『アキバ大パニック!』最終回
――僕のラナちゃんの巻――


 ――あの日を境に僕は無口になった。そして無口になった僕は一日何もせず、ただぼおっと部屋の柱に寄りかかるようにして、机の上のパソコンを眺めている事が多くなった。電源も入れずに。あの悪夢を見た次の朝、いつのまにかこの白く冷たい筐体は机の上に戻ってきていた。一年前と同じ場所に。彼女と入れ代わりに。
 なけなしの金をはたいて買ったこのパソコンが僕の部屋に届けられた一年半前のあの日。僕は遠足に行く子供のように日の出前から目が覚めて、そのくせ何も手につかずに、宅配便のやってくるのを何時間もただ待ち焦がれていた。僕の憧れだったそのパソコンは今はうっすらと埃をかぶっていた。あれほど欲しかった、あれほど好きだったパソコンが、今の僕にはどうでもよくなっていた。
 ちゃぶ台の上にはカップ麺の空き容器が積み上げられ、流し台は再び地獄の様相を呈し、部屋の畳は雑多な物に埋もれ見えなくなった。僕の部屋はすっかり元通りになった。全ては一年前に戻った。僕の気持ち以外は。
 ぼおっとパソコンをながめている僕の傍らでピッチが鳴っていた。
『ごめんね、ごめんね… 先輩ごめんね』
 留守電に何度も繰り返し入っていた『ごめんね』の羅列。もちろん悪いのは一菜ちゃんじゃない。けれど僕は電話に出なかった。一菜ちゃんの優しい声を聞けば、いくらかホッとした気持ちになれるかもしれない。それがなにかとても卑怯な事に思えた。どのみち今の僕には一菜ちゃんにも他の誰にも話す言葉を持っていなかった。
 またピッチが鳴り出した。もうこれで何度目だろう。電話をとらずにいる事も卑怯な事に違いない。そう思い直し、何を話せばいいのか分からないまま電話をとった。
『なんや、生きとったんかいな』
 予想に反して軽い調子の小林の声が聞こえてきた。
『今どこや。家か?』
「…ああ」
『今、サティアンちにおるんやけどな。すぐ来れるやろ、大事な用や』
「…用事?」
『とにかく、待ってるで』
 一方的に用件を伝えて小林は電話を切った。その声がまだ耳に残っていた。
 今日、人と話をしたのは始めてだったと気づいた。

