「三人の姫さま」
(7)


「そもそも、わしは権力者になるつもりなどなかった…」

 窓の外、なだらかな山の木々を眺めて頼朝はつぶやいた。

「伊豆の地で流人として暮らし… 妻ができ、娘が生まれた。そのささやかな生活が続いておれば… 娘を不幸にすることもなかったかもしれぬ」
「不幸?」
「わしが娘の為を思ってした事は、なぜか裏目に出てしまうのだ」

 頼朝はメテオに尋ねた。

「メテオ殿… メテオ殿には思いを寄せる男はおるかな」
「は? と、突然何よ。それが今の話と何の関係があるのよ」

 顔を赤くするメテオに、頼朝は冷静に言った。

「そしもその男が、誰かに殺されたら」
「!」
「殺した者を、さぞ恨むであろうな」




 コメットの腕に触れる大姫の腕は冷たかった。
 ほんの少し、身体を寄せる。自分の体温が伝わるように。

「わたしは、もっと知りたいな。大姫さんの事」

 まっすぐに大姫を見上げるコメットの視線は、とてもまぶしかった。
 自分も遠い昔、こんなふうに瞳を輝かせていた頃があった。
 だから怖かった。自分の言葉が、この子の清らかな瞳を曇らせてしまいそうで。
 それでも気がつくと、大姫は口を開いていた。

「海を見ると、思い出してしまうの。昔、ここで起こった悲しい事を…」

 大姫は目を閉じ、語り始めた。

「この海にはね、何人もの人の命が眠っている。今はのどかな海だけど… ここは昔、罪人を処刑する場所だった」

 かつての惨劇を大姫は淡々と語る。

「罪人だけじゃない。罪のない人や子供まで… 静さんの生まれたばかりの赤ん坊も…」

 そんな。
 思った事をコメットはすぐには口に出せなかった。
 優しい大姫から語られる残酷な言葉が、受け止めるには重すぎて。

「何で、そんな事… 誰がそんな、ひどい事するの?」
「命じたのは… 私の父よ」

 大姫の表情は氷のようだった。

「…あの頃、国中が戦に覆われていた。生き延びるためには戦うしかない、何度もそう聞かされて… でも、子供だった私にはわからなかった。わかるのはただ、父が多くの人の命を奪った事…」

 そして大姫は、心の奥底の言葉を吐き出すように言った。

「そして父は、許嫁の義高さまさえ、殺したの」




「…当時対立していた木曾の義仲との和睦の証に、わしは義仲の息子の義高を呼び寄せた。娘の婿として、そして人質として」

 メテオとムークは、頼朝の語る暗い歴史を黙って聞いていた。

「わずか一年経たぬうち、義仲との戦が始まった。わしは義仲を倒し… そして義高をも殺した」

 頼朝は苦悩の表情をみせた。おそらくは父としての。

「平家に命を救われたわしが平家を倒したように、義高がわしを倒さんとも限らんからだ。殺し、殺される。それがわしの生きてきた時代の常… 今のそなたには分かってはもらえないだろうが」
「わかるわ」

 凛とした表情でメテオは言った。

「わたくしもカスタネット星国の王女、いずれは国を率いる身ですもの」
「このムークめも侍従長として、そして父として… 頼朝さまの心中、お察しいたします」
「問題はコメットよ。あの子は何にもわかろうとしないの。同じ一国の王女として、無責任すぎるのよ」




