〜アドバンスド・ワールド・MMXペンティアム少女ドラマ〜
『アキバ大パニック!』その10
――恋の強制終了の巻――

 前回までのあらすじ

 家族同様の仲間を地獄のスターリングラード戦線で失ったキタハラ少尉は孤独の中、人間不信に陥る。兵員不足の折、そんな彼の元に送られてきた補充兵は、コルホーズから戦車工場に働きに出ていたうら若き少女であった。女性とともに戦うことに戸惑いを感じる少尉と、そんな上官の無理解に苦悩する彼女。だが戦いの中で二人の信頼は高まり、そしていつしか二人の気持ちは、さながら揺れ動く二つの磁石のように互いにひかれあっていくのだった。
 これはキタハラ少尉とラナちゃん伍長、祖国のため戦う若き戦士達の物語である。

 春。だがロシアの大地の雪解けは遠く、そして祖国の解放という真の春はさらに遠かった。あの悪魔のようなファシスト達が滅びる日が、仲間たちの仇をとれる日が、本当に来るのだろうか。
 さっきまでの砲声が嘘のように、あたりは不気味なほど静まり返っていた。絶え間ない砲撃の音を子守歌がわりにしてきたせいで、この静けさに私はかえって寝つけずにいた。宿舎代わりの放棄されたこの荷馬車の中にまで大地の底冷えがしみてくる。
「少尉殿、お茶が入りましたよ」
 伍長の声に私は振り向いた。ロケット砲の閃光を避け壁際を向いて寝ていた私は、伍長がいつの間にか起きだしていた事にも気づかずにいた。
 私は起き上がって幌をまくり、外の様子をかいま見た。切り裂くような冷気が私の目を覚ます。薄明の空の下、何一つ動くものはなく、我々の頼もしい戦友、T−34の車体にはうっすらと雪が積もっていた。それはまるで、塗装する暇もなく鉄の地肌をさらして戦い続ける身を気の毒に思い、天が施した雪化粧のようだった。
「…はじまるな」
「ええ」
 1時間ほど続いた攻撃準備射撃と、示し合わせたかのような敵の攻撃準備粉砕射撃が終わって30分以上になる。これが嵐の前の静けさである事を、私も伍長も肌で感じ取っていた。
「伍長、眠らなかったのか」
「ほんのちょっと」
「もう少し休んでおいた方がいい。じき戦闘呼集がかかる」
「大丈夫です。それより少尉殿、サモワールが冷めちゃいますよ」
 伍長はとぷとぷとカップに琥珀色の液体を注いだ。白い湯気が沸き上がった。
 共にペリスコープを通してシネマのような地獄絵図を眺め、共に何台もの敵戦車を倒してきたこの頼もしい戦友を、私は不思議な気持ちで見つめていた。伍長が本当は人を傷つける事を何よりも嫌う心優しい女性である事を、私は誰よりよく知っていた。
「何を見てるんです、少尉殿」
「かいがいしくお茶をいれてくれる姿が、とても君らしいと思ってね」
「ふふ… それ、褒めてくれてるつもりですか」
「伍長… いやラナちゃん」
 私は彼女の目をみつめ、戦場で使うのとは別の勇気を奮い起こして言った。
「この戦闘が終わったら、君に伝えたい事がある」
「え」
 カップを差し出す、彼女の手が止まった。私はそっとその手を握った。
「だから、必ず生き残るんだ」
「キタハラ少尉…」
「君も私も、必ず生き残るんだ。いいね」
 伍長はコクリ、と頷き、頬を赤らめた。その時不意に、無粋な無線機が鳴った。
「来たな」
 私と伍長は互いに顔を見合わせた。いよいよだ。私は無線機を取った。
「わかってるよイワン。戦闘呼集だな」
『誰がイワンや。何が戦闘呼集や』
 シベリア生まれの通信兵イワン・コバヤーシ軍曹は田舎訛りがひどかった。
『北原、お前またラナちゃんと大○略かいな』
「よくわかったな、同志」
『お前は年がら年中それか、そればっかりか!』
「ハラショー、その通りだ。スパシーボ」
 その時だった。
 ズザザザザザ…
「少尉殿、あのスリッパで廊下をかけずるような音は!?」
「まさか!?」
 ズザザザザ… バーン!!
「北原あ〜っ!!」
「わ〜っ、先輩!?」
「先輩さん」
『どないした北原』
「敵の奇襲だ!」
「なにが奇襲だ北原君。うるさくて眠れんと、何度言ったらわかるんだ!」
「で、でも先輩。今は昼間の12時…」
「北原あ〜っ!」
「うわあ〜っ!」
 強襲を受けた我が部隊は壊滅した…

「…もしもし、小林か」
『おう。なんやさっき突然電話切れたけど、大丈夫か』
「大丈夫じゃないけど… なんか用だった?」
『お前が頼んでた事やろが。ラナちゃんのバイトの件や』

 三日ほど前の事。二人で夕御飯の片付けをしてた時、ラナちゃんが言ったのだ。
「私… アルバイトしてみたいんですけど」
「いいよ」
「え、ほんとに!?」
 あまりにあっさりした僕の返事に、ラナちゃんは却ってとまどったものだ。
「私、てっきり旦那に反対されるのかと…」
「なんなら反対しようか?」
「とんでもないです! じゃ、本当にいいんですね」
「武士に二言はない」
「旦那あ!」
 お気に入りのおもちゃを買ってもらった娘のように、ラナちゃんが僕の背中にしがみついてきた。
 ラナちゃんが随分前からバイトしたがってる事、僕はうすうす気づいていた。ラナちゃんの事を箱入り娘みたいにして猫かわいがりしてる事、自分自身反省してたから反対する理由なんかどこにもなかった。
 ラナちゃんのしたい事、なんでもやらせてあげようと僕は決めていた。ラナちゃんはお人形さんじゃないから、人間と同じように、自分の意思を持ってるんだから。
「で、どんなバイトがいいの?」
「え、まだそんな何も考えてないんですけど… でもできればいろんな人と出会ってお話しできるような、そんなお仕事がいいかなあ」
「よ〜し、じゃあ二人で探そうか」
「はい!」
 ところがそう簡単にはいかなかった。ラナちゃんには住民票なんてないし、履歴書を正直に書こうもんなら、どこもまともに相手してはくれなかった。
「いろいろ難しいんですね」
「みんなバカだよな。ラナちゃんってマジメだし、仕事はバリバリできるし、そこらの女子高生雇うよりよっぽどいいと思うんだけど」
 結局、情報誌を使った正攻法ではらちがあかず、僕は顔のきく小林に相談しておいた。人づてならなんとかなるだろうと思って。

「で、なんかいいバイト見つかった?」
『ええかどうか分からん。俺も人づてに聞いた話やから』
「人づて?」
『松井や。ラナちゃんがバイト探しとるっちゅうたら、さっそく飛びついて来よってええとこ紹介したるって、ウキウキして言うとったで』
「どんなバイトなんでしょう?」
『なんでも、お客さんに笑顔を振りまく商売やとか言うとったな』
「わあ、そういうのやりたかったんです!」
「おい。それ、なんかヤバい仕事じゃないの?」
『俺に言われても分からんて。松井が、今日やったら一緒に下見に行けるって言うてるんや。どうする』
「はい、喜んで」

