ファンのとわずがたり

当しいちゃまファンサイトは
「しいちゃまの真価を一人でも多くの人に分かってほしい」
という思いで作られております。

が、ここだけは別。管理人のしいちゃまへの思いを書き連ねただけの、限りなく
 ”独り言に近い雑文” です。
まあ、適当に読み流していただければ幸いです。

理詰め
しいちゃまは○○○がおキライ? その1 その2
本音で選ぶしいちゃま作品ベスト10
私のしいちゃま評価
「ないしょ」というキーワード
「芸に遊ぶ」
しいちゃまは○○○がおキライ? その3
しいちゃまがいっぱい!
本音ポロリ


「理詰め」

 今まで読んだマンガの中で、「完璧だ」と思える作品が5つあります。
 あ。といっても私のマンガの読書量って日本人の平均より少ないですし、おまけに偏ってます。
 今までに少なくとも5つみつけたということです。
 で、その5つとは次のとおりです。
冨樫義博 『幽々白書』より「SPECIAL DAY」 『幽々白書』19巻収録
衛藤ヒロユキ 『魔法陣グルグル』外伝「ククリルク」 『魔法陣グルグル』2巻収録
たかなししずえ ないしょのたんぽぽ予報 『ハートのないしょばなし』収録
『おジャ魔女どれみしゃーぷっ』番外編
「ないしょのメリークリスマス」
『も~っと!おジャ魔女どれみ』
1巻収録
『おジャ魔女どれみ』連載39回 (単行本未収録)

 「完璧」というのは、作者が自分の想いを伝えるために、ひとコマもセリフひとつも無駄がない、という点においてです。まるで方程式を解くように理路整然としていて迷いがないのです。
 単に「無駄のない」作品をかくだけなら、ひたすら推敲を重ねれば可能でしょうが、そうして贅肉を削ぎ落とした作品は完成度と引換えに血の通わない「つまらない」作品になりがちです。
 上記の5作品はそうではありません。推敲を重ねるゆとりがないほど短期間でかかれ、しかも血が通い生き生きとしています。並みのマンガ家には到底できないことです。

 ただ。
 完璧にこだわることが必ずしもいいとは思いません。
 たとえ完成度が低くても、いや極端な話ストーリーとしては支離滅裂でも感動できる話はあります。
 完成度と感動はまったく別次元のものだって気がします。
 にもかかわらず作品の完成度にとことんこだわる人たちがいる。
 これはもうマンガ家としての職人気質というか、悪い言い方をすればマンガ家の自己満足といっていいかも。


 逆に、優れたマンガ家でありながらまったく完成度を気にしない人たちがいます。
 かき始めるまでは構想とか練ってるかもしれないけど、いざ筆を持ったらあとは勢いにまかせて、それでよしとする人たちです。
 むしろそういうのが私の好みです。予想のつかない楽しさがあります。ドキドキワクワクがもらえます。秩序よりも混沌を、一期一会の心を、そんな冒険心が私は好きです。


 で、しいちゃまなのですが。
 一般のしいちゃまへの評価と違って「極めて知的なマンガ家」というのが私の持つしいちゃま像です。
 この人は常にではありませんが特に短編などで時に異様に完成度の高いものをかいてきます。
 上記のどれみ39話なんて僅か8ページの小品なので、ほとんど「詰め将棋」感覚です。
「こうなって、こうなる… おおっ!?」
 おそろしく理詰めです。
 しいちゃまのマンガを読んでると何度となくこういう体験をするので、
「この人はなんて頭でっかちな人なんだろう」と思う時もあります。
 頭でっかちなものはマンガに限らず好きではありません。
 好きなタイプじゃないんだけど、でもしいちゃまに限ってはどうしようもなく好きなんです。
 しいちゃまのマンガの全てのページに、あったかハートがぎっしり詰まってるから。
 しいちゃまは頭もでっかいけどハートもでっかいのです。
 しいちゃまはいつも私にとって不思議で特別の存在なのです。


「しいちゃまは○○○がおキライ?」


その1・お料理

 しいちゃまのお料理の腕前を、作品に登場する女の子から推察してみましょう。

 「スーキー」

 ピーターのために慣れぬ手つきでシチューやハンバーグを量産、ことごとく失敗。
 当時のしいちゃまはまだ絵が未熟だと思ってたのですが、こんなにまずそうなシチューを描けるなんてすごいです。あなどれません。


 「鈴ちゃん」

 天平君のために慣れぬ手つきでディナーを制作。
「わたしの料理はおいしくないけど」とかわいくもしおらしい鈴ちゃんですが、
「これはじめて鈴ちゃんが作ったのよ」とママの爆弾発言。もはや味以前の問題です。
 肝心のディナーはロージィの乱入で驚いたレイちゃん(天平君の愛猫)がテーブルの上を大暴れ、台無しにしてしまったのですが… ひょっとしてレイちゃん、
(ご主人さまにこんなもん食わせるわけにはいかない!)
 機転をきかせたのかも。だとしたら、お手柄ですレイちゃん。


  「杏子ちゃん」

 藤臣先輩のために慣れぬ手つきで(このパターンばっかり)パイを焼きます。
 先輩のおばあちゃんによるスパルタ実習の甲斐もなく結果はこげこげ。
 でも肝心の先輩が「おいしい」と言ってくれたので、結果オーライ!?