 大姫は、忌まわしい過去に震える身体を、自分の細い手で抑える。

「私の身体には、そんな父の血が流れているの。それを思うと…」

 大姫の言葉は不意に途切れた。
 コメットが、大姫にしがみつくように抱きついてきたから。

「大姫さん、もういいよ」

 昔に思いを馳せていた大姫は、我に返ってコメットを見つめた。

「ごめんね、ひどい事聞いて。大姫さんに、つらいこと思い出させちゃって」

 大姫は思わず首を振った。

「いいのよ、もう…」

 過ぎた事だから。そう言おうとして大姫は思い止まった。
 今まで一度でも、そんな風に思ったことがあっただろうか。

「私こそごめんね… やっぱりあなたの事、傷つけてしまって…」

 自分の膝に顔を埋めるコメットの髪を撫で、頬の涙をなぞる。姉が妹にするように。

「でもね、ありがとう。私のために泣いてくれて」

 そう言った大姫の表情は、どこか清々しかった。

「ラバボーも、ありがとう」

 ラバピョンにもらったハンカチを取り出してさめざめと泣いていたラバボーは、コクリと頷き、チーンと鼻をかんだ。

「それにしても、大姫さんのお父さんはひどすぎるボ」

 ラバボーの言葉にコメットも顔を上げて頷く。

「うん。ひどい。わたし、絶対許せない!」

 コメットは大姫の手を取った。

「こうなったら、大姫さんをそんな人の所になんか返さない。ず〜っと一緒にいましょ」

 大姫は困った顔でコメットを見る。

「そうね。それもいいかも…」

 それはまるで子供をあやす母親のような口調だった。

「でも、まずは静さんを捜しましょ」
「そうだった!」

 コメットは元気よく立ち上がり、さっき取ってきた巻き貝を取り出す。

「姫さま、それは確か…」
「うん」

 ラバボーに微笑みかけると、コメットはバトンで巻き貝に星力を添えた。

「大姫さん。これを耳にあててみて」

 言われた通りに大姫は、長い髪をかき分けて貝を耳元にあてがった。

「そして静さんの事を思ってみて。一番気になってる人の事を心に描いた時に、その人の声が聞こえてくるの」
「それでさっき、静さんの声を覚えてるか聞いたのね?」
「うん」
「姫さまもやってたボ。ケースケがパパとヨットで出かけた時」
「あの時、ばっちり聞こえた」
「ケースケさん?」

 大姫の目が好奇心に輝く。

「その人が、コメットさんの許嫁?」
「ち、ちが… そんなんじゃないって!」

 顔じゅう真っ赤にしたコメットはプルプルと首を振った。

「ねえラバボー。ケースケさんってどんな人?」
「それはだボー」
「ケースケ殿はですな…」
「ラバボー! カゲビトさんまで。今はケースケなんてどうでもいいでしょ!」

 大姫はクスッと笑った。

「じゃあ、やってみるね」

 貝に耳をあてた大姫は目を閉じ耳を澄ませた。
 コメットとラバボーはかたずをのんで見守る。
 しばらくして、大姫は不思議そうな顔をして目を開けた。

「どう?」
「かすかに聞こえる」
「何か言ってた?」
「言葉までは」
「向きはどっちだボ?」

 大姫は海に背を向けた。

「たぶん、こっち」

 大姫の指さす方を確認して、コメットは頷いた。

「よし、行こう」
(でも、あの声は…)

 そう思いながら首を傾げる大姫だった。




「わかってくれるか…」

 メテオの言葉に、頼朝は安堵したように頷いた。

「ならば今一度頼みたい。わしに代わって配下の者を大姫の元に差し向けようと思うのだが… 大姫の供は何やら面妖な術を使い、霊の姿では近づく事もままならん」
「それで、わたくしにどうしろと?」
「メテオ殿、そなたの『星力』とやらで、わしの差し向ける者を現世に戻してほしいのだ」
「それじゃ、コメットがしてる事と変わりないじゃないの」

 メテオは即座に否定した。

「毒をもって毒を制す、ということわざもある」
「お断りだわ」
「…そうか。ならば他をあたろう」

 頼朝は背を向け、ボソッとつぶやいた。

「ぴんくの髪の娘には出来ても、そなたには出来ぬという事か…」
「なんですってえ」

 聞き捨てならない言葉にメテオの耳がピクンと反応した。

「そんなの出来るに決まってるじゃないのったら決まってるじゃないの!」

 背を向けた頼朝は、メテオの言葉にほくそえんだ。




「姫さまぁ、本当にこの道でいいのかボ?」
「わかんない」

 大姫が指し示す方角に向かって山道に挑む。

 「ハイキングコース」と書かれた標識とは裏腹にそれはちょっとした登山道。コメットと大姫は地を這う木の根に何度も足をとられながら、手を取り手を取られして進んだ。

「大姫さん、大丈夫?」
「ええ」

 息をつきながらも大姫は笑顔で答える。
 ようやく坂を登り小高い山の山頂に出ると、突然視界がパッと開けた。

「ここなら、静さんの声もよく聞こえるかも」

 大姫は頷き、また貝を取り出す。

「うん。近づいてるみたい」
「ほんと?」
「あ、でも…」

 そう言って大姫は苦笑いした。

「この声、静さんじゃなくて、義高さまみたい」
「え〜っ」
「な〜んだ、だボ」
「ごめんなさい」
「ううん。義高さんって、今どこにいるの」
「木曾のお里に里帰りの最中なの… 待ってね。もう一度静さんの声、聞いてみる」