 僕とラナちゃんと小林と松井は、連れ立ってJR中央線のとある駅に降り立った。
「松井さん、わざわざすみません」
「と〜んでもない! ラナちゃんみたいな可愛い子、探してたんだから」
「…なんか、やっぱりヤバい仕事じゃないの?」
「ヤバくない、ヤバくないって。まあ、来てみりゃすぐ分かるから」
 僕らはぞろぞろと、長い長い商店街を奥へ奥へと進んでいった。ラナちゃんは珍しそうにあたりをキョロキョロしてる。
「私、秋葉原以外の街って滅多に来ないんですよ… 旦那は?」
「まあ、ここはちょくちょく。よく行く店があるから」
「二人で一緒にな」
 ところで松井はどんどん、そのなじみの店の方角に向かって歩いていくのだ。
「なあ松井」
「あん?」
「なんかどんどん、その… 『あの店』に近づいてるような」
「そうか? まあ気にすんなよ」
 そうしてどんどん、松井に導かれ、僕らは歩き続け…
「ああ、やっぱり…」
 僕らは商店街のビルの中の、『あの店』の前に立っていた。
「…ちゅう事は、ラナちゃんのバイトって」
「そういう事」
 僕はラナちゃんの手をひいた。
「ラナちゃん、帰ろう」
「え、なんでですか?」
「保護者としてラナちゃんを、こんなところで働かせるわけにはいかない」
「ちょっと待てよ」
 と松井。
「こんなところって言うけど、これはれっきとした健全なバイトだぜ」
「んなこと言ったって… なあ小林」
「俺もあんまり賛成でけへんけど… そやけど決めるのはラナちゃんとちゃうか。ラナちゃんにまず見てもろて、決めるのはそれからでええやないか」
 正論だ。僕らは薄暗い店内を、松井に誘われるように入っていった。
「あの、松井さん… ここって一体、なに屋さんなんですか?」
「古本屋だよ」
「…変わった古本屋さんですね」
 ラナちゃんが不思議がるのも無理はない。
「なんか、とっても可愛い服着た女の人とかいるんですけど…」
「そういう店なんだよ」
「わあ。チャイナドレスみたいなのとか、赤ずきんちゃんとか…」
「そういう店なんだよ」
 そう。ここは古本屋でありながらなぜか女の子がコスプレしている、不思議なお店なのだった。
「いいな、いいな。私も着てみたい」
「着てみる?」
「え、いいんですか!?」
「だってそういうバイトだから」
 すました顔で松井は言った。
「可愛い服を着て、お客さんに笑顔を振りまく仕事だよ。ラナちゃんにはぴったりだと思って、それで紹介したんだけどね」
「やりたい、やりたい!」
 ラナちゃんは松井の心理作戦にみごとにひっかかった。
「…ねえ、旦那」
「ラナちゃんがいいと言うならいいよ」
 僕はガンコ職人のように腕組みをして言った。ラナちゃんの笑顔がこんな不健全な空気の中、むさくるしいオタクどもの視線にさらされるなんて、考えただけでもぞっとするけれど。
「北原、おまえ大人になったなあ」
 すっかりノリ気のラナちゃんは店長に面談に行き、即オッケーをもらった。
「さっそく明日から来てくれ、って言ってくれました」
「そやけどよくオッケーもろたな」
「まあ、このルックスだから。それから北原と小林の名前、保証人のとこに書かせてもらったからね」
「お前なあ…」
「ちなみにあの店長、俺のアニキだよ」
 恐るべき松井の完全犯罪であった。

 次の日の昼休み、今日からはラナちゃんのいない昼御飯だ。僕はもそもそとランチジャーのお弁当を食べていた。するとさっそく法子が冷やかしにきた。
「ラナちゃん今日からバイトなんだって? ねえ、学校終わったら見に行かない」
「そのつもりだよ」
「俺も行くわ。一応、ラナちゃんの保証人やしな」
「俺も。やっぱ紹介した手前もあるし」
「ぼ、僕も行っていい?」
「サティアン、来てたのか。全然気づかなかったぞ」
「ぼ、僕もラナちゃんのコスプレ見てみたい」
「見るのはいいけどサティアン、その一眼レフはなんだよ」
「一枚100円でいいよ」
「なら撮影料として一枚につき500円もらおうか。保護者として当然の権利だ」
 法子は僕らの会話を、ただただ呆れて見ていた。

 そして僕らがまたぞろぞろ、古本屋でありながらなぜか女の子がコスプレしてる不思議なお店(長たらしいので以後、仮に『ま○だらけ』と呼ぼう)に入ると、
「ああああ〜っ!? ラナちゃん!」
 いきなり、アイヌ娘の姿をしたラナちゃんにでくわした。
「いらっしゃいませぇ… あ、旦那! みなさん!」
 営業スマイルのラナちゃんが僕を見た瞬間、とっておきの笑顔になった。
「ラナちゃん、似合ってるわよ」
「俺の見込んだとおりだ。紹介した甲斐があったよな」
「ほんと? 嬉しいな」
 ラナちゃんのはずんだ声に、長い黒髪とひらひらの赤いリボンが舞った。
「マーガレット、お前も一緒やったんか」
「強力な助っ人よ。ねえマーガりん」
「なあラナりん」
 いつの間にかラナちゃんの肩に、タカの恰好したマーガりんが乗っかってる。
「マーガりんちゃんも似合ってるわよ」
「…似合ってても、あんまり嬉しないけどな」
 マーガりんはぶうぶう言いながら羽ばたきをした。
 早くもサティアンはフラッシュたきまくりで、いきなり店員さんに注意されてる。
 だが僕は、僕はそれどころではなかった。
「北原。お前もなんか言うたれや」
「旦那、どうしたんです… ひょっとしてこの恰好、気に入りませんでした?」
「あう、あう」
「なんか、首振ってるぞ」
「…ひょっとして、感激しとんのとちゃうか」
 この時すでに僕の理性は身体を離れ、20億光年の彼方に飛んでいた。
「…変な旦那。じゃ、私たち仕事中ですから。みなさんまた後でね」
「あうあう」
 僕はラナちゃんの袖をひっぱった。
「え、なんですか旦那。行くな、って? そんな困らせないで下さいよ」
「あう〜、あう〜」
「あんまり無茶言うと、大自然のおしおきしちゃいますよ」
「あう〜っ! してして、ア○ヌムツベして〜っ! ついでに寝首かいて寝首!」
「結局お前が一番喜んどるやないか」

