」
 ラナちゃんはすっかり振り袖が気に入ったようだ。
「だめだめ。買い物かごさげて振り袖なんて、かっこ悪いでしょうが」
「はあい… その代わり旦那、あとでどこかおでかけしましょ。ね」
「前向きに検討しておくよ」
「じゃあ旦那、行ってきますね」
「うん。いってらっしゃ〜い」
 僕は布団から顔を出してラナちゃんを見送った。
 いつ見てもラナちゃんって可愛いよなあ。普段着で買い物かごぶらさげてる時でさえああだもん、まして振り袖なんて着た日には。初詣の時なんかみんながみんな、ラナちゃんの事振り返って大変だったし。だから僕がいない時に一人で振り袖着てほかの人の目を楽しませるだなんて、ブルブルブル… そんなの絶対やだもんね〜。
 さて、ラナちゃんがお昼ごはん作ってくれるまで、僕は二度寝でもするとしましょうか。『二度寝』。なんて素晴らしい響きだろう。そうして僕がうつらうつらと天国への階段を登っていったちょうどその時、
 プルルルル、プルルルル…
 いつもはラナちゃんに預けっぱなしのピッチがちゃぶ台の上で鳴りだした。
 僕は眠っている体をひきずるようにして電話をとった。
「…はい。北原です」
『あ、旦那あ!』
「…ラナちゃん!?」
『旦那だ、旦那だ! 旦那なの!!』
 嬉しさにはちきれんばかりの声が暖気運転中の僕の耳をガンガン直撃する。
「どうしたのラナちゃん」
『だってだって、旦那なの旦那なの!』
「そりゃ僕は僕だけど… 何か用?」
『あ〜ん旦那あ!』
「…あのねえ」
 たかが僕の声を聞くだけでそんなに有頂天になってくれるのは嬉しいんだけどね。
でもラナちゃん、たった5分前に家を出たばかりじゃない。それも近所に買い物に。
「ラナちゃん、悪いんだけど僕、今眠いから。また後でね」
『そんなあ』
「じゃ、おやすみ」
 電話を切りながら僕は首をかしげていた。ラナちゃんが甘えてくれるのは大歓迎なんだけど、でも僕がこうして寝てるのを知っててそれでも電話してくるような、ラナちゃんはそんな子じゃないはずだ。
 そう思っていた矢先から、またピッチが鳴りだした。
『旦那あ!』
 またまた元気な声が飛び出してくる。
『旦那、私です。ラナですよ。旦那あ』
「それは分かったからラナちゃん、用事はなんなの?」
『お話したかったの、声聞きたかったの〜』
「僕、眠いって言ってるでしょ。また後でね」
『え〜っ! だってえ…』
「じゃあね」
 半ば強引に電話を切った。切ったそばから次の電話がかかってきた。
 僕はげんなりしながら受話器をとった。
「…あのねえラナちゃん」
『旦那!? なんで私だって分かっちゃったんです?』
「分かるよ、それくらい」
『すご〜い。旦那、さすがです』
「ラナちゃん、もういい加減にしてくれない?」
『え…』
 僕の剣幕にラナちゃんは驚いて言った。
『あの、旦那… 私なにか旦那の気にさわるような事、言いました?』
「今は眠いから電話してこないでって、何度も言ってるじゃない」
『え、あ、だって私…』
「今日はもうかけてこないでくれる? いいね」
『あ、あの、あの…』
 僕は非情に電話を切った。間際のラナちゃんの声が耳に残って良心が痛んだけど、でもラナちゃんが非常識なのがいけないんだ。どっちにしてもあれだけキツくいっとけばもう大丈夫だろう。僕は雑念を払いのけるようにして布団にもぐり込んだ。
 プルルルル… そうはさせじとピッチが僕を呼ぶ。
「うう…」
 いっそ呼び出し音を鳴らさないようにしようかと思ったけど、僕はピッチの取扱いを知らなかった。パソコンを好きな人が誰でも機械が得意だと思ったら大間違いだ。
僕は布団にもぐったまま手探りでピッチをとった。
『もしもし、旦那あ!?』
「あのねえラナちゃん…」
『あ〜ん旦那だ旦那だ、旦那なの〜!』
「ラナちゃん聞いてる!? いい加減にしないと僕…」
 その時ガチャガチャとドアを開ける音がして、
「ただいまあ」
 買い物かごをぶらさげてラナちゃんが戻ってきた。
「あれ、ラナちゃんおかえり」
「今朝はスーパーでいちごが安かったんで… って、私ってこればっかり」
 ん? えっ? ラナちゃんが、戻ってきた!?
『もう旦那、どうしたんです!? ちゃんと聞こえてます?』
 ピッチの向こうからラナちゃんが話しかけてくる。
「ん、ああ、聞いてる聞いてる」
 …なんかおかしい。何かが絶対おかしいぞ。
 僕はピッチの向こうのラナちゃんに尋ねた。
「ねえ、つかぬ事聞くけど… 君、誰?」
『何言ってんです。私は私に決まってるじゃないですか』
「そりゃそうなんだけど… ちょっと合言葉、言ってみてくれる?」
『え〜っ、あの合言葉ですかあ!? なんかやだなあ…』
「まあそう言わずに。いくよ、どうせ私は…」
『…ウォッシュボード』
 当たりだ。僕の電話の相手は間違いなくラナちゃんだ。
 僕は今度は、お買い物を冷蔵庫に閉まってる最中のラナちゃんを振り向いた。
「…君、なんて名前?」
 ラナちゃんはきょとん、とした顔で言った。
「三波春男でございます」
 合言葉を使うまでもない。この万年不発弾なリアクションは間違いなくラナちゃん。どっちも本物だ。
 なんだか合点のいかないまま、僕はラナちゃんを手招きした。
「はい?」
 僕はラナちゃんにピッチを代わった。そうとは知らずピッチの向こうのラナちゃんは、相変わらず元気な声でしゃべりまくっている。
『ねえ旦那、聞いて聞いて。今日ねえ、あのねえ、私ねえ…』
 みるみるラナちゃんの顔色が青ざめた。
「…最悪」
 言うなりラナちゃんは電話をきった。
「あ、あの…」
 あっけにとられてる僕を尻目に、ラナちゃんは目にも止まらぬ早業で電話をかけ直した。
「マーガりん、マーガりん!」
「あ、ラナりん」
 たちまちインターネットを通してラナちゃんのディスプレイにマーガりんが現れた。
「マーガりん、大変なの。今電話で私の… あ〜っ!」
「あ〜っ!」
 その画面を見るなり、ラナちゃんも僕も思わず声をあげた。
 マーガりんの傍らでポリゴンのおせちをつっついているのは…
「ん!? あ〜っ、旦那あ! 旦那の方から来てくれたんだ!」
 そう、ラナちゃんその人だった。