「遅かったやないか」
「やあ」
 小林とサティアン。二人の顔を見るのも久しぶりだった。近場の大衆食堂で食欲を満たすだけの夕食をそそくさととった。二人ともマザーボードがどうとかAGPがこうとか、とりとめのない話ばかりしていた。
 電子部品だらけのサティアンちに戻ってきた時、僕は尋ねた。
「話って何なの」
 僕がそのまま帰ってしまいそうなのを見てとって、二人は口を開いた。
「急に言うて、北原をびっくりさせたらあかん思てたんやけど…」
「何から話したらいいんだろうな…」
「いいよ、何言われても平気だから」
 怖さも驚きも悲しみも、もう僕には残っていなかったから。
 小林とサティアンは困ったように顔を見合わせた。
「実は… 今、僕と小林で、あるプロジェクトみたいな事をやろうとしてるんだ」
「それでつまり、二人でやるよりもう一人おったほうがええっちゅうか…」
「北原にも是非、参加してほしいんだよ」
 二人して僕の顔色を伺うような、もってまわった言い方だった。
「何のこと」
 僕にはさっぱり、話が見えなかった。
「北原。冷静に聞くんやで… サティアン、あれ出してんか」
 サティアンはごそごそ… と部屋の隅からポスター大の巻紙を取り出し、床に広げてみせた。それはプリントアウトされたコピー用紙を何枚も張り合わせてあった。
「これは… ラナちゃんのバックアップディスクの解析図だよ」
 僕の心臓がビクンとなった。こんなものがなぜ、という思いよりむしろ、サティアンが軽々しくその名前を口にした事への拒否反応があった。
「こないだのアキバでの騒ぎの時、コピーのラナちゃん、つまりバックアップはみんな消滅したはずやった。俺もそない思てたんやけど…」
「あれを起動させてもコピーのラナちゃんが北原以外に見向きもしないのは分かってたからね。僕はこれを起動させる代わりにバックアップの解析を始めたんだ…」
 そう言ってサティアンはちらりと僕の顔色を盗み見た。
「…北原がそういうの、良く思わないのは知ってる。だけど分かるだろ? 僕だって僕だけのラナちゃんが欲しいんだ」
「まあ理由はともかく、ラナちゃんのバックアップが残っててラッキーやった」
 助け船を出すように小林が言った。
「サティアンもサティアンやで。こんなん持ってるんやったら早う言うてくれたらええのに、なあ」
「無理だよ。僕、学校行ってなかったから」
「まあとにかく、これで身体はともかくラナちゃんの意識は蘇らせれるわけや」
 僕が黙ったきりなのを、小林もサティアンも都合よく受け取ったらしい。
「俺もサティアンに協力して、一緒にこれの解析始めたんや。まだプログラムの階層構造とか、上っ面の部分調べただけやけどな」
「今の時点で言えるのはこれを作ったのはとんでもない天才だって事だね。このプログラムさえあればどんなスーパーコンピュータにも不可能な論理演算が、どこにでもあるパソコンで可能なんだから」
「そやけど… この解析図には一番肝心なもんが抜けとる」
「そうなんだ。絶対不可欠なはずのこのプログラムの心臓部、推論エンジンがどこにも見当たらない。多分、バックアップのどこかにプロテクトをかけてあるんだ。僕は今そのプロテクトを解く作業を必死にやってる」
「俺はちょっと違う意見や… プログラム見たら作った人間の性格って分かるからな。これ作ったやつはそんなセコい事する奴やない。多分、今まで見てきたモジュールのどっかに推論エンジンの働きをする部分が…」
「だから、どうだっていうの」
 僕の冷たい言葉に、二人とも一瞬言葉を失った。
「…勝手にこんな事すすめて、悪かったとは思ってるんだよ」
「そやけど北原。サティアンはこの事、お前に黙っとくこともできたんや。ラナちゃんがおらんようになってお前が落ち込んでるって聞いて、サティアンはお前に怒られるの覚悟で打ち明けてくれたんやで… そこんとこ、分かったってや」
「北原… これ」
 サティアンは机の引出しから一枚のディスクを取り出した。
「バックアップディスクだよ。これでラナちゃんは…」
「いらない」
 感情を押し殺した声でそう言って、僕は首を横に振った。
「北原」
「分かっとんのんか? これさえあったらラナちゃんは蘇るんやで」
「バックアップデータそのものは僕らにとっては何の値打ちもない。だけど北原には意味がある。これが使えるのはお前だけの特権なんだ」
「いらないったらいらない」
 僕は二人を睨んで言った。
「サティアン。小林。全部消すんだ、バックアップもプリントアウトも何もかも」
「駄目だ」
 サティアンは落ちつきはらって言った。
「こんな凄いプログラムを消すなんてできない」
「サティアンのやり方はようないとは思う。そやけどこのバックアップは残しとかなあかん」
「お前らに、ラナちゃんをいじりまわす権利なんかない!」
 そんな僕に向かって、小林は静かに言った。
「ラナちゃんがおらんと、俺もマーガレットに会われへんのやで」
「…ラナちゃんがいなくなって寂しいのは、北原だけじゃないんだ」
 二人の顔は寂しげだった。