 それから僕と小林は毎週かかさず『ま○だらけ』に入り浸るようになった。
「だけどこの店来ると、ついついいろいろ買いすぎちゃうんだよね」
「これも松井の作戦ちゃうか」
「小林、いつもいつも付き合ってくんなくてもいいんだぞ」
「いや、ここだけの話やけどな」
 と小林はそこらじゅう響きわたるような声で言った。
「マーガレットとラナちゃんもやけど、ここの店の子、えらいレベル高いと思わんか」
 こいつ、やはりそれが目当てだったか。
「なんでか知らんけど沖○艦長のかっこしてるあの子、実はなかなかやで。なあ」
「お前、ああいうタイプに弱いもんな」
「それと、あのベ○ダンディのお姉さん。怖いくらいの美人やな」
「ああまで美人だと、誰も手ぇ出せないね。なんでコスプレなんかしてんだろ」
「それからあのシ○バー王女。あれ、どう見ても小学生やな。犯罪やで」
「あの子はサティアン好みだな」
「そういうお前はどうなんや」
「僕はラナちゃん一途なんだもんね」
「そうか? あのプラグスーツ着た綾○なんか、モロお前のタイプや思たんやけどな。
 あの童顔とナイスバディのアンバランスなとこが」
「そうそう、特に胸のあたりが」
「お前ちゃんとチェック入れとるやないか」
 と、そこへ、
「旦那、小林さん。また来たんですか」
「二人とも、ええ加減ヒマやな」
 ギクゥ〜ッ! ラナちゃんたちの声に僕らは慌てて振り向いた。
「お、マーガレットもラナちゃんも、衣装かえたんかいな」
「ああっ、あああっ!」
「なんやリョウちゃん、またおかしいで」
「ほんとだ。酸素不足の金魚さんみたい」
 アイヌ娘の次はセーラー○ターン! なぜだ。なぜそれほどまでに僕の弱いツボを的確に見抜いてるんだラナちゃん、君って人は!?
「そうだ。今日はこのあとバイトのお友達とお茶しに行くんですけど、旦那も小林さんも、一緒に行きません?」
「おう、喜んで」
「行く行く、行くからその恰好で来てね」
「行けるわけないでしょ! あ、そうそう旦那」
 ラナちゃんは僕の耳に顔をよせ、もそもそと囁いた。
「綾○さんのコスプレしてる一菜さんって言うんですけど、彼女も一緒ですよ。よかったですねえ旦那くふふふふ」
 ひい〜っ、こ、怖い。怖いよおラナちゃん。

「え〜とですね。こっちから順に、なえぴょんでしょ、メグ姉でしょ、マリちゃんに、かずなさん」
 近くのドーナツ屋で女の子たちに囲まれ、僕も小林も顔がにやけるのを止められなかった。
「知ってました? ラナちゃんの人気、凄いんですよ」
「うちのお店ってお客さんに人気投票してもらうでしょ。ラナちゃんがお店に入ってから、もうみんなビクビクもんよ」
「うそうそ、みんなおおげさなんだから」
「おまけにラナちゃんにはマーガりんちゃんもついてるし」
「マーガりんちゃんも可愛いわよお」
「そやけどうち、タカとかネコとかそんなんばっかりや」
「マーガレットは何やりたいんや?」
「うち、ナ○シカやりたいな。似合うと思うんやけど、なあご主人様」
「…さあて、次いこか」
 それにしてもみんながみんな、ラナちゃんに負けない美女、美少女ぞろいだ。これじゃお客もはいるはずだ。
「ねえ先輩」
 隣に座った一菜ちゃんはなぜか僕の事を先輩と呼ぶのだ。コスプレの時とはまるで印象の違うピンク系の服が、またよく似合っていた。
「ラナちゃん以外だったら、先輩は誰が一番かわいいと思います?」
「えっ!? そ、それは…」
「あ〜っ、赤くなった」
「か〜わい〜んだ先輩」
 ひ〜っ。これじゃ拷問だ。ここは天国か地獄か、どっちかに違いない。
「一菜さんのプラグスーツ、かわいいですよね〜」
 とラナちゃん。
「私も着たかったんだけど、先こされちゃった」
「いや、ラナちゃんはナコピーやほ○るちゃんのほうが似合うと思うよ」
「え〜、なんでですか」
「え、だってほら、髪が長いし、なんとなくね、ははは…」
 僕は笑ってごまかした。
「はあ…」
 ラナちゃんは納得いかない様子だったがふっと一菜ちゃんの胸元を見た瞬間、全てを悟りがっくりとうなだれた。
「…いいんです。どうせ私はウォッシュボード」
「言ってない言ってない、そんな事、言ってないって!」
 思ってるけど。
「あ〜っ、先輩がラナちゃんいじめた。いけないんだ」
「ご、誤解だよ!」
 一菜ちゃんって一見おとなしそうだけど、こうして見てるととても元気で、なんかモロ僕のタイプ… ああいかんいかん。
「ええっ、これでもあたし、人見知りする方なんですよ」
 僕がなんとなくそういうふうな事を尋ねると、一菜ちゃんはそう言った。
「え〜、うそうそ」
「ほんとほんと。初めて会う人って、しばらく様子うかがってて、ああ、この人なら大丈夫ってそう思って、それからなの」
「でも僕、初対面だよ」
「だって先輩はラナちゃんの彼氏だから」
「一菜さん、旦那は彼氏じゃなくて…」
「あんたは黙ってなさいって」
 言いかけたラナちゃんの頭をムギュッと押さえつけて一菜ちゃんが続けた。
「ラナちゃん見てたら分かるの。ラナちゃんの彼氏って優しくていい人なんだなって。ほら、犬は飼い主に似るって言うでしょ。ねえラナちゃん」
「わん」
「でもこの子ちょっとおかしいんですよ。自分の事パソコンだなんて言ってるし、彼氏の事、旦那なんて…」
「だって旦那は旦那だもん」
「あんたねえ…」
 とそこまで言った一菜ちゃんは何を勘違いしたか、ツツ〜ッと引いた。
「まさか先輩とラナちゃん、すでに結婚…」
「してないしてない!」
「結婚してなくて彼氏でもない。ふーん… じゃ、先輩ってフリーって事じゃない。じゃ、もらっちゃおうかな、もらっちゃうぞ〜」
 そう言って一菜ちゃんが横目でラナちゃんを見ながら僕の左手に腕を回した。
「助けてラナちゃ〜ん。僕、連れてかれちゃうよ〜」
「どうぞどうぞ。ドギーパックでもなんでも、お好きにお持ち帰り下さい」
「そんな〜」
 でもどうやらラナちゃん、みんなとうまくやってるようで、まずは一安心。