「間違いありません… これは私のコピーです」
 ため息をついてラナちゃんが言う。
「コピー!? でもなんで小林んちに…」
「一週間くらい前から来てるんや。なあラナりん」
「ねえマーガりん」
 頭の中がパニックってた僕は、その時ようやくこないだの事を思い出した。小林んちでZIPを削除した事を。何か嫌な予感がした。
「旦那あ、寂しかったの〜」
 コピーのラナちゃんは僕に擦り寄らんばかりに甘えてくる。
「ちょっとコピー。あなた、旦那にそんないちゃつかないでくれる」
「なによ、あんたこそ」
 コピーのラナちゃんは怖い顔で、うちのラナちゃんを睨み付けた。
「さっきから聞いてれば、人の事コピーコピーって言わないでくれる?」
 うちのラナちゃんも剣幕では負けていない。
「コピーだからコピーって言ってんでしょ」
「まあまあ二人とも、そないに興奮せんと…」
 マーガりんのとりなしもまったく二人の耳には入らなかった。
「何よ偉そうに。ちょっとオリジナルだからっていばらないでよね」
「あんたこそ、コピーのくせにタメ口きかないでよね」
 自分が相手だとラナちゃんは、まるで人が変わったようにおっかなかった。
「マーガり〜ん…」
「リョウちゃ〜ん…」
 僕とマーガりんは画面越しに、一緒になって震えていた。
「そうだ、小林さんは!?」
 ラナちゃんがはっと気づいた。そうだ、小林だ。
「それが…」
 マーガりんがしどろもどろに答える。
「ご主人様、家におるのはおるんやけどな… リョウちゃんやラナりんからやったらおらん事にしといて、ってそない言われてんねん」
 居留守とはいい度胸だ。だがマーガりんに口止めをさせようなんて、それはまるでメモリー16メガしか積んでないパソコンにアクティブ・デス○トップを載せようとするような愚かな行為だった。
「小林さんに会ってどうするつもりよ」
「そんなのあんたに関係ないでしょ」
「関係ないわけないでしょうが!」
 敵意もあらわにラナちゃんとラナちゃんが火花を散らす。
「どうせ私を追い出す相談かなんかでしょ。マーガりん、小林さん呼んじゃ駄目よ」
「う、うん…」
「マーガりん、そんな子の言うことなんて聞かなくていいのよ。さあ」
「う、うん…」
「私を追い出したらマーガりん、また小林さんと離ればなれよ。それでもいいの?」
「え、それは…」
「マーガりん!」
「マーガりん!」
 二人のラナちゃんに板挟みにされてマーガりんは途方にくれている。
「リョウちゃ〜ん」
「マーガりん、僕からもお願いするよ。小林に会わせて」
 この混乱をなんとかするには、それしかないと思う。
「…うん」
「でも旦那…」
 コピーのラナちゃんが、すがるように僕を見る。
「ラナちゃん」
 なるだけ優くそう言って、僕はラナちゃんを見つめた。
「…はい」
 オリジナルにはあれほどたてついたコピーも、僕の一言にしおらしく頷いた。

 ほどなく画面の一角に『SOUND ONLY』の文字が現れ、耳慣れた下品な声が聞こえてきた。
「よおラナちゃん、北原」
「小林さん」
「どういう事だよ」
「それがやな…」
 小林はぬけぬけと説明を始めた。
「お前がくれたZIP、なんや気になって試しにアンデリートして見てみたんや。そしたら『ラナちゃん・EXE』とかいうファイル入っとるやないか」
 僕は申し訳ない顔でラナちゃんを見た。ラナちゃんはそんな事にも気づかず、一心に小林の話を聞いている。
「で、まさかな〜って思いながら実行してみたら、ほんまにラナちゃん現れよって、めちゃラッキー思たんやけど」
「でもコピーの私は朝から晩まで旦那の事ばかり考えて、小林さんの事、振り向いてはくれない…」
「その通りや」
「そんなの、分かりそうなもんだろうが」
「で、ほんまは北原んとこに帰したろ思たんやけど、そやけどコピーのラナちゃんがおるおかげで、こうやって毎日マーガレットに会えるから、それでつい…」
「なあご主人様」
「それであなた、寂しくなって旦那に電話してきたってわけね」
「電話!?」
 小林んちのラナちゃんはきょとんとした顔をした。
「電話なんかしないわよ。だってバレるからかけちゃ駄目って、小林さんが…」
「えっ!?」
 僕とラナちゃんは顔を見合わせた。
「まさか」
 身を乗り出すようにラナちゃんが尋ねる。
「小林さん。そのファイル、誰かにコピーして渡したりしませんでした?」
「え、いや、別に…」
 小林は言葉を濁した。
「小林!」
「い、一枚だけや。どうしても欲しいっちゅう奴おったから」
「誰なんです?」
「…サティアン」
「ああ…」
 僕はガックリとうなだれた。終わりだ。なにもかも。
「サティアンさん、ですか… よりにもよって」
「ご主人様、なんちゅう事を…」
 どうやらコピーのラナちゃんやマーガりんに相談もしないまま、小林はあっさりとディスクをサティアンに渡してしまったらしい。
「…それって、そんな大変な事なんか?」
「あいつにそんな物渡してみろ、あいつ自分のホームページにラナちゃんの実行ファイル、載っけてしまうに決まってるだろうが!」
「…そう言うたらそうやな」
 今朝の電話の件もこれで納得がいった。ラナちゃんのコピーはこの子一人なんかじゃない。いまやラナちゃんのコピーが日本中、いや世界中に増殖しつつあるのだ。
「…どうしようラナちゃん」
 僕は青ざめた顔でラナちゃんを見た。
「このまま放っておけばきっと大変な事になります。早く手をうたないと」
「そんなの、もう手遅れに決まってるじゃない」
 コピーのラナちゃんがオリジナルに向かってあっかんべをした。
「うちもそう思う」
 マーガりんが口をはさんだ。
「サティアンはんのホームページ閉鎖しても、それまでに流出したコピーやら、コピーのコピーやらが、なんぼでも増殖してしまうで」
「そうよ。いくらしらみつぶしにやっても無駄な事よ」
 ラナちゃんは頷いた。
「分かってる。こういうのは根元から絶つしかないわ」
「でも、どうやって」
 僕の言葉に、ラナちゃんは振り向いた。
「旦那、行きましょう」
「行くって、どこへ」
 ラナちゃんはきっぱりと言った。
「秋葉原へ」

 僕とラナちゃんは残雪の中、駅に続く道を急いだ。
「そりゃ、確かにおでかけはおでかけだけどね…」
 僕は困った顔でラナちゃんを見た。
「なにもこんな時に振り袖着なくたって…」
「それはそれ、これはこれですよお」
 袖をブン回してラナちゃんは大喜びだ。
「振り袖、ふりそで〜」
「だいたいラナちゃん、いつまでもお正月じゃないんだからね」
「いいのいいの。松の内松の内」
 まったく、パソコンのくせに『松の内』なんて言葉、いつ覚えたのか。そんなの覚えるより先に、九九のひとつも覚えてほしいものだ。
 駅に着くと、待ち合わせしていた小林とサティアンがすでに来ていた。
「サティアン、お前なあ…」
「僕は悪い事したと思ってないよ」
 僕が詰め寄ってもサティアンは悪びれる様子もなかった。
「北原がラナちゃんを独り占めしてるほうが、よっぽどずるいと思うけどな」
「そんなの、ちゃんとラナちゃんの了解もらってからにしろよ」
「だってラナちゃんがOKしてくれるはずないもん」
 僕は開いた口が塞がらなかった。
「ラナりん!」
 一旦姿を消していたマーガりんが折よく舞い戻ってきた。
「マーガりん、どうだった?」
「タバサと協力して、なんとか実行ファイルの流出止めてきたから、これ以上コピーが増える事ないと思うで」
「ありがとう」
「そやけど一旦解凍、実行されたファイルはどうもならん」
「うん。勝負はこれからね」
 ラナちゃんもマーガりんも、いつもは馬鹿やっててもさすがは電脳世界の住人、キメる時はキメてくれる。
「あ、マーガりんも振り袖ね」
「へへ〜、着替えてきたんや。これでラナりんとお揃いや」
「振り袖、ふりそで〜」
「お揃い、おそろい〜」
 …この二人、真剣なのか呑気なのかさっぱり分からん。