 木陰にベンチを見つけたコメットは大姫に提案する。

「その前に、少し休まない?」
「まだ歩けるけれど… ちょっと、お腹減っちゃった」

 二人はちょっと泥のついた顔と顔を見合せ、クスッと笑った。

「じゃ、お弁当にしよう!」

 コメットはボディバックからママの作ってくれた昼食を取り出した。

「おいしそう!」
「わたしも、お腹空いちゃった。今なら全部食べられそう」
「ボーも食べていいのかボ?」
「あたりまえでしょ」

 コメットは、はい、とラバボーにサンドイッチを手渡した。

「いただきまーす!」

 そして三人は一斉にサンドイッチをほおばった。

「おいしい」
「おいしいね」
「ママの作ってくれた料理は格別だボ」
「ラバボー、前はあんなに好き嫌い激しかったのに」
「そうなの? 私もよ。でも、なんでだろ。今日はさっきから、何を食べても美味しいの」
「きっと、いっぱいおしゃべりしたからだよ」
「それに、いっぱい歩いたからだボ」
「きっとそうね」

 水筒の紅茶を回し飲みしながら、コメットたちはママのくれた地図を眺めた。

「どこにいるにしても、遠いね、静さんのいるところ」
「途中まで星のトンネル使えばいいんだボ」
「星のトレインを呼んで、日本全国巡っちゃおうか」
「姫さま姫さま、日本どころじゃないボ。外国にも印ついてるボ。ほらここ見てここ」
「『モンゴル』って書いてあるね。どこの事だろ」
「さあ?」

 大姫もつられて地図を覗き込む。

「これって『蒙古』の事かしら… 『義経は追手から逃れるため大陸に渡った』ですって。これ、静さんじゃなくて九郎のおじさまの事ね。そんな話は聞いたことないけど。でも今度、おじさまに聞いてみようっと」

 その時どこからか声がした。

「その必要はござらん」

 一陣の風がなびき、黒雲があたりを包む。
 次の瞬間、山頂の小高い丘に二人の武者が立っていた。
 すらりとした面長の男と、山伏姿のいかつい男。

「誰が蒙古まで逃げ延びた、ですと?」
「でたらめもよいところですな」

 大姫は二人の姿に声をあげた。

「九郎のおじさま、武蔵坊」

 頼朝の弟、源九郎義経とその従者、武蔵坊弁慶はおもむろに頷いた。

「姫、探しましたぞ」
「さ、お戻りを」

 返事の代わりに大姫は厳しい表情でつぶやいた。

「父がいずれ追手を差し向けると思ってはいたけれど… おじさまが直々になんて」
「それだけ心配なさっておいでなのです」
「…どうして」

 大姫は感情を抑えきれない様子で言った。

「おじさまはどうして父に従うの? 父の仕打ちを忘れたの?」
「確かに、お恨みしたこともあります。されど」

 義経はそんな大姫を見つめて言った。

「遅まきながら気づいたのです。兄上は、鎌倉殿は、決して私利私欲のためにあのような仕打ちをなされたのではないと」

 義経の言葉に弁慶も頷く。

「姫も、本当は分かっておいでなのでしょう」

 大姫は俯いたままそれには答えない。

「…道を開けて下さい」
「姫!?」
「大姫様」
「私、静さんに会いに行くの」

 義経の表情がかすかに動いた。

「静さんに会いたいの。おじさまだって… ううん、静さんに一番会いたいのは、おじさまでしょ」
「…ならば、なおさら通すわけには参りません。我々は地上の事に関わってはならぬ身」

 首を縦に振らない大姫に弁慶は業を煮やし、傍らのコメットを睨み付ける。

「うぬか。姫様のわがままの元凶は」
「ひ、姫さまぁ…」

 ラバボーを庇いつつ、コメットも負けずに弁慶を睨む。

「武蔵坊。その方に手を出す事、許しません」

 大姫の命にも弁慶はひるまない。

「いいえ。鎌倉殿の命なれば」

 義経も涼やかな瞳でコメットを見やる。

「娘よ、悪いことは言わぬ。姫を元に戻し早々に立ち去るがよい」

 鎧武者の脅しにもコメットはひるまない。

「わたし、大姫さんの願いを叶えたいの。だから」

 そう言ってコメットはバトンを構える。

「大姫さんは渡さない」

 コメットの言葉に、弁慶が小山のような巨体を揺らせた。

「わはははは、馬鹿めぇ〜っ!」
「ならば…」

 義経は腰の太刀をぬらりと抜いた。

「殺してしんぜよう」

 義経主従がコメットの前に立ちはだかった。


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