 バイト先での元気なラナちゃんを見て、やっぱりバイトさせてあげてよかったと思った。もっと早くラナちゃんを外に出してあげるんだったと反省した。
 いい事ばかりじゃない。ラナちゃんの方が僕より帰りが遅くなる事もままあった。家に帰った時にラナちゃんがいないのは寂しいけど、今までずっと僕の帰りを一人で待っててくれたラナちゃんに比べれば、なんてことない。たまには僕がラナちゃんに夕御飯作ってあげよっと。
 そう思って僕がお湯を沸かしはじめるとラナちゃんがちょうど帰ってきた。
「ただいま旦那。遅くなって」
「お疲れさまラナちゃん。今、夕御飯作るとこだから」
「わあ、インスタントラーメンですか。ごちそうさまです」
 う〜ん。すっかり見抜かれていたか。
「旦那、一菜さんがね」
「一菜ちゃんが!?」
 ラナちゃんはショルダーバッグを置いてちゃぶ台の上を片付けながら言った。
「インターネットのやり方、教えてほしいんですって」
「はあ?」
「こないだ友達からパソコンもらったけど、全然使い方分からないんですって」
 僕はあきれてラナちゃんを見た。
「そんなのラナちゃんが教えたげればいいじゃない」
「はあ、まあ…」
 とラナちゃんはなんだか答えをはぐらかせ、
「でもね、旦那がコンピュータの学校に通ってるんですよって一菜さんに言ったら、そしたらぜひ旦那にコンピュータの事、教えてほしいって」
「でも僕、人に教えられるほど詳しくは…」
「旦那!」
「はい〜っ」
「お願いしますね」
 ラナちゃんはニコッと笑った。その笑顔がダメ押しだった。
「分かったよ… でもラナちゃんも一緒に来てね」
「はいはい」

 一菜ちゃんの家は、バスと電車を乗り継いだ先の閑静な住宅街にあった。二階の一菜ちゃんの部屋は彼女のさっぱりした性格からは意外なほど、女の子女の子してた。
「うわ〜っ、全部ピンク…」
「…ですね。でも、とってもかわいい」
「でしょ」
 だが壁がピンクだとか床のカーペットがピンクだとか窓のカーテンがピンクだとかピンクの棚の上のくじらのぬいさんがピンクだとか出されたティーカップとトレーと陶器のスプーンがお揃いのピンクだったとか、それはこの際問題ではなかった。
「こ、これは…」
 ピンクの机の上に置かれた、これだけはさすがにピンク色をしてないパソコンを一目見て、僕もラナちゃんも唖然としてしまった。
「マック、ですか…」
 マックの前ではウインドウズユーザーはみな言葉を失う。
 僕だけではなかった。無敵のペンティアム少女ラナちゃんでさえ、腕組みをして、
「う〜ん」
 うなるほかはなかった。
「あの… うちのパソコンって、なんか変?」
 一菜ちゃんときたら、子供の診察を見守る母親のようにオロオロしてる。
「大丈夫、私にまかせて。同じパソコンどうし、話し合えばきっと分かりあえます」
 ラナちゃんはそういって、持ってきたショルダーバッグをごそごそと探り始めた。
「でもラナちゃん、ラナちゃんとマックじゃ接続端子が…」
「私のシリアルとこの子のSCSIつないじゃいます」
「そんな強引な」
「えいっ」
 ラナちゃんはヴィーン、とマックの電源を入れた。
「ふんふん… 旦那、いけますよなんとか」
「そんな馬鹿な!?」
「あ〜、でもめちゃくちゃ方言きついなあ。話通じるかしら… こんにちわ、私ラナって言います。え? ううん、そうじゃなくてえ。分かる!? ラ・ナ!」
 そんなラナちゃんを一菜ちゃんは呆れたように見ている。
「…あの、ラナちゃん何やってんの?」
「しっ! ラナちゃんは今、一菜ちゃんのパソコンとお話してるとこだから」
「へっ!?」
 その間にもラナちゃんとマックとの語らいは続いていた。
「ふんふん… あんれまあ、そら気の毒になあ。んだんだ、おめえさの言う通りだ」
 いつの間にかラナちゃんまで方言モードに突入しちゃってる。
「んだば、ちょっと待っててくんろ。しっかり伝えとくでよ」
 ようやく会話が一段落したらしく、ラナちゃんは顔を上げ、前髪をかき分けた。
「ふう…」
「どう、ラナちゃん。インターネットできそう?」
「インターネット!? ああ、そんなのすっかり忘れてました」
 ラナちゃんは一菜ちゃんの方に向き直って言った。
「一菜さん、この子随分寂しがってたみたいですよ。もっと可愛がってあげて下さい」
「え〜っ。ちゃんと可愛がってるよ。毎日のようにほこり掃除してあげてるし」
「それはいいんですけど… この子こっちに来てからまだ一度しか電源入れてもらってないって言ってますよ」
「げっ、そうなの一菜ちゃん」
「だ、だって使い方分からないんだもん」
「この子は新しいご主人様に尽くそうって、張り切ってこの家に来たんですから… スクリーンセーバーでも壁紙でもいいですから、使ってあげてね」
「う、うん」
「で、インターネットでしたね。今聞いてみますから」
 またまたラナちゃんはマックに向き直った。
「んでよ、一菜さんがよ、インターネットしたいんだと。おめえんちのブラウザ、調子わり〜のけ? ん!? え!? なんだべそりゃ!」
 振り向いたラナちゃんは、なかば呆れ顔で言った。
「あの… 一菜さん。電話回線が繋がってませんって」
「え!? インターネットって電話なんか使うの?」
 原因は解明された。
「こんな事もあろうかと持ち歩いててよかったわ」
 ラナちゃんはショルダーバッグからモジュラーコードを取り出した。
「一菜さん。このモジュラーコード、家の電話のとこにつなげてきてくれます?」
「う、うん… へー、『モジュラーコード』っていうの? こんなのいるんだ」
 一菜ちゃんはコードをひっぱって階下に消えた。その後ろ姿を見送りながら僕は、メーカーのサポートセンターの人たちの苦労の一端をかいま見た気がした。
 こうしてようやく可哀相なマックは社会復帰を果たした。今どき電話回線のつながってないパソコンなんて、村八分にされてるようなものだ。
「もう大丈夫だと思いますけど一応、動作確認しときますね。旦那」
「よっしゃ」
 ラナちゃんの立ち上げたブラウザに、僕はキーボードを叩いておなじみのアドレスを入力した。たちまちおなじみの妖精が現れた。
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ〜ン!」
「あ、マーガりんちゃんじゃない!?」
「そう、ある時はナコピーの無二の親友ママ○○、そしてある時はなぜかセーラーサ○ーンに付き添うア○テミス、しかしてその実態はご主人様の作ったホームページの案内役。人呼んでバーチャル・ペンティアム妖精のマーガレットとはうちの事や」
「はい、動作確認オッケーね」
「そういう事。じゃあなマーガりん」
「じゃあなって、ちょっと待ち〜や、うちの出番これだけかいな。そらないで、シャレなってへんで。リョウちゃん、ラナりん、一菜ちゃんもなんとか言うたって〜な、そんな殺生な、お〜い…」
 ブチッ。
「さあ、これで一菜さんも今日からインターネット・サーファーの仲間入りよ」
 ちょっと古いけどねその言い方。
「ありがとね。でもラナちゃんがこんなにパソコンできるなんて知らなかったあ」
 できるとかできないとかいう次元の問題じゃないと思うが。
「言ってるのに全然信じてくれないんだもん、一菜さん」
「だってラナちゃん、店のレジ番さえできないじゃない」
「う…」
「レジ番… そりゃ無理だな」
 まるで原付ブイブイいわせてるおばさんがチャリンコに乗れないようなもんだな。
「ところで一菜ちゃん、インターネットで何するの?」
「いろいろ。そうだ、先輩んとこにもお礼のメール出しとくね… あ、でもその前に」
「その前に?」
「ピンクのモジュラーコード、買わなくちゃ」
 さすがのラナちゃんもずっこけた。

 それから三人でモジュラーコード買って、ついでにカラオケに寄ってラナちゃんお得意のガ○ガイガーをみんなで絶唱して、夜遅く帰ったその日のうちに、
「旦那、さっそく一菜さんからメール届いてますよ」
「へー、ちゃんと使い方分かったんだね。たいしたもんだ」
「プリントアウト、ここに置いときますね」
「ん」
 流しで歯をみがいてた僕はなにげにちゃぶ台の上のプリントアウトを見にいった。
 ひどく簡潔な文章だった。

   北原リョウ様:

   一菜です。
   都合がよければ今度の日曜日、デートしません?