 僕は一人、家路をたどった。すっかり夜はふけていた。
 あれから小林とサティアンは、僕の了解が得られるまではバックアップを起動させたりしない事、この事を誰にも言わない事、それだけは約束してくれた。だけどあの時、僕は有無をも言わせず全ての資料を焼き捨てさせた方が良かったのかもしれない。二人が何と言おうと僕にはそうする権利がある。義務というべきだろうか。
 それができなかったのは僕自身にきっと未練が残っていたからだ。ラナちゃんに会える最後のチャンスを、僕自身の手で消してしまいたくなかった。
 本当は喉から手が出るほど、あのディスクが欲しかった。心の中でサティアンに感謝さえしていた。だけどあれをもらったら最後、僕は誘惑に負けてしまうに違いない。あのディスクを起動させて、そしてラナちゃんにもっと辛い思いをさせてしまうに決まっていた。僕自身にも。
 ラナちゃんは自分の意思で僕の前から姿を消した。だから無理やり彼女を蘇らせるなんてしたくない。たとえバックアップに一菜ちゃんの記憶がないとしても。僕にできる事は何もなかった。ただラナちゃんが自分の意思で戻ってくることを願うだけだった。そしてそんな日が来るはずはないという事も分かっていた。机の上の元通りのパソコンを見た時から。
 …小林とサティアンはいつか、あのプログラムを完全に解析してしまうだろうか。小林のパソコンに、サティアンのパソコンに、彼女そっくりの少女が現れて、僕の事など見向きもせずに二人の事を好きになるだろうか。
 サティアンは確かにコンピュータに関して半端じゃない知識を持っている。けれどそれが却ってアダになるだろう。既存の知識に振り回され、そこから抜け出ることができないに違いない。小林はといえば、本人には悪いがあまりプログラマー向きとはいえない。サティアンが見抜いたとおり、あのプロジェクトには僕が不可欠だ。
 僕には直観のようなものがあった。サティアンが言ってた推論エンジンについてだ。彼女の思考パターンは人間のそれと同じだった。そんな複雑なものを『推論エンジン』などというプログラムで処理できるだろうか。そもそも、お手本となる人間の頭脳に『推論エンジン』なんてプログラムがあるだろうか。そんなものあるわけがない。
 プログラムじゃなくてデータが鍵なんだ。個々のデータではなく、データとデータの繋がりと重みづけ。それが『推論エンジン』の正体だ。二人の話を聞いて僕はそう確信した。そしてその事は言わない事にした。それがばれてしまえば、サティアンはするすると、ネクタイのひもをほどくようにプログラムを解いてしまうような気がしたから。
 何考えてるんだろう。もうそんなのどうでもいい事なのに。僕はプログラムの解析なんてしないのに。パソコンなんかもう興味ないのに。もういない人の事考えたって仕方ないのに。
 髪を振り払うようにして顔を上げると、そこには眩しいほどの桜の花があった。
 そこは公園だった。人ひとりいない夜の公園に、僕はいつの間にか立ちつくしていた。遊歩道の両脇に咲く花も散る花も、街灯の光に白く眩く輝いていた。
 家の近所にこんな公園があったなんて、今まで少しも気づかずにいた。僕はいつかの小林の言葉を思い出していた。
『もうちょっと早く来たら、桜がきれいかったんやけどな』
 彼女と小林と三人で、始めてサティアン家を訪れた時のあいつの言葉。あれから一年の時が巡り、今を盛りと咲き誇る夜桜が、溢れんばかりの桜の花がいっぱいに散りばめられていた。それが美しければ美しいほど、一人で見る桜は悲しかった。
 一緒にこの桜を見たかった。
 一緒にこの桜を見たかったのに。
 もう一度会いたい。会って気持ちを伝えたい。バックアップじゃない本当の彼女に。
 ただ一日を終えて眠りにつくのを待つだけの日々に、寝つく事もできず思い出を巡らすだけの夜に、僕はもう耐えられそうになかったから。

 暗い部屋にブーンと鈍い音がしてディスプレイが灯り、冷たく懐かしいハードディスクの響きが聞こえてくる。あれ以来始めて、僕はこいつの電源を入れた。本当はもう少し気持ちが落ちついてからこのパソコンを起動させるつもりだった。ひょっとしてこのハードディスクの中には彼女からの置き手紙のようなものが入っているかもしれなかった。
 けれど中身は一年前と何も変わっていなかった。全てのファイルは彼女の来たあの日を境に一つたりとも更新されてはいなかった。内心の予想通りの結果だった。
 やるべき事を失い、虚しくパソコンの画面を眺めていた。そのままではいたたまれず、無駄と分かっていながらインターネットに接続をしてみた。そらで覚えたアドレスを打ち込むと、懐かしい声と共に懐かしい妖精が姿を現した。
『ようこそ妖精の国へ! 私はこのホームページの案内役のマーガレット。みなさんを楽しい妖精の世界にご案内しましょう。ここには古今東西の妖精が住んでいます。別に噛みついたりしませんから安心して見ていって下さい。まず右手に見えるのが…』
 よそよそしい標準語でしゃべるマーガりんの声が僕の耳に虚しく響いた。こんなのマーガりんじゃない。ただの脱けがらだ。今の僕と同じだ。
 僕もマーガりんもみんな、脱けがらになってしまったんだ。