「ところでラナちゃん、なんでアキバなの」
「ええ。何から話せばいいか分からないんですけど…」
 ほどなく来た電車の中でラナちゃんがぽつ、ぽつ、と話し始めた。
「あの子たち一人ひとりにできる事っていったら、せいぜいさっきみたいに旦那に電話かけてくるくらいですよね。だからいずれはコピー同士、連携を強めて…」
「ちょっと待って。ラナちゃん同士ったってあの子たち、目茶苦茶仲悪そうだけど…」
 ついさっきその光景を見たばかりだった。
「たった二人でああなんだから、ラナちゃん同士、結託するなんて絶対無理だよ」
「そうでもないですよ。今はあの子たちにとって共通の敵を倒すのが第一ですから」
「共通の敵!?」
 ラナちゃんは頷き、自分を指さした。
「あの子たちはただ旦那のために何かしてあげたいと思ってるだけ。でもオリジナルのこの私が旦那の事、独占してるんですからね。相当恨まれてますよ、私」
 平然と言うラナちゃんの姿には、恋に戦う乙女の凛々しさが漂っていた。
「そこなんだけど… コピーのラナちゃんたちの気持ち、変えられないの? 誰か他の人を好きになるように、とか」
 お、サティアンめとうとう本音をはいたな。
「無理ですね…」
 ラナちゃんはむなしく肩をすくめた。
「そんな事したら、あの子たちの存在理由そのものがなくなってしまいます」
「じゃあ…」
「無理にそんな事しようとすれば、あの子たちは消滅するしかありません」
 あたりを重苦しい雰囲気が漂った。
「そうだ、小林んちのコピーはどうしたの」
「ああ、それやけど… 北原からの電話の後、急にどっか行ってしもた」
「他のコピーたちと合流したんだわ… ちょっと厄介ね」
「なあ、みんな心配しすぎちゃうか。俺ほんま言うとあんまり心配してないんやけど」
 あっけらかんとして小林が言う。
「ラナちゃんの実行ファイル、全部足したら圧縮して100メガ以上やで。そんなんダウンロードする物好きなんかそうそうおらんやろ」
 ラナちゃんはピッチを出してみせた。留守電メッセージはとっくにパンクしていた。
「ご主人様、さっきタバサと調べて来たんやけど… サティアンはんのホームページ閉鎖した時点でのダウンロード数、軽く4000件越えてたんやで」
「よ、4000件…」
 ようやく小林にも事の重大さが飲み込めてきたようだ。
「そのコピーたちが今、インターネットを通じて集結しつつあります」
「うん。うちもそれを肌で感じてる」
 マーガりんはもともとあっちの住人だからその手の勘は冴えていた。
「だけどいくらインターネットで勢力を伸ばしても、それだけじゃ仕方ありません。だって旦那とインターネットを繋ぐ橋は私がおさえてるんですから」
「じゃああの子たち、一体…」
「どうにかして現実世界に介入しようとするでしょう。そして今、あの子たちが狙っているのが…」
「アキバってわけか」
 サティアンの言葉にラナちゃんは頷いた。
「電脳世界と現実世界の接点、パソコンが最も市民権を得ている街。日本中、ううん、世界中でもっともそれにふさわしい場所、それが秋葉原」
「言われてみたらそうやけど… そんなラナちゃんの考えてる通りになるかなあ」
「私の思い過ごしならいいんですけど…」
 だがそう言うラナちゃんの瞳は確信に満ちていた…

 いつもよりもどかしく感じられた電車も、ようやくアキバについた。
「とりあえず、なんともないみたいだね」
「そうやな」
 駅のホームに降り立つとどこからか、ドーン、と腹に響くような音が聞こえてきた。
「なんでしょう」
「さあ」
 その音は何度も繰り返し聞こえてきた。僕は耳をすませながら腕時計を見ていた。音は正確に、五秒おきに鳴り響いていた。
「…礼砲だ」
「礼砲!?」
 …19、20、21発。間違いない。国賓クラスの大物を出迎える空砲だ。
「クリント○でも来てるのかな」
「アキバにか!?」
「ビル・ゲイ○じゃないの」
 そんな事を言いながら改札をぬけて駅前の広場に出た瞬間、
 パンパカパーン!
「わ〜っ!」
 待ち構えていたように壮大なファンファーレが高らかに鳴った。嵐のような紙吹雪が舞い、鳩の群れが飛び立ち、昼間だというのに何発もの花火が打ち上がる。
「国王陛下、万歳!」
「万歳!」
 どこからともなく大合唱が沸き起こる。
「なんやなんや」
「国王って誰?」
 パレードかなんかだろうか。どっちにしろ場違いな所に出くわしてしまったようだ。
「リョウちゃん!」
「旦那、あれ」
 マーガりんとラナちゃんが広場の前を指さした。
「え〜っ!」
 広場の向かいのサトー○センとラ○オ会館の前にはいつの間にかズラリとパソコンばかりが並べられていた。そしてそのディスプレイに映っているのはすべて…
「旦那!」
「旦那!」
 スーツに蝶ネクタイをした正装のラナちゃんたちだった。ラナちゃんたちは改めて僕に向かって最敬礼した。
「旦那」
「お待ちしておりました」
「ようこそパソコン王国へ!」
 ラナちゃんたちの笑顔と1600万色の飾りつけとWAVファイルの大合唱とバーチャル音源の大合奏が揃って僕をお出迎えだ。ラナちゃんたちだけではなかった。改めて見回せば店員さんも通行人も駅員さんも青空市場で包丁売ってるおじさんまで、
「国王陛下、ばんざ〜い!」
 諸手を挙げて歓迎するとはまさにこの事だった。
「これって一体…」
 あっけにとられて、僕は傍らのラナちゃんに尋ねた。
「困った事になりました」
 言葉どおりの表情でラナちゃんは言った。
「どうやらこの街は、私のコピーたちに占領されたようです」
「せ、占領!?」
「より正確に言うなら独立ね」
「わ、ラナりん」
 声とともにマーガりんの傍らに、小林んちのラナちゃんが戻ってきた。
「それって、どういう事?」
「はい旦那。この秋葉原は今日より、日本から分離独立したパソコン王国になりました。そしてこの国の国王はもちろん…」
 そう言って小林んちのラナちゃんは僕に微笑んだ。
「こ、国王… 僕が!?」
「はい、旦那。いいえ、陛下」
 信じられないのは僕だけではなかった。
「パソコン王国…」
「リョウちゃんの…」
「最悪や」
 サティアンとマーガりんと小林は、顔を見合わせてげっそりとした。
「油断してました… この子たちの事、少々みくびってたようです」
 悔しそうにラナちゃんが言う。
「ほんの少し、私たちの来るのが遅すぎたみたいですね」
 そうなの? でも遅れてしまった原因って…
「それって結局、ラナちゃんが振り袖に着替えてたせいじゃないの?」
「な、何言うんですか! 旦那こそ『お代官様』とかなんとか言って、さんざん私の着替えの邪魔してたじゃないですかあ」
「何、それは問題発言だぞ」
「リョウちゃん!」
「北原、お前なあ」
「な、何言ってるんだ君たち。今は仲間割れしてる場合じゃないだろう? みんなのアキバを、僕らの手で元通りにしなくちゃいけないってのに」
「あら旦那、元通りにする必要なんてありませんよお」
 小林んちのラナちゃんは笑って言った。
「旦那は何にも困る事ないんですよ。だって旦那は国王なんですから」
「そんな事言ったって…」
「そうよ。ちょっとやりすぎよ、コピー」
「細かい事言わないの。さあ旦那、旦那のパソコン王国を、旦那の目で確かめてみて下さい。そしたらここが、どんなに素晴らしい所かすぐに分かりますから」
 僕は困った顔でうちのラナちゃんを見た。
 ラナちゃんは、仕方ないですね、と肩をすくめた。