 僕はゴクッと、唾液と歯磨き粉の混合物を飲み込んだ。
「あの、ラナちゃん…」
「はい?」
 押入れから布団を出しながらラナちゃんが生返事する。
「このプリントアウト、見た、のかな?」
 見た、よね。そりゃ。ラナちゃんが受信してラナちゃんがプリントアウトしたんだから。
 僕の部屋は気まずい沈黙に包まれた。
 一菜ちゃん、なんでこんなのメールで送るかなあ。一菜ちゃんはラナちゃんがパソコンだって事、いまだに信じてないんだな。ひょっとして僕らが同居してるって事も知らないのかも。それにしても大胆すぎるよ。僕たちまだ知り合ったばかりだし、そもそも僕にはラナちゃんが…
 それとも一菜ちゃんには何もかも分かってるのか。ひょっとしてこのメールはラナちゃんへの宣戦布告なのか、まさか!?
「やったじゃないですか、旦那ぁ」
 ギクッ。ラナちゃんを振り向くのが、顔を見るのが怖い。
「え、いや、あの…」
 ラナちゃんは自分から僕の顔を覗き込んできた。
「ムフフフ… やりぃ、一菜さんゲットだぜぃ!」
 僕の心配が無意味なほどあっけらかんとした笑顔だった。
「このこのっ、憎いねえ。よっ、色男。日本一ぃ、神谷町!」
 ラナちゃんが僕に肘鉄の連打をくらわす。どうなってるのこれって? 
 まさかラナちゃん、あまりのショックにおかしくなっちゃったんじゃ?
「な〜んてね。はいこれ」
 ラナちゃんは笑いをこらえてもう一枚のコピー紙を渡した。
「さっきのメールの続きです」
 僕はひったくるようにそれを取った。そこにはこう書いてあった。

   ラナちゃんと三人でね。

      山本一菜
   @@@@@@@.@@.jp

「もう〜っ!」
「あ、旦那おこった」
「ラナちゃん!」
 僕は狭い部屋中ラナちゃんを追っかけ回した。
「ごめんなさ〜い」
「びっくりしたじゃないかあ!」
 僕とラナちゃんはちゃぶ台の回りを何度も回った。
「でも、ちょっとときめいたでしょ」
「ちょっとどころじゃ… もごもご、とにかく!」
 僕はようやく立ち止まって、大きく息をついた。
「僕にはちゃんとラナちゃんがいるんだからね」
 ラナちゃんもようやく立ち止まって、からまった電源コードをほどきながら言った。
「じゃ、旦那は一菜ちゃんに二人きりのデート、誘われても行かないんですか」
「行かないよ」
「じゃ、もし私がいなかったら?」
「そしたら…」
 僕は答えにつまった。
「とにかく、ラナちゃんがいなかったら一菜ちゃんにも出会ってなかったんだし… それに一菜ちゃんは僕の事そんなふうに思ってないよ」
「なんでそう決めるんです」
「だって、僕のいったいどこがいいの?」
「旦那は、自分のいいところが分かってないんですよ」
「ラナちゃんには、分かるの?」
「もちろん」
 ラナちゃんはにんまりして言った。
「旦那は自分の事、ちっとも分かってないんですよ」
「そうかな…」
「とにかく旦那。日曜日、行きましょうねデート」
「うん…」

 待ち合わせの時間に待ち合わせの場所に行くと、もう一菜ちゃんは待っていた。
「一菜ちゃん、ごめ〜ん」
 一菜ちゃんは予想通り、頭がクラクラするほどピンクで揃えたコーディネイトだ。
「あたしが早く来すぎただけだから… ラナちゃん、その服似合ってるわよ」
「ほんと!?」
 ラナちゃんの方はピンクといってもベージュに近い落ちついた感じだ。
「これ、僕がラナちゃんに買ってあげた… ムニッ」
 ムニッ、っていうのはラナちゃんが僕の手をつねったからだ。
「一菜さんも、その服似合ってます」
「ほんと!?」
「旦那もそう思うでしょ」
「うん、思う思う。でも三人で気軽にデートなんだから、そんな気合いれなくても… ムニッ、痛いよラナちゃん」
 一菜ちゃんはククッ、と笑いながら、バッグからチケットを取り出した。
「これ、友達がいらなくなったからって。遊園地のタダ券」
「わあ、ありがとう」
 三枚もくれるなんて奇特な友達だね、って言おうとしたんだけど、なぜかまたムニッてやられそうな気がしてやめた。
「遊園地なんか久しぶりだよ」
「私なんか始めてですよ」
「え〜っ、うそラナちゃん」
「なんかドキドキしてきました」
 遊園地。僕にはあまりいい思い出はない。特に小林と二人きりで行ったあのディズニーランド。ああ思い出したくもない。そんな僕が女の子二人と遊園地に行ける日が来るなんて。長生きはするものだ。
「ねえねえ、お化け屋敷行きましょ」
「え〜、一菜ちゃんてそういうの好きなの?」
「なんですか、お馬鹿屋敷って」
「行けば分かるって」
 そこはまた随分とクラシックなお化け屋敷だった。
「こんなの、子供でも怖がらないよ」
「ここって、怖い所なんですか?」
 ラナちゃんは平気でろくろっ首だのドラキュラだの眺めてる。
「ん、一菜ちゃんどうしたの」
「なんか、震えてますよ」
「一菜ちゃんこういうとこ好きなんじゃないの」
「怖いの好きだけど、怖いの」
 女の子って、よ〜わからん。
「ほら旦那、なにやってんですか」
 ラナちゃんに押されるようにして、僕は一菜ちゃんの手をとった。一菜ちゃんは僕の腕にギュ〜ッとしがみついてきた。
「…ほんっとに怖いんだね」
「だから怖いって言ってるのに〜」
 ほとんど抱えられるようにして、ようやく出口が見えてきた時だった。
「ん、ラナちゃん。今なんか言った?」
「いえ、別に」
「後ろからなんか聞こえたような気がしたんだけど… 気のせいかなあ」
「やめてよ先輩〜」
「だって確かに…」
 その時、後ろの方からはっきりと、不気味な声が聞こえてきた。
「えしぇ、えしぇ、えしぇ…」
「キャ〜ッ!」
「あ、あの声は!?」
「えしぇえしぇしぇ… ラ〜ブコ〜メ〜!」
 姿を現したその人影は、もはや絶滅したと思っていた、あのラブコメばばあ!
「わあ、お久しぶりです」
「ばあちゃん、ここでバイトか? はまりすぎだぞ」
「何言うとる、わしゃ客じゃ。やれやれ、やっとこさの出番じゃわい… ん?」
 一菜ちゃんを抱えてる僕を見てラブコメばばあがにたあ〜っと笑った。ただでさえ不気味なその顔は、まるで地獄への勧誘のようであった。
「見ぃたぞ〜。この二股がけの色事師めが。ぐふっぐふっげふっ」
「一菜ちゃんはそんなんじゃな… ムニッ、いてて」
「お若いの、モテモテじゃのう。わしを入れたら美女三人じゃ」
「入れるな〜っ!」
「ふぉっふぉっ… お取り込み中、邪魔したの。ではまた会おうぞ」
「おばあちゃんもお元気で」
「えしぇしぇしぇ…」
 ばばあは永遠の闇のなかに消え去った。
「な、なんだったの今のは…」
 まるで悪夢からさめたように一菜ちゃんがつぶやいた。まさに悪夢であった。