 「空ちゃん」

 雨宮家に居候になった日に元気良く「食事のしたくてつだいますっ」。でも結果は「ひえ~」
 その後、医者のおじいさん家に居候してるときも、「夕食手伝います」。結果は「きゃあ」
 空ちゃんのこの根拠のない自信はいったいどこからくるのでしょう? ナゾです。


 「ほたるちゃん」

 早起きしてママのためサラダを作りますが、ママは忙しくて即おでかけ(逃げた!?)。
仕方なく愛犬カールに食べさせますが、カール必死に抵抗。犬も食わないサラダとは!?
 いっぽうほたるの運動会にママが気合いれて作ったお弁当も「なっなにママこれ~」
 親子揃ってお料理ダメダメです。『おまかせランチ』というタイトルが泣きます。


 「どれみ」

 語るまでもありません。論外です。

 いやはや全滅ですな。逆に料理の上手な子というのは… う~ん、『どれみ』のももこちゃんくらいしか思いつきません。といってもお菓子作り限定ですが。『たのし荘便り』の奈緒ちゃんなんか主婦なんだから料理のシーンとかあってもよさそうなのに。

 あ、でもしいちゃまの名誉のため申しておきますと、マンガを読むかぎりしいちゃまの紅茶を煎れる腕前は確かです。

その2・お花ひらひら

 少女マンガといえばなんといっても「お目々キラキラ」「お花ひらひら」。
 最初に少女マンガを手にした時(『キャンディ キャンディ』でした)見慣れぬそのゲロあま豪華さに思わず「うっ」と身をひいてしまったほどです。
 そうです。ヒロインのバックで無意味に(男にはそうとしか思えない)咲き誇る「お花ひらひら」は、乙女の汚れなき魂の結晶である少女マンガを、野蛮でフケツな男どもの手から守る抗体の役目も果しているのです。
 今や少年誌でもお目目キラキラは珍しくありませんが、お花ひらひらは未だ少女マンガの専売特許、最終絶対防衛ラインなのです。
 なのに… しいちゃまのマンガにはその少女マンガの象徴であるお花ひらひらがない!

 皆無というわけではありませんが、見つけ出すのに苦労するほどです。そのおかげで男の私もすんなりとしいちゃまのマンガを読めるわけですが。
 あれほど動物に愛情を注いでいるしいちゃまが、ペンネームにハートマークまで使って「女々しい」というイメージさえあるしいちゃまが、なぜ花に限って少年誌並みに男気たっぷりなのか。不思議です。

 ちなみに今どきの少女マンガはどうなんだろうと改めて「なかよし」をめくってみました…
 かいてるかいてる。みなさんかいてます。お花ひらひら、健在です!
 現実はもちろん、少女マンガにおいてもとっくに絶滅したと思っていた「大和撫子」の精神は、こんなところに今も元気で息づいています。日本万歳! でもしいちゃまはお花かきません。
 なぜじゃ~っ!

理由を推察してみました(あくまでも想像)

 理由その1・「描けない」
 マンガ家というのは通常(少なくともこの当時は)えらいマンガ家の元でアシスタントとして修行を積んだ後、晴れてマイスターとして一人前になるものです。
 が、しいちゃまにはこの徒弟時代がすっぽり抜けてる(「なかよし」に投稿して入選し、なかよしまんがスクールを経てデビュー)ので、アシスタント時代に覚えるべき背景の処理やベタ塗りの基礎ができていない。
 エリートマンガ家として育った彼女ゆえの不幸というべきでしょうか。
 理由その2・「描かない」
 実は「お花ひらひら」は「なかよし」編集部の強制で、これが描けない者はそもそもデビューさえ許されないはずであった(ジャニーズ系アイドルのバク転のように)のだが、しいちゃまはその方針がかたまる前にデビューし、あまつさえ『スパンク』でブレイクしてしまったため、もはや何人たりとも彼女に口出しできなくなってしまった。
 巨匠ゆえの不幸というべきでしょうか。
 ちなみに『どれみ』連載中、しいちゃまが別格扱いをうけてる記事を何度かみかけました。どうやら「なかよし」は階級社会のようです。ファンとしては嬉しい反面、
「そんな待遇よりページ数をよこせ!」といいたいですが。


本音で選ぶしいちゃま作品ベスト10

 本音炸裂です。わりと即興で選んでみました。

おジャ魔女どれみ 連載39回
ないしょのたんぽぽ予報
おジャ魔女どれみ#番外編『ないしょのメリークリスマス』
空ちゃんのぼうし
ガリ勉桃ちゃん恋の詩
ぼくの鈴ちゃん
1月なかば春の色
夢のびんづめいかが?
こんぺいとうマジック
10 おまかせランチ
次点 たのし荘便り