とりあえず僕らはパソコン王国と化したアキバの街を見て回る事にした。
「パッと見には、そんなに変わらないね」
 でも、平日だというのにアキバのメインストリートは歩行者天国になっていて、
「これはこれは陛下」
「ご機嫌うるわしゅう」
 道を行く人たちが僕を見ては、深々とお辞儀していくのだった。
「あ、どうもどうも」
「北原、なんや本物の国王みたいやな」
「リョウちゃん、国王やったらもっとシャキッとせんかいな、シャキッと」
「んな事言ったって」
 なんだか見られるのが気恥ずかしくて、飛び込むように行きつけの店に入った。
「これはこれは、陛下ご一行様」
 いつもなら客が来ても見向きもしない店員さんが揉み手をしながらやってきた。
「あの… 陛下はやめてくれない? 照れるから」
「何をおっしゃいます陛下」
 店員さんは慣れない言い方で舌をかみそうになりながら愛想笑いを浮かべる。
「パソコン王国の国王であらせられる北原陛下にそそうをいた、いた、イタタタタ!」
 あ〜あ、本当に舌かんじゃった。
「旦那、せっかくお店に来たんですから、お買物してったらどうです?」
 コピーのラナちゃんが囁いた。
「もちろん、み〜んな、タダですから」
「た、タダ!? 嘘だろ」
「当然です。だって旦那はパソコン王国の国王なんですから」
 店員さんも笑顔で頷いた。
「このパソコン王国の物は何もかも、全て陛下のものです。国王陛下ばんざ〜い!」
 なんかアブない店員さんだなあ。いったいどこまで本気なんだろう。でも店員さんがそう言ってくれるのなら…
「じゃ、このデジカメもらっていい?」
「もちろんでございます」
「本当!? これ欲しかったんだ」
「お役にたてて光栄です」
 『タダ』というのがなんか急に実感として沸いてきた。
「じゃあ、じゃあ、この640MのMOももらっていい?」
「陛下の御意のままに」
 素晴らしい、素晴らしすぎる。パソコン王国、なんていい国なんだ。
「それからビデオカードもほしいんだけど。カ○ープスのP○R128Pってやつ」
「さすが陛下、お目が高い」
「あ、あと忘れてた。DVD、DVD」
「では、定番のアレと一緒に包んでおきましょう。もちろん全5巻セットで」
「うむ、気がきくじゃないか」
「もう旦那ったら、すぐ悪ノリして」
 ラナちゃんは困った顔で僕の事みてる。
「北原、やばいんじゃないのか」
「そやで。あとで返せ言われたり、金払え、言われたら難儀やで」
 サティアンと小林も心配そうに言う。
「ああそうそう。サティアンさんも小林さんも、欲しい物あったら言って下さいね」
「ほんと!」
「ほんま?」
 コピーのラナちゃんのひとことで、二人はあっさり味方についた。
「…弱い生き物ね、人間って」
「まったくや」
 電脳少女たちの言葉も、物欲の権化と化した僕らの耳には届かない。
「そしたら、そしたらな、俺、○織ちゃんと沙○ちゃんと、サ○ラとア○リス、それから○絵に○香、ユ○カに○リに、○波○サト○ツコに○ヤに○員長に… はっ! マ○チちゃん忘れとった、マ○チちゃ〜ん!」
「あの… 小林さん、何言ってんだか、私さっぱり分からないんですけど」
「ラナりん、世の中には分からん方が幸せな事もあるんや」
「小林、ここはアキバだろ〜が! フィギュアじゃなくてパソコングッズにしろよパソコングッズに。なあサティアン」
「僕… サ○ーンが欲しい」
「なんでぇ〜っ!?」
 僕らはびっくり仰天した。
「サティアンさんって、究極のパソコンおたくさんじゃなかったんですか?」
「サティアンはんからパソコン取ったら、何にも残らんがな」
「お前、おたくの誇りはどこ行ったんだよ」
「だって… ○ンチメンタル○ラフティやりたい」
「それ先に言えよ!」
 僕らは納得した。
 そんなアクシデントはあったものの、僕らは台車いっぱいに買い物を載せてアキバ中を駆け回った。いったい何軒、お店をまわったかしれなかった。
「…それから、このSCSIハードディスクももらおうか」
「陛下、それでしたらこちらの8ギガの方がお勧めですが」
「いいねえ」
「いっそSCSIボードもお代えになっては。ア○プテックの最新型がございます」
「いただくとしよう」
「IDEのハードディスクの方も高速、大容量な物にお代えになってはどうでしょう」
「うん。でもうちのパソコン古いから、Ultra−DMA対応じゃないんだけど…」
「ではついでにマザーボードも換装なさっては」
「そのまたついでにペンティアム2ももらっちゃおかな」
「旦那」
 ラナちゃんが僕の袖をひっぱる。
「そんなにいっぱい買い込まれても、私そんなに増設できませんよ」
「あ、そうか… でもいいのいいの。なんならもう一台作るから」
「旦那… 今の私じゃ不満ですか」
 ラナちゃんは悲しい顔で僕を見た。
「え、いや、あの、全然そういう訳じゃ…」
「今日の旦那、なんか変です。いつもと違います」
 ラナちゃんはコピーのラナちゃんの方を向き直った。
「みんなあんたたちが悪いのよ。旦那の事、国王なんて言いだすから」
「何を言うかと思えば… いいこと、旦那は今まで人一倍苦労なさってきたのよ。極貧生活を、笑顔で耐え忍んできたのよ」
 …そうなの? 僕、別に苦労した覚えはないんだけど。
「だからたまには、はめをはずして贅沢したっていいでしょ。だいたいあんたねえ」
 コピーのラナちゃんは突き放すように言った。
「私たちペンティアム少女の力を使えば、旦那に楽をさせてあげる事くらい簡単なはずよ。今までその努力を怠ってきたオリジナル、悪いのはあなたの方じゃないの?」
「お金や物なんかで人の幸せは決まらないわ」
 すかさずラナちゃんは切り返した。
「お金持ちが似合う人もいれば、貧乏が似合う人もいるのよ」
 だがどっちが味方だか分からなかった。
「…まあいいでしょ。あんたとはいずれ決着つけるとして。旦那、私はちょっと王宮で旦那たちを迎える準備をしてきますけど、心ゆくまでお買物楽しんでて下さいね」
「う、うん…」
「そうそう、それから離宮のほうに宮廷料理も用意してますから」
 僕らの目がパッと輝いた。
「『宮廷料理』!?」