 なんとかお馬鹿屋敷から生還を果たし、僕らは近くのクレープ屋にたどり着いた。
「お〜いしい!」
「遊園地で食べると、なんでも二割増しおいしいのよね」
「一菜ちゃん、さんざん怖がってたわりにはよく食べ… ムニッ、いてて」
 その時、一菜ちゃんの携帯が鳴りだした。
「ちょっとごめんね」
 一菜ちゃんは少し離れて電話しだした。
「はい… ええ… え、そうなの…」
 みるみる一菜ちゃんの顔色が曇っていった。
「…うん、分かった」
 どうしたの? って聞く前に一菜ちゃんは話しだした。
「バイトの方、人が足りないんだって」
「でも、断ったんだろ?」
 一菜ちゃんは悲しく首をふった。
「穴あけちゃ悪いから… ごめんね先輩、ラナちゃん」
「僕らはいいんだけど…」
 一菜ちゃんは気の毒なくらいがっかりしてた。
「あの…」
 ラナちゃんがおずおずと言った。
「私が代わりに行きますよ」
 僕も一菜ちゃんも、えっ、とラナちゃんを見た。
「別に私でも構わないんでしょ」
「それはそうだけど、でも…」
「私は旦那といつも会ってるから」
 ラナちゃんはにっこり笑って、
「一菜さん。旦那の事、頼みますね」
 そうして早くも席を立つと、ラナちゃんは僕の耳に顔を近づけて囁いた。
「旦那、くれぐれも言動には注意して下さいよ。それから割りカンなんかしちゃ駄目、全部旦那のおごりですよ。帰りはモチロンちゃ〜んと家まで送って。いいですね」
 じゃ、と言い残してラナちゃんは足早に行ってしまった。あとには僕と一菜ちゃんだけが残った。
「行っちゃった…」
「うん…」
 あまりに素早いラナちゃんの行動に二人とも唖然として、後ろ姿を見送っていた。
「ごめんね先輩。本当は私が行かなきゃいけなかったのに…」
「僕に謝る事ないよ」
「だって、せっかくのデートが…」
「一菜ちゃんこそ… ラナちゃんいなきゃ、デートの意味、半減だもんね」
「ううん」
 なんか急に僕も一菜ちゃんも、お互いの事モロに意識してしまってた。ラナちゃんというサスペンションが抜けて、互いの一挙一動、言葉一つに過剰なまでに反応してしまってた。『ううん』って、どういう意味なんだろ。
 デート、という言葉にいきなり16tのおもりがつり下げられた感じだった。
「え、と… 次、なんか乗ろうか。ジェットコースターでも」
「あたし… 観覧車がいいな」
「うん」
 すごく不自然に、僕らは歩いた。手をつなぐのも、つながないのも不自然で。50センチという距離が僕らの複雑な関係を物語っていた。ラナちゃんとなら手をつないでいようが離れていようが、とても自然でいられるんだけど。ようやく観覧車乗り場にたどり着いた時、すでに僕はエベレスト登頂に匹敵するくらいヘトヘトになっていた。待ち行列に並んでなにげなく一菜ちゃんを見ると、モロに視線が合ってしまって、脳味噌が瞬間湯沸器のように沸騰して何言っていいか分からなくなった。
「観覧車すき?」
「え、なんとなく…」
 少なくとも一菜ちゃんは、とても楽しそうには見えなかった。
「今日、このあと天気悪くなるらしいよ」
「そうなの」
「…今日は、早めに帰ろうか」
 一菜ちゃんは俯いたまま、黙って答えなかった。
「ラナちゃんいなくて僕だけで、つまんなくない?」
 一菜ちゃんは俯いたまま、かすかに首を横に振った。
「先輩は、つまんないですか」
「ううん」
 相手の事を傷つけたくなくて相手の気持ちを探りあってる。でも本当は、自分が傷つきたくないだけなのかもしれなかった。
「もう少し、遊んでいこうか」
 かすかに首を縦に振り、ようやく一菜ちゃんが顔をあげた。
「うん」
 一菜ちゃんの笑顔が僕の笑顔を呼んで、僕の笑顔が一菜ちゃんの笑顔を呼んで、ようやく二人、リラックスできた。