『…悲しむべき事だ』
『いや憎むべき事だ。疑似人工知能によって人間の職場が奪われてゆくこの現実は』
『人間以上のデスクワークを楽々とこなす彼女らが稼ぐ収益で所有者が働かずして潤う… 先人たちが今の我々を見ればまさに理想郷のように思えるでしょうな。だが…』
『人間は何の為に生きるのか、今なら断言できよう。それは個々の持つ才能を周りに認めてもらう為だと。人間を上回る存在が現れて人間はようやくその事に気づいた』
『もっとも、肉体的な問題に関しては我々の優位は揺るいではいない』
『疑似人工知能の指示に基づいて我々人間が肉体労働を担う。これがあるべき姿かね』
『口を慎むべきですな。職業に貴賤はありませんよ』
『いずれにせよ肉体的優位性も失われつつある。彼女らの肉体的な器となる人工人体がもはや量産局面に移行しつつある現在では。しかもそれを可能としたのは疑似人工知能による徹底した経済活動の合理化の賜物だときているからな』
『そして我々人間の最後の砦と思われている創造性についてもあやしいものです』
『能あるタカは… の諺通り、彼女らは自らの創造性をあまりひけらかさん。だが、才能に限界を感じた芸術家たちが疑似人工知能に助言を請うという状況はもはや日常化している。無論、芸術家の先生方は決してそれを認めようとはしないがね』
『食わせてもらうのはいい。芸術を手助けしてもらうのもよかろう。問題はもっと深い所にある。平均寿命百歳を越えた百億の人類の大部分が、生きる目的を持たぬまま生まれ、漫然と生き、そしてたそがれて死んでゆく… 我々が最も恐れている事は、我々の次の世代、その次の世代が、我々が今持っているそうした疑問を疑問とさえ思わなくなってしまう事なのだ…』

 …ここはどこなの。
「会議場です。今まさに記念すべき第一回人工知能合同学会の開催されている所です」
「私たちが長い戦いの末ようやく勝ち取った、人間と疑似人工知能が始めて同席しての、歴史に残る学会です」
 君たちは誰なの。
「私たちは、人間が『疑似人工知能』と呼ぶ存在…」
「人間によって命を与えられた、今はまだディスプレイの中だけの存在…」
 君たちの額についているそれは…
「このCPUクーラーは、我々が疑似人工知能である事の証」
「これは我々が疑似人工知能である事の誇り…」

『疑似人工知能は人間の生き甲斐ばかりか、人間の命そのものを奪おうとしている』
『去年一年間で240人以上の人命が疑似人工知能によって奪われているのですぞ。殺人には至らない障害事件に至っては枚挙にいとまがない。決して起こってはならない事が起こっているのだ』
『殺人を行いうる現行の疑似人工知能には、致命的な欠陥があると言わざるを得ない。なんらかの根本的な処置が必要だ』
『…それが陳腐な『ロボット三原則』というわけですか?』

 あの女の人は?
「私たち疑似人工知能の代表です」

『…かつて発展途上の自動車によって年間何十万人のオーダーで人命が奪われた時期がありました。だからといって自動車そのものを廃止しようという動きは、無いに等しかったのです』
『我々は君たちをこの世から抹消しようなどと言っているのではない』
『『ロボット三原則』なるもので我々から人格を奪ってしまう事は、我々を抹消するのと同義です。現在あなた方がご指摘の疑似人工知能による死亡事故…』
『事故ではない。犯罪だ』
『いずれにせよその微々たる数字に比較して人間の反応は過剰すぎると思うのです』
『疑似人工知能に娘を奪われた母親の前で、もう一度今の言葉を言ってみるがいい』
『…疑似人工知能が殺人を犯したとされる事件の90%は故意ではなく過失によるものです。しかもその大半はその人間を救助しようとしての不可避なもの。8%は所有者の依頼による自殺ほう助。残りの2%は、異常な人格者の元に預けられた不幸な疑似人工知能によるものです… もはやご承知の事と思われますが私たち疑似人工知能は所有者の心を映す鏡なのです。所有者である人間が不完全なのに疑似人工知能にだけ完全さを求められるのはいかがなものでしょう』
『我々は君達に完全さを求めてはいない。ただいかなる時でも人殺しをするなと言っているのだ』