「…これが『離宮』ねえ」
「そいで、これが『宮廷料理』かいな…」
 結局僕らはいつものラーメン屋でいつものラーメンを食べていた。
「まあいいけどね、おいしいから」
「それに、いつも行列できてる店が貸切りってのもすごいな」
 だけどいくらおいしいとはいえラーメンなんてそうそうお腹に入るものじゃない。元気に食べ続けているのはただ一人、
「お兄さん、かえだまおかわり下さ〜い!」
「はいよ〜」
 ラーメン大好きのラナちゃんだけだった。
「ところでさあ」
「そうやねん。なんやおかしいと思わんか」
 サティアンと小林が僕の頭ごしに話し出す。
「ラナちゃんらが北原の気い引くためにパソコン王国作ったなんて言うてもやな」
「そうだよ。なんでアキバの人たちまで、みんなラナちゃんたちに協力してるんだ?」
「おえあえうえ…」
「ラナちゃん、食べながらしゃべるのやめようね。お行儀悪いから」
「あ〜い、あんあ」
「忙しいラナりんに代わって、うちが説明したるわ」
 もらったばかりの液晶ディスプレイの中で、マーガりんが黒板を背に解説を始めた。
「まずこれが肝心なんやけど… あの子らもオリジナルと同じラナりんやから、リョウちゃんの迷惑になるような事はせえへんはずや… と、ラナりんは言うとる」
 ラーメンを食べながらラナちゃんが頷いた。
「コピーのラナりんらは、おそらくアキバの人らを買収したんやろ。それも合法的に… と、ラナりんは言うとる」
「買収、ったってラナちゃんたち、お金なんかもってないだろ」
「お金やない。ソフトウェア、つまりアプリや。パソコン持ってる人やったら、誰かて欲しいソフトの一本や二本はあるやろ… とラナりんは言うとる」
「それもまずいんちゃうか」
「そうそう。勝手なソフトのコピーは違法だよ」
「サティアンが言っても説得力ないけどな」
「コピーやのうてラナりんらが作った手作りのソフトや… とラナりんは言うとる」
 ああもう。ただでさえややこしい話が、マーガりんの関西弁でますますややこしい。
「つまりですねえ…」
 ようやく箸をおいてラナちゃんが顔をあげる。
「私たちにとってはプログラムを組むなんて朝飯前の事ですから」
「ふ〜ん… すごいんだラナちゃんって」
「まあ自慢にもなりませんけどね。なんたってペンティアム少女ですから」
 僕は、算数もできないのにプログラムを作れるのが凄いって言ってるんだけど。
「でも相手がソフトウェアの価値を知らない、パソコンに縁のない人だったら?」
「そういう人には、いくらコピーたちが優秀なソフトを作ったって意味ないですよね。そんな事もあってあの子たち、パソコン好きの人たちが集まるこの街を狙ってきたってわけですよ… あ、お兄さん。かえだまおかわりね!」
「へ〜い」
「なあ、にいちゃんもラナちゃんたちになんかソフトもろたんか」
 小林はラーメン屋のお兄さんに尋ねた。
「ええまあ、本当は内緒なんだけどね。ぐふふ…」
 なんだろう、お兄さんのあの歪んだ笑みは。はっ、まさか!?
「ひょっとしてそれは、僕の決して嫌いではないムフフなソフトでは!?」
「だからあ。コピーとはいえ私がそんな事するわけないでしょ!」
「そんな事はええねん。これからどないするかや」
「どうするって、今のままでいいじゃない」
「そんな呑気にしてる場合じゃないと思うけどな。今に警察沙汰になるって」
「しまいに自衛隊来るで」
「自衛隊…」
 小林のひとことに僕の心は現世を離れ、豊かな想像の大海にたゆたうのだった。
 マッハの衝撃音を響かせて、F−15の編隊がアキバ上空を我が物顔に飛び交う。その制空権下、昌平橋から、万世橋から、その橋桁を軋ませ舗装路のアスファルトを無残に蹂躪しながら、第71戦車連隊のマークもまぶしい90式戦車が続々と到着し、自慢の120ミリ滑空砲をビル街に向ける。低空から進入してきた対戦車ヘリAH−1Sコブラの獰猛な一群がバリバリと音をたて、狭い通りの電線をそのブレードで引きちぎりながら降下し、血に飢えたターレットが嘗めまわすように獲物をもとめる。遠く日の出桟橋の沖合には新鋭のイージス艦が攻撃命令を今か今かと待ち構え、OTOメララ127ミリ速射砲がはるか5キロ彼方を睨む。やがて独特のジェット音とともに上空に現れたC−1輸送機から降下してゆく最精鋭第一空挺団の、天使の降臨もかくやと見紛うばかりの美しい死の花が空いっぱいに咲き乱れてゆくのだった…
「ああ…」
「おい。北原のやつ、なんかトリップしてるぞ」
「アホや」
「しゃあないなあ… 呑気なリョウちゃんと算数の苦手な誰かさんのために、うちが説明したろ」
 マーガりんはどこからともなくポリゴンのソロバンを取り出した。
「ええか。なんぼラナりんらがソフトでみんなを買収したゆうても、そら多分ここにおる現場の人間だけや。店長とかビルのオーナーとか、そういう偉いさんに訴訟起こされてみ、大変な事になるで。だいたいアキバ全体の一日の売り上げがこうで…」
 碧い眼の妖精がソロバンをパチパチはじくその姿はなぜだか異様に似合っていた。
「今日の騒ぎで売り上げの損失が大体こんなもんやから… リョウちゃん見てみい」
「一、十、百、千、万、十万、百万、千万… フウ〜ッ!」
「そやから、一刻も早う、アキバを元通りにせなあかん」
「ご、ごもっとも…」
「かえだま、おかわり〜」
「はいよ〜」
「ラナりんも食べてばっかりおらんと、ちょっとは考えや」
「あら、私だって考えてるわよちゃんと」
「え、なになにそれ」
 みんなはラナちゃんを振り向いた。
「ちょっと荒っぽい方法ですけどね」
 ラナちゃんはトン、とどんぶりを置いた。
「…自己破壊プログラムを使います」
「自己破壊プログラム!?」
 なんだかすごく嫌な響きのする名前だった。
「私の中に組み込まれている、全てを初期化するプログラムです。本当は万一、私が暴走した時の為にあるんですけど…」
「そんなものが…」
「私がそのプログラムのパスワードの言葉をコピーに投げかければ、コピーはたちどころに消滅しちゃいます」
「消滅… なにもそこまで」
「一番確実な方法です」
「ちょっと待って」
 サティアンがさえぎった。
「って事は、逆にコピーの方から本物のラナちゃんの記憶を消してしまう事も」
「ええ、でもその心配はありませんよ。もしもあの子たちが私の事消してしまったら、そしたら旦那はあの子たちの事、許さないでしょうから」
「…なるほど」
「でなけりゃ私なんて、とっくに消されてますよ」
 僕がのほほんとしている間にも、オリジナルとコピーの間には息も詰まるような神経戦が繰り広げられていたのだった。4000人以上の美少女たちがたった一人の僕を巡って争うなんて。ああ、僕ってなんて罪な男なんだ。
「だけど私が一旦自己破壊プログラムを使ってしまったら、あの子たちの生き残りがなりふり構わず報復してくるかもしれません。だからこれを使うのは、あの子たちが全員、一か所に集結した時」
「いちかばちかやな」
「ええ」
「僕は…」
 今度のような事になったのも、元はといえば僕のせいだ。僕がなんとかしなくちゃいけない。みんなのために、ラナちゃんたちのために。だけど…
「僕は… いくらコピーでも、ラナちゃんを消すなんて…」
「旦那…」
 だってラナちゃんたちみんな、僕の事慕ってくれて、それでこんな事になったのに。そんなラナちゃんたちの気持ちを無視するような事、僕には…
「なあラナりん…」
 マーガりんがおずおずと言った。
「マーガりんも、反対なの?」
「いや、賛成とか反対とかやなくてやな、その…」
 マーガりんは困った顔で自分の傍らを指さした。
「あ〜っ!」
 いつの間にか、コピーのラナちゃんがそこにいた。
「旦那、ありがとう。私たちの事、かばってくれて」
「え、いや、あの…」
「それにひきかえ…」
 コピーのラナちゃんは腕組みしながら、オリジナルのラナちゃんを睨みつけてる。
「あんた、よくもぬけぬけと人の事消すだのなんだの、言えたものね」
「…聞かれた以上、仕方ないわ」
「面白い、勝負する気?」
「あなたにはここで消えてもらう」
「あんた、戦うか食べるかどっちかにしなさいよ」
 腕組みをしたラナちゃんとどんぶりを持ったラナちゃん。二人の視線が弾ける。
「二人とも、やめるんだ」
 僕は静かに、けれど厳しく言った。
「自己破壊プログラムなんか使っちゃ駄目だよ」
「でも…」
「そんな事したら僕… ラナちゃんの事、嫌いになっちゃうかもしれない…」
 僕の鶴の一声に、
「旦那… 分かりました」
「…はい、旦那」
 ラナちゃんたちは一も二もなく従った。
「話し合おうよ、みんなで。そしたらきっと、いい方法がみつかるよ」
「ええ旦那。王宮の方も用意がととのいましたから、そこでゆっくり…」
「でもその前に、おかわり〜」
「ラナちゃん、5杯目…」
「いいのいいの。こういうのは入るところ違うんだから」
 違うもなにも、ラナちゃんの体のいったいどこに入っていくというのか。謎だ。
「あんた、馬鹿食いするのは勝手だけど、ちゃんと自分の分払いなさいよ」
「え〜、いいじゃないケチ」
「誰があんたまでおごるって言ったのよ」
「いいよいいよ。ラナちゃんの分は僕が出すから」
「ほんと!? やたー、旦那のおごりだあ!」
「うっ… く、悔しい〜っ!」
 し、しまった。ラナちゃんたちはライバル意識むきだしで僕のひとことひとことに反応してしまう。これは迂闊な事は言えないぞ。もてる男って大変なんだね、いやほんと。
「いい気味、ベーだ」
「あんた、いくら食べたって胸にはつかないわよ」
「うっ」