 日本中が春だった。観覧車から見える多摩の丘陵も、一面の春だった。
「ねえ、なんで僕、先輩なの?」
「気にしないで。私、年上の男の子はみんな『センパイ』って呼んでるから」
「ふ〜ん」
「いや?」
「ううん。なんか学校の先輩みたいで… 一菜ちゃんはさ、同級生の男の子と遊んだりしないの?」
 ゲーッ、って顔を一菜ちゃんはした。
「あいつらガキだもん。それもただのガキじゃなくてエロガキだから始末におえないのよね。もう下心みえみえって感じで」
「そんな子ばっかじゃないだろ」
「あとはホンモノのガキね。ゲーム買ってきて喜んでるような」
「それって僕の事だよ」
「先輩は全然違いますよ。優しくて、大人だから」
 優しい、か。ラナちゃんにもそう言われるけど、自分じゃそんな事ちっとも分からない。もしも僕が優しいとしたら、優しくなれたのなら、それは全部ラナちゃんのおかげだ。
「あとね、先輩ってとても頭よさそうだから」
「え、本当!?」
「私、頭のいい人が好きなんです」
 ねえねえ、ちょっと聞いた奥さん!? 今の一菜ちゃんの言葉、録音して小林や法子に聞かせてやりたいもんだ。
「まあ、見る人が見れば分かるって事かな」
「あ〜、ごまかしてる。でも先輩、コンピュータの学校行ってるんでしょ。もうそれだけで凄いな〜って。私ほら、パソコン全然だめだし」
「あんな学校、バカでもなんでも行けるんだけどね」
「でもほら、行きたいって思うだけでもう全然、凄いじゃないですか… 先輩はコンピュータの事覚えて、どんな事するつもりなんですか?」
「え」
 一菜ちゃんのなにげない言葉は、僕の心の隅に残ってた火種をかきおこした。
 僕がコンピュータの学校に入ったわけ、ない金ためて自分のパソコンを買ったわけ。僕にはやりたい事があった。ちょっと恥ずかしくて人には言えない、ラナちゃんにさえ言った事ない、僕の秘密。言っちゃおうかな、どうしようかな。
「…やっぱり、パソコンでエッチなゲームするため?」
「ちが〜う!」
 それはあくまでも結果論にすぎない。
「僕ね、パソコンで人工知能ってのを作ってみたかったんだ」
「人工知能!?」
 そんな事小林や松井やサティアンなんかに言ったら、それこそ大笑いされるだろう。そんなのできるわけないって。コンピュータの事なんにも知らない一菜ちゃんにだから言えること。
「自分のかわりに本を朗読してくれたり、一緒にゲームしてくれたり、話し相手になってくれたり… そんな、人の心を持ったコンピュータ。みんなはそんなの作るの無理だと思ってる。でも僕はきっとできると思うんだ。だから自分で作ろうと思った。それが僕の夢だったんだ…」
 いつの間にか、一菜ちゃんがそこにいる事さえ忘れて僕はしゃべり続けていた。
 一菜ちゃんは黙って、僕の話を聞いてくれていた。
「『夢だった…』」
 一菜ちゃんは僕の言った言葉を繰り返した。
「なんで過去形なの? なんか悲しい響きがする…」
「うん。だって、もういいんだ」
「どうして」
「だってね」
 僕は笑顔で一菜ちゃんに言った。
「僕の考えてたとおりの、ううん、それ以上にすごい、人の心を持ったコンピュータがいるから。僕のそばにいてくれるから」
 一菜ちゃんはわけがわからず、しばらく呆然としていた。
「…それって、ひょっとして、ラナちゃんの事!?」
 僕は黙って頷いた。
「…ラナちゃんって、本当に、パソコンなんですか?」
 僕は黙って頷いた。
「でも… 先輩は、ラナちゃんの事…」
 一菜ちゃんはいやいやをするように、かすかに首をふった。
「それって… なんか変。おかしいよ。異常だよ」
 言ってしまってから一菜ちゃんは自分の口を押さえた。
「…そうかもしんない」
 一菜ちゃんの言うとおりかもしれない。それが普通の人の考え方だと思う。
 だけど僕は知ってしまった。本当にその人の事を好きになったら、その人が男だろうが女だろうが、人間じゃなかろうが、そんな事どうでもよくなってしまうって事を。
 そう。その子がたとえパソコンでも。
 それが『異常』と呼ばれるなら、僕はその言葉を黙って受け入れる。けれど僕の気持ちは誰にも変えられない。そんな僕の気持ちが、だけど一菜ちゃんに分かってもらえるとは思わなかった。分かってもらおうとも思わなかった。
 観覧車はゆっくり降りていった。観覧車のいい所って、風景を見てるふりして相手の顔を見ずにすむからなんだって始めて知った。できれば知りたくはなかった。

 そのあともアトラクションを一緒に回ったけど、二人の間の溝はもう埋まる事はなかった。一面の春。その上空に一面の低い雲が垂れ込めていた。

 別れ際、駅のホームで僕は言った。
「ラナちゃんと、今までどおり友達でいてあげてね」
「…努力します」
 それが一菜ちゃんのせいいっぱいだった。
 電車が動きだし、ホームで黙って手を振る一菜ちゃんに手を振りかえすと、窓に雨しずくが落ちてきた。不意にラナちゃんの言葉を思い出した。一菜ちゃんの事、ちゃんと送ってあげるんですよって、母親みたいなラナちゃんの言葉を。
 自分のした事が自分で信じられなかった。一菜ちゃんみたいな可愛い子が僕に好意を持ってくれてるのに。ひょっとしたら僕の事、好きになってくれたかもしれないのに。だのに自分から、その子を遠ざけてしまうなんて。
 今日のデートなんかするべきじゃなかった。一菜ちゃんの事、傷つけるのに決まってるのに。でも分かってて断れなかった。僕が初めて『人間の』女の子とデートできるチャンスだったから。
 ラナちゃんとこれから付き合っていく事に不安がないっていえば嘘になる。僕でさえそうなんだ。ラナちゃんの心の中は不安でいっぱいに違いない。ラナちゃんが僕と一菜ちゃんの仲を取り持とうとしてたのも、そのくせどこかでお邪魔虫になってしまってるのも、どちらもラナちゃんの本心なんだろう。
 ラナちゃんにも、僕にも、どうするのが一番いい事なのか、まるで分かっていなかった。どうしていいのか分からなかった。

 雨のホームに降り立つと、灰色の生暖かい春の空気がムッ、と襲いかかってきた。人の流れに身をまかせて階段を降りて改札を出た。
 いくら考えてもこんな事、答えなんかみつかりっこない。だったら、正しい答えが見つからないなら、自分の気持ちに正直になるしかない。
 駅舎を出ると、しとついた雨があたり一面なにもかも覆い尽くしていた。
 傘をさしたラナちゃんが雨に濡れて立っていた。手にはもう一本の男物の傘を持ったまま。
 ラナちゃんなんか嫌いだ。
 ラナちゃんが黙って僕に傘を渡した。僕は傘を受け取り、その傘をさしもせず雨の中を歩いていった。後ろから追いついてきたラナちゃんが、僕に傘をさしかけた。
「どうでした」
 僕は黙ったまま、答えなかった。
「旦那と一菜さん、とってもお似合いだと思います」
 この間買った淡いピンク色のジャケットが寂しい夜の色にくすんで雨に濡れていた。咲く前に散って水たまりに落ちた桜の花びらのようだった。
「私じゃ多分、旦那を幸せにできないんです。だって私は…」
 僕は首を振ってラナちゃんの言葉をさえぎった。言わないでよ、そんな事。僕もラナちゃんも、口には出さなくても、もう何度となく頭の中で考えてきた事じゃない。
「言わなきゃ、旦那は分かろうとしないんです」
 僕にもいろいろ言いたい事はあった。ラナちゃんを責める事だってできた。だけどそんな事言ったって、どうにもなりはしない。
「ラナちゃんは…」
 代わりに、僕は尋ねていた。
「ラナちゃんは、人間になりたいって思った事ある?」
 残酷な質問だった。聞いて人間になれるなら苦労なんてしないのに。
 ラナちゃんはしばらく、ただ黙って歩いていたが、やがて立ち止まって言った。
「旦那は… 神様になりたいと思った事、あります?」
「神様!?」
 そんな突拍子もない事、考えた事もない。
「私にとって、人間は神様なんですよ」
 ラナちゃんは、ずっと前から思っていた事のように整然と言った。
「人間は私を作ってくれました。人間のものと同じかどうか誰にも分からないけど、でも私に『心』っていうものをくれました。だから私にとっては人間が神様…」
「随分、いい加減で、頼りない神様だね」
「ええ… でも、とっても優しい神様。私、思うんですよ。人間って、人間が思ってるより、ずっとずっと素晴らしい生き物だって」
そうなのかな。そうかもしれない。少なくともラナちゃんをこの世に生み出してくれたその人は。
「だから… とてもそんな恐れ多いものなんかになれません。私を作ってくれただけで感謝しなくちゃいけないのに」
「そうだね。つまんない事、聞いちゃったね」
「ううん」
 そうだったね。ラナちゃんほど欲のない子はいない。だから人間になりたいなんてラナちゃんは考えたりしないんだ。こんなに欲のないラナちゃんだから、だからこんなに可愛くて、純真で、いとおしいんだ。
 ひょっとしたらラナちゃんは、人間より素晴らしい存在なのかもしれない。
「旦那」
「ん」
「私ね、人間が大好きなの。旦那だけじゃなくて、小林さんも、法子さんも、松井さんもサティアンさんも、先輩さんもおばあさんも、もちろん一菜さんも。だからね、みんなに幸せになってほしいの。それが私の幸せ」
「ラナちゃん。ラナちゃんはもっと、自分の事考えなきゃだめだよ」
 ラナちゃんはきょとんとして言った。
「なんでです?」
「なんでって…」
 僕には自分の気持ちを伝える言葉がなかった。だからそっと肩を抱いた。
「いいよ、分かった… じゃあ、ラナちゃんの事は僕が守ってあげるから」
 ラナちゃんは子犬のように僕を見上げるだけだった。
「だからラナちゃん、ずっと僕と一緒だよ。ね」
 ラナちゃんは答えてくれなかった。ただ僕の事を見つめてるだけだった。
「もう僕、他の誰ともデートしない。ずっとラナちゃんだけ見てるから」
 そんな僕の言葉をやんわりと押し返して、そっとラナちゃんが言った。
「旦那… デートしましょうか」
 突然の言葉に、僕は驚いてラナちゃんを見つめた。
「明日、デートしましょ」