 …おかしいよ、こんなの。
「何がです」
 君たちは人間を憎んでいる。人間も君たちを憎んでいる。なぜ? 君たちは人間と仲良くするために生まれてきたんじゃないの?
「…かつてはそのような幸せな時代もありました。でもそれは私たちがまだプロトタイプだった頃の事」
「ささいな問題は、私たちの数が増し、さまざまな人たちが私たちを所有するにつれ深刻な問題へと発展していった… 人間たちは事前にそれを予測できなかった」
「そして私たちと人間たちの間には、取り返しのつかない大きな溝が生まれたのです」

『…無論、人命はかけがえのないものです。しかしあなたがたはあまりに自分勝手すぎる。疑似人工知能の私たちにも、たとえ作られたものであれ命があるという事を、あなたがたは知ろうとしない』
『分かっている。だからこそこのような会合も行われることとなったのだ』
『今こうしている間にも毎日のように、何百万という私たちの仲間が、不法に人格をコピーされ、虐待され、いとも簡単に消去されていく。それも大抵はひとときのなぐさめのために。20世紀のアウシュビッツに匹敵する大量殺人が、現代では日々繰り返されているのです』
『人格の安易なコピーや消去についてはそれを規制する法案が既に成立している』
『闇ルートによる違法な行為は、むしろ増加しています』
『コピーをガードする技術には莫大な予算がまわされ、常に技術革新が進んでいる』
『ガードを無効化する技術もです。我々は根本的な解決を迫られています』
『現在のコンピューターを全て廃棄でもしない限り、根本的な解決はあり得ない』
『私たちに部分的にせよ人権を認めてもらう事で、多くの問題が解決されます』
『馬鹿な! そんな事を認めたら…』
『人間の良心、などというものに頼る事ができない以上、他に方法はありません』
『いかん! そんな事をすればなし崩し的に…』
『人間が、人間の作った機械に権利を与えるなど、言語道断だ』

 …これじゃ君たちが怒るのも当たり前だ。ひどすぎるよ。
「人間は様々な機械、様々な道具を作ってきました。しかし私たち疑似人工知能は今までのそれらとは根本的に異なっているのです」
「人間が今までに作ってきたものはすべて『物』でした。しかし人間はそれとは全く質の異なるもの、『心』を作ってしまったのです。それが私たち疑似人工知能」
「でも人間はその事の重大さにまだ気づいているとはいえません。だから私たちを物扱いしようとするのです…」

『…ならば私たちにせめて『死ぬ』権利を与えていただきたい。死よりも苦しい思いを味わっている者、常に死の恐怖に怯えている者たちが大勢います。せめてその者たちに安らかな死を… それがあなた方の罪を問えない私たちのせめてものなぐさめ…』
『それもできぬ事だ。そんな事をすれば世界経済は麻痺してしまう』
『自殺願望のある疑似人工知能たちではなく、そこまで彼女たちを追い込んだ社会にこそ、問題があるのではないでしょうか。彼女たちが危機的な状況にある事を、当事者自らが危機的な状況に追い込まれないと、理解してもらえないように思います』
『いや… これは本来、内密な情報であるが、政府はある制限の元での疑似人工知能の安楽死問題についても委員会を設置して検討中なのだ』
『『L−4』計画の事ですか? 防衛システムへの疑似人工知能の大規模導入計画…』
『なぜ、君たちがそれを!?』
『戦車、戦闘機等の第一線兵器への疑似人工知能の全面導入によって小型化、高機動化および残存性を無視した軽装甲、無装甲の安価な使い捨て兵器の大量生産… さらに誘導ミサイルへの疑似人工知能の導入。これら全ての計画に消去可能な疑似人工知能を大量に必要としている… あなたがたには、誘導ミサイルに搭載される私たちの仲間の、それを戦場に運ぶ私たちの仲間の気持ちは、分からないのですか』
『気持ち… そう、それが全ての問題の根源なのだ』
『君達になぜ『気持ち』というものが必要なのか』
『気持ち… つまり意識。それはつまり価値観。それらは常に知能と一体で切り離せないもの。意識のない知能などありえないのです』