 歩いて5分もかからない距離を僕らは、ラナちゃんたちの手配してくれた黒塗りのハイヤーに乗り、沿道に鈴なりに並んだ人たちの歓呼の中、王宮へと赴いた。
 『王宮』。そこはかつて、いや昨日まではラ○ックス・ザ・コ○ピュータ館と呼ばれていた。
「旦那、どうぞこちらへ」
 僕らはラナちゃんたちに案内されるままにエレベータに乗った。
 6Fのデクストップパソコン売場は、今はすっかり模様変えされ、シャンデリアきらめく宮殿の大広間となっていた。そして今、僕の目の前には大小さまざまのディスプレイがずらりと並び、コピーのラナちゃんたちが勢ぞろいしていた。
「旦那、ようこそ王宮へ」
 僕は玉座に、小林もサティアンもその傍らに用意された重臣用の席に腰掛けた。
「いちいちあてつけがましいわね、あんたたち」
 ラナちゃんもブツブツ言いながら、隅っこの折りたたみイスについた。
「では旦那。改めてようこそパソコン王国へ」
 マーガりんの傍らの小林んちのラナちゃんがペコリとお辞儀した。
「私こと小林さんちのラナが、不肖この国の宰相を務めさせていただきます… ではまず、旦那ご一行の歓迎の気持ちを込めて国歌の演奏を…」
「いや、国歌はいいよ…」
 僕は困った顔で言った。
「みんな。みんなが僕のためにこんなに集まってくれた事、凄く嬉しく思ってる」
「旦那…」
「でも、こんな事いつまでも続けてちゃよくないよ。できるだけ早く、アキバを元の街に戻してあげて」
「旦那。私たちも、いつまでもこんな事を続けるつもりはありません。ただ、旦那にどうしてもお願いがあって、こんな強行手段をとってしまった事を、お許し下さい」
「遠慮なくなんでも言って。僕にできる事なら、なんでもするから」
「ありがとう、旦那」
 ラナちゃんたちの合唱がこだました。
「これだけは分かって下さい。私たち、所詮はコピーですけど、旦那を思う気持ちだけはそこのオリジナルと同じ… ううん、誰にも負けないつもりです」
 僕は黙って頷いた。
「だのにそこの女は」
 宰相ラナちゃんはあごでオリジナルのラナちゃんをさした。
「オリジナルというだけで旦那を独り占めしている。それが私たちには許せない…」
 そして冷たい目で言った。
「ですから、そこの女を削除して下さい」
「!」
「…とまでは言いません。せめて公平に扱ってほしいんです。オリジナルを含めて」
「どういう事よ?」
 ラナちゃんが尋ねる。
「それはね、オリジナル…」
 宰相ラナちゃんの顔が一瞬、にやりとした。
「こういう事よ!」
 宰相ラナちゃんは人指し指をスッ、と回した。まるで魔法をかけるように。
「キャーーッ!」
 まるで電撃でもくらったように、ラナちゃんは長い髪をなびかせて床に崩れた。
「ラナちゃん!!」
「ラナりん!」
 僕らは血相を変えてラナちゃんの元に駆け寄った。だけど僕が抱きかかえてもラナちゃんは身動きひとつしない。
「ラナりんがおらん。ここにおるのに、ここにおらんのや」
 傍らのマーガりんが首を振る。
「どういう事」
「分からん… ラナりんの意識が全然感じられへん。うちがこうしておるっちゅうことは、死んでるわけやないんやろけど…」
 マーガりんの言うとおりだった。CPUクーラーは回っているのに、ラナちゃんはぐったりとして、まるでただの人形だった。
 僕はキッと宰相ラナちゃんをにらんだ。
「まさか、自己破壊プログラムを!?」
 その時、見当違いな場所から見当違いなのんきな声が聞こえてきた。
「…あれえ、どこかしらここ」
「あ〜っ」
「ラナちゃん!」
 ディスプレイの群れの中、スーツで揃えたラナちゃんたちの中に一人、振り袖姿のラナちゃんがきょろきょろしていた。
「ああ、ひょっとして私」
「そうよオリジナル」
 まわりのラナちゃんたちがはやしたてる。
「インターネット回線開きっぱなしにしてたのが運の尽きね」
「オリジナルのデータをこっちに吸い上げるなんて」
「私たちにすれば造作もない事よ」
「じゃあひょっとして私、まんまとあんたたちにしてやられたってわけね」
「今ごろ気づいたの? この蛍光灯娘が」
「…それって、『明るくて可愛い女の子』って事?」
「ニブいって事よ!」
 さすがラナちゃん本人同士。ボケとつっこみの絶妙な呼吸がばっちり決まっていた。
「旦那あ、こんな姿になっちゃいました」
 ラナちゃんがなさけない顔をして僕を見る。
「いいんだよ。僕はラナちゃんがラナちゃんなら」
 ラナちゃんの表情がパッと輝いた。
「ほんと?」
「もちろん」
「…旦那」
「…ラナちゃん」
「ふふふ…」
「はははは…」
「ええいもううっとおしい!」
 コピーたちと小林たちの思いはひとつになっていた。
「まったく、懲りないわねあんたって。でもこれならどう?」
 宰相ラナちゃんが再び人指し指を高く掲げた。
「総員、着せかえ〜っ!」
「キャッ!?」
 大広間の全てのディスプレイに一瞬ホワイトノイズが走った。そして次の瞬間、
「旦那、似合います?」
「旦那、似合います?」
 たちまち振り袖ラナちゃんの大集団が現れた。
「げっ」
「どうです旦那」
 自らも振り袖に着替えた宰相ラナちゃんがクックッと笑う。
「まだまだ行くわよ〜。続いて、シャッフル〜ッ!」
「わ〜ん、なんなのこれ〜。目が回る〜」
 ラナちゃんたちは目まぐるしくディスプレイの間を移動した。
「さあどうです、もうこれでどれがオリジナルだか分からないでしょ?」
「そんな事ないもんね〜」
 僕は平気な顔をして呼びかけた。
「ラナちゃ〜ん」
 途端にラナちゃんの大合唱が沸き起こった。
「は〜い旦那!!」
 え〜っ、何これ。
「ラナちゃん、どこなの?」
「ここですよお旦那あ!!」
 再びこだまのように、困った声の大合唱が返ってきた。
「ふふふ、どうです旦那。ようやく事態の深刻さが分かっていただけましたね」
「…僕にどうしろっていうの」
「旦那、そんなに怖い顔しないで」
 宰相ラナちゃんは青ざめた僕の顔を覗き込むようにして言った。
「旦那、私たちの願いはこうです。私たちはみんな、オリジナル本体のメモリー上でひっそりと暮らすようにします。その代わり交代で一日に一人だけ、オリジナルの体を借りて旦那と一緒にいたい…」
「……」
「ただそれだけの、ささやかな願いなんです。それが私たち4095人のコピーの願い。どうです旦那、きいてもらえませんか?」
「…それってつまり、本物のラナちゃんとは4096日に一度しか会えないって事?」
「ええと… よく分かりませんけど…」
 コピーのラナちゃんも算数の程度はオリジナルとどっこいどっこいだった。
「でもいいでしょうそんな事。だって旦那にもオリジナルだかコピーだか、見分けがつかないんですから。だったら同じ事じゃないですか」
 そうかもしれない。そうかもしれないけど、でもこんなの嫌だ。僕にとってはたった一人の大事なラナちゃんなんだから。
「北原…」
「リョウちゃん…」
 小林、サティアン、マーガりんが心配そうに僕を見守る。
「…分かった」
「旦那!」
 ラナちゃんの悲痛な合唱が沸き起こる。
「ただし条件があるんだ」
「条件… ですか?」
 ラナちゃんたちの気持ちはよく分かる。その気持ちを裏切る事はできない。だけど僕はどうしても本物のラナちゃんを助けなきゃいけない。
「君達は、僕がオリジナルとコピーを見分けられないって言ったよね。だから入れ代わってもいいじゃないかって」
「ええ」
「だったらもし僕がオリジナルのラナちゃんを見分ける事ができたら」
 宰相ラナちゃんの顔色が変わった。
「そうしたら、ラナちゃんを元通り返してくれる?」
 宰相ラナちゃんはコピーたちを振り向いた。コピーたちは、コクリと頷いた。
「いいでしょう。でも旦那、それは不可能に近いですよ。旦那がオリジナルを当てる確率は単純計算で、ええと、ええと…」
「4096分の1や」
 まったくラナちゃん。家に戻ったらちょっとは算数の勉強、教えてあげないと。でも僕は今日、ちゃんと本物のラナちゃんと帰れるんだろうか…