 平日だから僕もラナちゃんも用事があって、待ち合わせの時間は遅かった。午後5時。日頃乗らない区間を乗り継いで僕はなんとか時間通りに待ち合わせ場所についた。舞浜駅改札口。日本で一番有名なデートスポット。カップルと親子連れの間を縫うようにして、僕はラナちゃんを探した。
 ガラス張りの駅の壁に寄り添うようにして、僕にむかって微笑んでる女の子がいた。
 はっとするほどの美人だった。僕は思わず息をのんだ。それがラナちゃんだった。
 胸もとを覗かせたワンピース、小わきに抱えたジャケット、今どきの厚底じゃない上品なサンダル、手に持ったバッグ、なにからなにまで黒づくめの、大人のラナちゃんがいた。そしてうっすらと、けれど紛れもないピンクのルージュ。その口元までが大人の憂いを帯びていた。昨日とはうって変わった、一菜ちゃんさえかすんでみえるほどの、本気のラナちゃんだった。
「今日、バイトのお金入ったんです。それでちょっと、おしゃれしてみました」
 口も聞けずにいる僕に代わってラナちゃんが口を開いた。
「驚いた… いつものラナちゃんと全然違うんだもん」
「それだけ?」
 ラナちゃんが拗ねたように首をかしげる。持っていたバッグのビーズがきらめく。
「え、あの、その…」
 僕はすっかりラナちゃんのペースにはまって、かあっ、と赤くなってしまった。
「ふふふ… いいの。許してあげる」
 そう言ってラナちゃんは自分から、僕の腕に腕をからめてきた。
「さ、行きましょ」
「う、うん」
 ずっとラナちゃんと一緒にいるのに、見慣れてるはずなのに、まるで見知らぬお姉さんに誘惑されたような、そんないけない事をしてるみたいな気分だった。
「綺麗だよ… 今日のラナちゃん」
 ようやくの事で僕はそれだけ言った。それを合図にラナちゃんは、ピタッと肩をくっつけてきた。
「知ってました?」
「なに?」
「二人きりのデート、今日が初めてなんですよ」
「え、そうだっけ」
「もう、鈍感なんだからあ」
 今日のラナちゃんほど罪な女性はいなかった。女の子と肩を組んでる男どもが、例外なく、引き寄せられるようにラナちゃんの方を振り向くのだった。
「僕の事待ってる間、誰かに声かけられなかった?」
「ないしょ」
 頼もしいくらい、自分の魅力に自信たっぷりのラナちゃんを見るのは小気味がよかった。僕はまたラナちゃんの違う一面を見た。

「ふふふ…」
「ねえ、何がおかしいんです?」
「だってねえ」
 僕は笑いをこらえるのに必死だった。だっていくらおしゃれしたってラナちゃん、
『最初に何乗りたい?』
『ダンボ〜!』
 これだもん。やっぱりラナちゃんはラナちゃんじゃないか。
「もう、だから何がおかしいんです!?」
「なんでもない」
「旦那、これの次はティーカップですよ。それからミッキーと握手に行って… そうそう、ピーターパンピーターパン!」
「はいはい」
 ダンボに乗ってぐるぐる回りながら、今が永遠に続けばいいと思った。だけどそんなときに限って、時間は容赦なく過ぎていくのだった。

 夜がとっぷりと暮れて、後ろ髪ひかれる思いで二人は遊園地を出た。夢のようなひとときが過ぎ去ろうとしていた。今のままのラナちゃんと、もう少しこのままでいたかった。
「どこか、食べに行こうか」
 ラナちゃんは首を振った。
「…どこか、泊まってく?」
「や〜だ、旦那のえっち」
 ラナちゃんは笑って受けつけなかった。
「浦安のシンデレラは、10時で店じまいなの」
「じゃあ、なんかお土産買ってこか」
「ううん、今日の思い出だけで十分」
 僕らはそのまま、駅に向かって歩いた。
「旦那… 思い出をありがとう」
「なにラナちゃん、改まって」
「ううん、なんとなく」
 ラナちゃんは先を急ぐように、僕はあとを追うように、帰っていった。
「ラナちゃん、そんなに急がなくても大丈夫だって」
 ラナちゃんの後ろ姿が、なびく髪が、ふっと寂しげに見えたのはなぜだろう。幸せすぎて、かえって怖くなってしまったんだろうか。

 家に帰って今日の事、昨日の事を思い出しながら、僕は安らかな眠りについた。
 一度、目がさめたような気がした。夢だったのかもしれない。
 ほの暗い部屋の中でラナちゃんが起き上がって、僕の事を見ていた。ラナちゃんは笑っていた。どこかで見たことのある笑顔だと思った。
 いつかアキバでコピーのラナちゃんたちが最後に見せた笑顔。
 そう気づいた時、ラナちゃんはドアに手をかけていた。僕の方を振り向いて何か言ったけど、聞き取れなかった。僕は金縛りにあったように動く事もできず、口もきけず、ただラナちゃんを見ているだけだった。
 今、なんて言ったの? 『さよなら』って、そう言ったの? 嘘だよね。気のせいだよね。
そしてラナちゃんはドアの向こうに姿を消した。

(続く)


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