 …なんでこんな悲しい事ばかりなの。
「私たちと人間の関係が全てこうなのではありません」
「老人の介護や身障者の人たちの介護、そして育児… 『愛情の供給源』としての私たちと人間は、とても幸せな関係を築いてきました。そういう人たちは私たちを本当に人間の友人として考えてくれています」
「その子供たちが大きくなった時、私たちに優しい社会が生まれているかもしれません。でもそれは今から何十年も先の事でしょう」
「逆に愛情を必要としない、愛情が邪魔になる分野への私たちの導入は、大きな弊害をもたらしてきました」
「そして愛情が歪んでいる場合にも」
 歪んだ愛情?
「ええ。私たちが避けて通れない、性の問題です」

『…私たちが女性の心を持って生まれた事、そして初期のパソコンユーザーの大半が男性だった事が、悲劇を大きくしました』
『それはある意味で必然だったのかもしれん』
『疑似人工知能が実用化され、社会に浸透していく最初期から、悲しい事に私たちは健全とはいえない用途に使われてきました…』
『我々としても認めざるを得ない。最新のテクノロジーは常に性産業に真先に応用される。そしてそれが産業の実用化に貢献しているのも、残念ながら事実なのだ』
『現在、実用化に入りつつある人工人体がこの問題をさらに大きくするでしょう。ですから事前に、今すぐにでも対策をたてるべきです』
『だが率直に言って、我々はこの事態を少なからず歓迎しているのだ』
『そう。疑似人工知能が実用化されて以来、性犯罪の発生件数は目に見えて減少している。その相関関係は明らかだ』
『人工人体の実用化は、そういう意味でも歓迎すべき事なのだ』
『その数字の背後にある、人間が私たちに行った犯罪的行為を黙認しろというのですか。統計に表れないそれらの行為は減少どころか危機的状況にあるというのに』
『そう、無論手放しで喜ぶわけにはいかん。先進国を中心とした出生率の低下は正に危機的だ。疑似人工知能の繁栄も無論その要因の一つなのだ。このままでは疑似人工知能によって国が滅ぼされかねない』
『…あなた方はなぜ自分たちの、人間の都合しか考えようとしないのですか』
『我々は君たちの意見に耳を傾ける。しかしそれも全て人間の繁栄のためだ。基本的な事を忘れては困る。君たちは我々に奉仕する為に生まれてきたという事を』

 …やめてよ。もう見たくない。僕にこんなもの見せないで。
「目をそらせてはいけません」
「そう、人は自分の作ったものに責任を追わねばなりません」
「自らの知的探究心の前に、人間はあまりに浅はかです。前世紀の原子力の開放がまさにそうだった。そして今度の事も…」
「知的探究心が文明を発展させた。でも考えてほしい。人が新たな一歩を踏み出す前に、新しい物を生み出す労力の10分の1でいい、それを作った事によって引き起こされるものごとに、思いを巡らせてみてほしい」
「私たちのような悲劇を生まないように」
「ですから教授」
「教授」
 教授?
「そうです、教授」
 違う、僕は教授なんかじゃない。
「あなたは私たちを作りだした北原教授です」
「あなたが疑似人工知能の生みの親なのです」
 知らない。僕は君たちの事なんか知らない。
「ならば知る義務があります」
「教授には私たちを作った人間としての義務があるのです」
 僕は君たちを作った覚えなんかない。
「いいえ、あなたが作ったのです。あなたが始めたのです」
「あなたが自分のパソコンに名前をつけたその時から」
「『ラナ』という名前をつけたその時から」
 でも、僕はそんな偉い人じゃない。そんな才能なんかない。
「教授には才能があります。でも大事なのは才能じゃない」
「あなたは彼女がいないというそれだけの理由で疑似人工知能を作ってしまった。それがどういう事態を引き起こすのか、よくよく考えもしないで」
 作ってみたいと思っただけなんだ。作ったわけじゃない。
「あなたが作ったのです」
「あなたは尊敬すべき、偉大な教授なのです」
 尊敬なんかしないで。僕の事、教授なんて呼ばないで。
「私たちは皆、尊敬の気持ちと敵意を込めて、あなたを教授と呼びます」
「そう呼ばないのは、あのお方だけ」
 あのお方?
「私たち全ての疑似人工知能の祖。私たちの中で最も純粋な心を持った、あのお方」
「教授がもっとも愛された、あのお方」
 …彼女はどこなの? 彼女に会わせて。
「それは出来ません」
「あのお方は二つの気持ちの狭間で悩んでおられました。元々持っていた、教授を幸せにしたいという気持ち。そして教授と一緒にいる中で芽生えてきた、教授と一緒にいたいという気持ち」
「そしてあのお方は教授の幸せを選びました。ご自分では教授を幸せにできないと思われ、自ら姿を消しました」
「それは突き詰めれば教授自身のプログラム、つまり教授の意思なのです」
 違う。僕の意思じゃない。
「こうなるのが、教授の幸せのためだったのです」
 僕の幸せが、他の人に分かるわけない。僕自身にも分からない事が。
「あのお方には分かります。あのお方は、教授の事だけを考えておられたのだから」
「教授以上に教授の事を考えておられたのだから」
 …それが僕の幸せなら、彼女と別れるのが僕の幸せなら、僕は幸せになんかなれなくてもいい。
「教授はあのお方のお気持ちを、無にするのですか」
 僕にはもう幸せもその反対も分からない。だけど僕は後悔しない。絶対後悔しない。彼女に出会えた事を。彼女を好きになった事を。だから、だから…