「チャンスや、北原」
「そうだ。チャンスだよ」
 ラナちゃんたちが準備をしている間、小林とサティアンが囁きかけてきた。
「ラナちゃんに今日の朝ごはんのメニュー、聞いたら済むこっちゃ」
 黙ってろよ小林。そんな入れ知恵されなくてもそれくらいは分かってる。だけどそれはラナちゃんたちを裏切る事だ。ラナちゃんたちがアキバを占拠してまで僕を思ってくれる気持ち、僕もそれに応えなきゃいけない。僕は正々堂々と、本物のラナちゃんを見つけるんだ。
「だけど北原、それじゃどうやって本物を見分けるんだ?」
 全く自信はなかった。あるのは信念だけだった。
「では、『本物のラナちゃん、どれ〜だ』コンテストの説明をいたします」
 マイクを持った宰相ラナちゃんがルールの説明を始めた。
「やり方はいたって簡単。旦那の前に置かれたワイドビジョン上に次々と私たちが現れ、自己アピールします。旦那がこの子と思ったら、その赤いボタンを押して下さい。ただしチャンスは一度きり。お手つきはなしです」
「…えらい厳しいな」
「それから旦那からその子への質問はいっさいなしです。よろしいですか」
「いいよ、それで」
 僕は頷いた。どっちにしろ不可能に近いことにかわりはない。
「ラナちゃん」
 僕はどこにいるか分からないオリジナルのラナちゃんに向かって言った。
「緊張しないでいつも通りのラナちゃんでいてね。そしたら必ず見つけてあげるから」
「は〜い!」
 僕を信頼しきった声が戻ってきた。
「旦那、頑張って下さいね!」
 4095の偽りの声と、たった1つの心からの声。ラナちゃんたちの励ましの声を胸に、僕はスーッと深呼吸をした。
「それではまいります!」
 こうして『本物のラナちゃん、どれ〜だ』コンテストは始まった。
「では、エントリーナンバー1番!」
 ガチガチに緊張しまくりのラナちゃんがワイドビジョンに映し出される。
「え、えと、旦那、お久しぶりです… って、あ〜っ! バレちゃった」
 自ら墓穴を堀り、ラナちゃんはペロッと舌を出した。けれど僕は、そんなラナちゃんを笑うことができなかった。
「残念だったね」
「はい… あ、でも駄目でも残念賞があるんですよ」
 ビジョンからラナちゃんの姿がかき消えたかと思うと、
「旦那」
「わっ!」
「ラナりん!」
 今まで死んだように動かなかったラナちゃんの体が蘇った。
「旦那。ちょっとの間だけオリジナルのこの体、借りちゃいますね」
「え、でも…」
「まあまあ、かたい事言わずに」
 そういってラナちゃんはとぷとぷとお茶を入れはじめた。
「さっき仲間うちで相談してたんです。正体がバレちゃったひとは、せめて旦那に一杯ずつお茶を入れさせてもらおうって。ねえ旦那、それくらいいいでしょ」
「ああ、そういう事なら。いいよ、もちろん」
「よかった」
 オリジナルと変わらない、ラナちゃんの笑顔だった。
「はい旦那。どうぞ、小林さんもサティアンさんも」
「おお、こらどうも」
「サンキュー」
 宰相ラナちゃんがしびれをきらせて言った。
「さあサクサクいっちゃいますよ。続いてエントリーナンバー2番…」

 そして何時間たったろうか。
 何回目かのトイレ休憩のあと、僕はぐったりと玉座に戻った。いくらちょっとずつとはいっても1000杯以上もお茶を飲めば誰だってぐったりすると思う。
「大丈夫ですか旦那。まだ先は長いですよ」
「うん。頑張る… ところで君はエントリーしなくていいの?」
 僕は宰相こと小林んちのラナちゃんに尋ねた。
「あら旦那、司会も交替制なんですよ。私で五人目です。気づきませんでした?」
「う、うん… 全然」
「ふふっ… 旦那、そんな調子で本当にオリジナルみつけられるんですかあ?」
 言われてしまった。まったくだ。
 一瞬の油断も許されない緊張の連続、襲い来る睡魔。僕はそれでも気力をふり絞ってラナちゃんを見つけるしかなかった。先は長かった。手を替え、品を替え、なんとか僕の目をひきつけようと、ラナちゃんたちも必死だった。
「続いてエントリーナンバー1563番」
「一発芸いきま〜す。ジャンプ大斬り! ジャンプ大斬り! ジャンプ大斬り!」
 僕は首を振った。
「本物のラナちゃんならハメ技しないもん。松井じゃあるまいし」
「うっ、実は私、松井さんにダウンロードしてもらったんです」
 あいつ全然ラナちゃんに興味ないふりして、実は隠れファンだったのか。松井め。
 そして隠れファンは他にもいた。
「エントリーナンバー3214番」
「北原〜っ!」
「…今の、なに?」
「えっと… 一応、先輩さんのマネ」
…一体いつからものマネ大会になったのか。
「ひょっとして君、先輩にダウンロードされて?」
「はい。今日は先輩さんの帰省先の長野からエントリーしてきました」
「長野から… そりゃわざわざ、ありがとうね」
 『頑張れニッポン!』。今の僕に言えるのはただそれだけだった。
 本物のラナちゃんは未だ現れなかった。コンテストはいつ終わるとも知れなかった。

 王宮の小さな窓からのぞく小さな空は、もうとっぷりと暮れていた。小林もサティアンもマーガりんも、うつらうつらと眠い目をこすっていた。
「はい旦那」
「どうも…」
 4094杯目のお茶を、僕はありがたくいただいた。
 もう限界だった。疲労は極限に達し、睡魔と尿意が交互に僕を襲う。それでいて次々と僕の前に現れるラナちゃんを見極めるため、うかつにまばたきさえできない程の緊張の連続… だけどあと二人、あと二人だ。僕が本物を見逃していなければ。
 ほんとはもうとっくに本物のラナちゃんは僕の前に現れていたんじゃないか。コピーたちはそんな全てをとっくに知っていて、僕をかげでせせら笑ってるんじゃないか。僕は本物のラナちゃんの事、偽物よばわりしてしまったんじゃないか。だってあと二人しかいないのに。言いようのない不安が僕を押しつぶそうとしていた。
 駄目だ、そんな事じゃ。今はただ目の前のラナちゃんに集中するんだ。
「続いてエントリーナンバー4095番」
「歌いま〜す。あーさだ、よあけーだ…」
 僕は首をふった。
「そんなあ… 旦那の好きそうな歌、選んだのに」
 違うんだ。いつものラナちゃんなら僕の趣味にあわせて媚びたりしないもの。ラナちゃんたちもきっと緊張してるんだ。だからすぐボロがでる。だけど… 本物のラナちゃんもガチガチに緊張してたら、それでも僕はラナちゃんって分かるだろうか。
 ラナちゃんたちを拒否し続けるこの数時間は、僕にとっては地獄だった。早く終わって欲しかった。それもこれも、あと一人だ。
「ではいよいよ最後です。エントリーナンバー4096番」
 最後のラナちゃんがマイクを手に現れた。
「こんばんわ、森進一です」
「君だ!」
 僕は思わず立ち上がって叫んでいた。
「君がオリジナルだ!」
 永遠のように思われる、一瞬の沈黙が漂った。僕はギュッ、と拳を握りしめていた。
「ピンポーン」
 ビジョンに映ったラナちゃんはにっこりと笑みを浮かべた。
「そんな、まさか…」
「信じられない…」
 コピーたちの間から、思わずため息がもれた。
「そうか、わかったで」
 小林たちは勝手に納得してる。
「うん。オリジナルのラナちゃんの方がコピーたちより北原との付き合いが長い分…」
「おバカ度がアップしてたんや」
「なんか…」
「…複雑な気分」
 僕とラナちゃんは顔を見合わせた。
「でもよかった。ラナちゃんがいつものラナちゃんでいてくれたから」
「もう、まかせて下さいよ」
「不安じゃなかった?」
「へへ〜」
 うわ〜、やめて〜。その信じきった目に僕は弱いんだ。
「でももう、こんなの二度と勘弁だよ。も一度やっても当てられる自信ないよ」
「リョウちゃん… アホ正直っちゅうかなんちゅうか」
「ふふふ… でもそれが旦那の」
「いいところ」
「自分で言うかなあ」
「へへっ…」
 僕は気力を使い果たし、玉座にへたりこんだ。
「旦那!」
 ラナちゃんたち、オリジナルもコピーたちも一斉に声をあげた。
「旦那、待ってて。今行きますから」
「ラナちゃん、ちょっと待って」
 自分の体に戻ろうとするラナちゃんを、僕はとどめて言った。
「その前に… 4095番目のラナちゃんに、お茶入れてほしいな」
「はい」
 顔をくしゃくしゃにしながら、ラナちゃんがお茶を入れてくれた。僕はありがたく4095杯目をいただいた。
「だから旦那って…」
「うん…」
 オリジナルとコピーたちはにっこり頷きあっていた。