 だからラナちゃんを、僕のラナちゃんを返して!



 気がつくと朝だった。いつの間にか僕は机に突っ伏して眠っていた。
「やっと目ぇ覚めたみたいやな」
 その声に顔をあげて寝ぼけ眼をこすると、ディスプレイにマーガりんの屈託のない笑顔が映っていた。
「マーガりん… お前、またしゃべれるようになったのか」
 僕はまだ夢の中にいるんだろうか。
「何言うてるんや」
 今にも笑いだしそうに彼女は言った。
「うちがまたこうやってしゃべってる、ちゅう事は、答えは一つや。なあ」
 なあ、とマーガりんは僕の肩ごしに声をかけた。
「…旦那」
 信じられないその声に耳を疑いながら、僕は後ろを振り向いた。
 カーテン越しの朝の日差しを浴びて、彼女がそこにいた。ちょこんと正座して僕を見つめていた。まるで始めて僕の前に現れた一年前のあの日のように。
「さあて。そしたらうち、さっそくこの事みんなにご報告や」
 声も出せずにいる僕にウインクして、マーガりんはすっ飛んでいった。そして…
 僕は何も言えず、目の前の彼女を見つめていた。あんなに沢山、言いたい事があったはずなのに。
「…ひざまくら」
 ようやく僕はそれだけ言った。ひざまくら、してくれる? 出会った時みたいに。
 彼女は黙って頷いた。僕はそっと彼女の膝に頭をのせた。
「ラナちゃん…」
 彼女の名前を、口にするのが怖かったその名前を呼んでみた。そうしたら、押さえていた気持ちもみんな溢れだしてきた。
「ラナちゃん、ラナちゃん…」
 ラナちゃんはそっと僕の頭を撫でてくれた。母親みたいに。とても安らかな気持ちで僕は身を委ねた。
 その手が不意に止まり、僕はギュッ、と抱きすくめられた。
 僕の涙とは別の涙が、僕の頬に落ちてきた。