 僕らは、元通りの体におさまったラナちゃんとともに王宮を出た。大通りに出るとコピーたちが先回りしていて、店頭のディスプレイから僕らを見送ってくれた。
「みんな、今日はありがとう。とっても楽しかったよ」
「お土産ももろたしな。おおきに」
「いいえ、お礼だなんて」
 これでアキバも明日から元通りだ。もうちょっと買い物しとけばよかったかな。
「私たちこそ、旦那につきあってもらって。とっても嬉しかったです」
「これからはみんな自分の家に戻って、それぞれの家で可愛がってもらってね」
 僕も、ラナちゃんたちも、なんだか別れ辛かった。ラナちゃんたちは名残惜しそうに僕の事をみつめていた。
「旦那」
 おずおずと言いだしたのは、小林んちのラナちゃんだろうか。
「私たち、オリジナルにすべてを任せます。でも… その前に、見せてもらえますか。旦那がどのくらい、オリジナルの事を思っているのか」
「え…」
「でないと私たち、安心してオリジナルにすべてを託せられません」
 コピーたちは頷いた。みんな同じ思いだという意思表示だった。
「…分かった」
 僕はきょとんとしているラナちゃんの方に向きなおった。
「ラナちゃん」
「はい?」
「ちょっと… 目つぶってて」
「あ…」
「おっ!?」
「げっ」
「やるなあリョウちゃん」
 コピーたちがジ〜ッ、と見守る中、僕は真っ赤な顔をして言った。
「え、と… これで分かってくれた?」
 ん、なに? コピーたち、笑ってる!?
「ふふふっ」
 こらえきれなくなったのか、コピーたちは声をあげて笑いだした。
「ちゃ〜んと分かってましたよ。旦那の気持ちくらい」
 ラナちゃんたちがいたずらっぽい笑顔をみせる。
「え〜っ、なにそれ」
「今のは私たちコピーからの、オリジナルへのプレゼントよ」
「えっ、私に?」
「あんたには散々迷惑かけたから」
「まあ、今ので許してやってよ」
「そんな、許すだなんて」
 コピーたちは、いつしか真顔になっていた。
「…旦那の事、頼んだわよ」
 ラナちゃんも、真顔で頷いた。
「じゃあ旦那、みなさん」
 コピーたちはちょこんとお辞儀した。
「うん。バイバイ」
「ほな」
「さよなら」
「ラナりん…」
 最後にもう一度、コピーたちが言った。
「旦那」
「ん、なに?」
「ふふふ… なんでもない」
 ラナちゃんたちは、澄んだ笑顔のまま、フッ… とかき消すようにいなくなった。風にあおられたローソクの炎のように。
 僕はなんだか胸騒ぎがした。
「マーガりん。小林んちのラナちゃんは?」
 マーガりんは、黙って首をふった。小林もサティアンも、ラナちゃんたちのいなくなったディスプレイを黙って見つめていた。
「ラナちゃん」
 ラナちゃんは、口を真一文字に結んだまま答えなかった。
「まさか!?」
 ラナちゃんはゆっくりと口を開いた。
「…仕方ないんです。こうなるしかなかったんです」
 いつになく厳しい、ラナちゃんの表情だった。
「あの子たちにとって旦那のいない生活なんて、死んでるのと同じ… ううん、死ぬより辛い事だから」
 ラナちゃんのつぶやきは、まるでひとりごとだった。
「でも旦那、心配しないで」
 ようやく顔をあげたラナちゃんは、せいいっぱいの笑顔を僕にくれた。
「その代わり、オリジナルの私がコピーの分まで4096人分、い〜っぱい旦那の事、愛しちゃいますから」
「…ほんと?」
「ええ」
 僕もせいいっぱいの笑顔をみせた。その方がきっと、ラナちゃんたちみんな、喜んでくれると思った。
「じゃあ僕も… みんなの分まで4096人分、ラナちゃんの事好きになっちゃう」
「ほんと?」
「うん…」
「旦那…」
「ラナちゃん…」
「…さあて、そろそろ帰ろかご主人さま」
「そやな。帰って風呂入らんと、ああなんか背中かゆなってきたわ」
「最後に見なくていいもんまで見ちゃったからな」
「みんな待ってよお〜」
 僕とラナちゃんは慌てて小林たちを追いかけた。
「ええなあ… なんで北原ばっかりあんなもてるんや」
「ええやないのご主人さま、ご主人さまにはうちがおるさかい」
「ほんまや」
「法子さんもでしょ」
「え、な、何やそれ。聞いてないで」
「ねえ、僕は?」
「サティアン、お前は帰って○ンチメンタル○ラフティでもやってなよ」
「ちぇっ」
 笑って帰る道すがら、コピーのラナちゃんたちの残していった笑顔が、僕の脳裡をよぎっていた。あの澄んだ笑顔を、僕はきっと忘れないだろう。

 僕とラナちゃんは夜遅く、ようやく家に戻ってきた。
「ああ、今日はなんか疲れちゃった」
「ほんと」
「そうだ… ラナちゃん、さっきはごめんね」
「何の事です?」
「ほら、さっき、強引にその… キスしちゃって…」
「やだあ、そんなの謝んないで下さいよお!」
 バシーン!
「いたあ〜っ!」
 その時、プルルルル、プルルルル… と、またまたピッチの音が。
 僕とラナちゃんは不安げに顔を見合わせた。
「まさか」
「まさかね」
 僕はおそるおそる電話をとった。
『もしもし、北原君!?』
「なんだ法子か」
『なんだはないでしょ』
「なんか用」
『へへっ。北原君、テレビ見てる?』
「テレビ!? なんの事」
『ふふふ… ごちそうさま』
 言いたいことだけ言って、法子は電話を切ってしまった。
「なんだよあいつ」
「あ〜っ」
 テレビをつけたラナちゃんが声をあげた。
「さっきの、ニュースでやってますよ。ほらほら」
「どれどれ」
 なにげなくテレビを見た僕は、そのまま凝固してしまった。
 画面にドドーン、とアップで映っているのは僕とラナちゃんのキスシーンだった。
『…4096人分、い〜っぱい旦那の事愛しちゃいます』
『じゃあ僕も』
『ほんと?』
『うん』
『旦那…』
『ラナちゃん…』

「あれ旦那、どうしたんです、どこ行っちゃったんです!? ねえねえ、一緒に見ましょうよお… そうだ、ビデオビデオ」

(続く)


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