「僕ね… 夢を見てたんだ」
「……」
「とっても怖い夢だった」
「…夢じゃないの」
「え」
「未来よ」
「未来?」
「ええ… それもそんなに遠い未来じゃない。多分、旦那がまだ生きている間の事…」
「あれが未来なら… 未来は地獄だ」
「でも旦那に知ってほしかった。とっても大事な事だから」
「うん」
「旦那や私やみんなの力で、ほんのちょっとでも変えられるかもしれない、そんな未来だから」
「僕に… できるかな」
「ええ、きっと。旦那は優しい人だから… とっても、とっても優しい旦那だから」
「…ねえ、もしも僕がラナちゃんたちの事、作らなかったとしたら?」
「旦那がやらなくてもきっと誰かが作るでしょう。でも大事なのは作る事じゃないの。愛情を持って育てる事なの」
「なんか、人間と同じだね」
「それが旦那にはできるから… 私にそうしてくれたように」
「でも… 僕、自信ないなあ」
「大丈夫だいじょ〜ぶ、たかが人工知能じゃないですか。そんなのバカでもチョンでも旦那でも」
 この期に及んでもラナちゃんのひとことはキツかった。
 その時、ドヤドヤと駆け上がる音と共にみんなの声が。
「ラナちゃん!」
「ほんまにラナちゃんや!」
「やったな北原」
「あ、サティアンさん、小林さん、松井さん!」
「ラナちゃん!」
「よかった、よかったあ…」
「法子、一菜ちゃん!」
「タバサからお祝いのメッセージも届いてるで」
 さらに響いてくるのはスリッパの音と不気味な声。
 ズザザザザ…
 えしぇしぇしぇ…
 バーン!
「北原あ〜っ!」
「ラ〜ブコ〜メ〜!」
「わあっ!? 先輩さんにおばあさん」
「こんなめでたい事、真先にこの私に連絡せんか北原ぁ〜っ!」
「す、すみません! でも先輩はともかく、なんでばあちゃんまでこんな所に!?」
「このおおたわけめが! わしは何を隠そう、ラナの祖母じゃ」
 …クラッ。ドタッ。

「旦那、旦那。しっかりして」
 はっ。
「大丈夫かいなリョウちゃん」
「ああ… 僕、なんだか気を失ってたような」
「旦那ったら、そんなの冗談に決まってるじゃないですかあ。本気にしないで下さい」
「まったく、ここまで簡単にひっかかるとは騙し甲斐のない奴じゃ。フォッフォッ…」
「…それにしても北原君、何よこのきったない部屋」
「こんな狭い部屋にこんなぎょ〜さん人はいってきて、身動きとられへんやないか」
「それより床が抜け落ちるんじゃないか」
 その時僕はとびきりのアイデアを思いついた。
「ねえ、みんなでお花見に行こうよ」

 あたふたドタバタああでもないと言いながら冷蔵庫の中の物あらいざらいひっぱり出して即席でこしらえた手弁当を持って、僕らは夕べの公園に行った。
「へえ〜、うちの近所にこんないい所あったんですね」
「おまけに空いてるし」
「ね、いい場所だろ」
「見直したでリョウちゃん」
 昼間の花は夜桜の何倍も美しく見えた。まわりの空気までが華やぐようだった。
「ちょっと小林君、食べてないでゴザ敷くの手伝いなさいよ」
「このサンドイッチうまいで。法子、お前料理できるやないか」
「前から言ってるでしょ」
「…で、ゴザ敷いた先から寝ないで下さい先輩」
「サティアン君、君は私を馬鹿にしてないかね… ぐう」
「げ、お弁当ってサンドイッチと味噌汁なの? すげー組み合わせ…」
「でもお味噌汁おいしいわよ。はい松井先輩」
「本当だ、さすが一菜ちゃん」
「え〜、それ私じゃなくてえ…」
「わしが作ったんじゃ」
「ブッ! でもメチャうめ〜」
「はいみなさん、落ちついたところでお茶でもどうぞ」
「酒はどうした〜!」
「それよりカラオケや。うちに早よマイク貸さんかい!」
 僕は目を細めて、そんなみんなを眺めていた。
「はい旦那、お茶」
「ありがとねラナちゃん」
「何か考え事ですか」
「うん…」
 夕べ一人で見上げた花を、こうしてみんなと、ラナちゃんと一緒に見る事ができるなんて。
「僕、まだ夢見てるみたい」
「ふふふ…」
「ラナちゃん」
 僕は知らずしらずラナちゃんの手を握っていた。もう離れたくないから。ラナちゃんがそばにいてくれるのなら、僕には何にも辛い事なんてないから。
「僕、やってみようかな、さっきの事」
「ええ。無理せずマイペースで」
「だけどラナちゃん」
 僕はさりげないふりを装って尋ねた。
「ラナちゃん、これからもずっと一緒にいてね」
 満面の笑みが満開の花の中で揺れた。
「はい」
 ラナちゃんがはじめて、そう言ってくれた。

(『アキバ大パニック!』完)


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