(『どれみ』は1話ごとに評価しました。出来、不出来があまりに激しいので)


なんか、別ページにかいた「お勧め」作品と、ひどく顔ぶれが違うのですが。
というか肝心な「あれ」が抜けてるし。

いやあ、いいわけにしかなりませんが、
ファンにとって『スパンク』って、山でいえば富士山、船でいえば戦艦大和。
あまりにも当たり前すぎて、改めて語れないんですよ。だから番外です。


全体としては、「連載よりも短編」「昔のものより最近の作品」が好き。
それだけにぜひこれからも描き続けてほしいです。しいちゃま、カムバ~ック!


私のしいちゃま評価

 「お前はアホか!?」「ビョーキだ!」と言われるのを覚悟で、告白します。
 しいちゃまは史上2番目のクリエイターだと思います。ちなみに1番は作曲家のモーツァルトです。
 (あ、やっぱり病気だと思ったでしょ)

 でもこの際だから言っちゃうと、二人とも「大好き」というだけじゃなくて、どこか似てるんですよ。
 作品がどれも愛情たっぷりに作られていて、けれど常に理性が勝ってるところとか。
 決して神経を逆撫でするような無粋な音は出さないセンスのよさとか。
 (しいちゃまのマンガの原作をかいた人たちには、このセンスが足りないですが)
 作品が単純で素朴で、子供にも容易に理解できて、それでいて何度きいてもすり減ることのない奥深さとか。
 としを重ねるほど作品がシンプルで美しくなってくとこまでそっくり。
 もっともモーツァルトは子供の頃から「神童」だったのでスタートラインはまるで違いますが、
 でもその歩む方向性はふたりとも、同じじゃないかと。

 そんなに好きなら、お前なんでモーツァルトのファンサイトを作らないんだ? と言われそうですが、
 モーツァルトは万人が認める天才。ものぐさな私がわざわざ声高に叫ぶ必要ないでしょ。
 しいちゃまだってちゃんと才能に見合う評価をうけてれば、こんなファンページなど作るつもりはなかったですが。

 もっとも、モーツァルトだって生前は才能にふさわしい評価を受けてたとは言えませんけどね。


「ないしょ」というキーワード

「ハートのないしょばなし」。しいちゃまの28冊の単行本の中で一番好きな一冊です。
この本におさめられた5つの短編は、どれもがしいちゃまのベストな作品といっていいくらいです。
その5つの作品のうち4つまでに、こんな共通点があるんです。

 ・おまじないをモチーフにしている
 ・タイトルに「ないしょ」というキーワードがついている

これは偶然なのでしょうか? それとも…

13年後。
「なかよし」増刊に載せられた『どれみ』の番外編を読みはじめて、「おや?」と思いました。
その番外編に「ないしょのメリークリスマス」という副題がついていたからです。
(ひょっとして…)
その期待は、作品を読みおえたとき「やっぱり」という確信に変わっていました。
それはまぎれもない傑作でした。
「ないしょ」という言葉は、しいちゃまの ”本気でいくわよ!” という合図だったのです。
 
「ハートのないしょばなし」を描いていた頃は、しいちゃまの人気にかげりが出始めた時期でもあります。
この単行本を最後に、講談社からは『どれみ』まで12年、単行本が出ていません。
90年代はファンにとっての暗黒時代、しいちゃま史上のミッシングリンクなのです。
だから、ひょっとして。
この時期にかかれた単行本未収録の作品が見つかるかもしれません。
「ないしょ」というキーワードをもった未収録作品が。
もしそれが見つかったら… 賭けてもいいです。それは間違いなく、しいちゃま指折りの傑作です。


「芸に遊ぶ」

 またまた「ハートのないしょばなし」からのネタが続いて申し訳ないのですが。
 (好きだからどうしてもそうなるのですが)
 今回はその中の「ないしょのハンカチメッセージ」という作品について。

 これ、とってもヘンな作品です。
 なにがどうヘンって、とにかくヘンなんです。何が言いたいのかよくわかんない作品、というかなんというか。この時期(88')のしいちゃまの作品とは思えないほど完成度が低い。支離滅裂とまではいいませんが、よく言って「尻切れトンボ」。読み終えた後、思わず顔をあげて「はあ?」とうなってしまうこと必至です。
 これはしいちゃまの失敗作なのでしょうか。いや、そうではない、と私は思ってます。
 「失敗」とは、自分の思惑をはずれてしまうこと、自分の予想を下回ってしまうこと。
 違いますね。しいちゃまは狙ってかいてます。完成度の低いものを「わざと」かいたのです。

 「ないしょのハンカチメッセージ」には、話としての完成度の低さを補ってあまりある魅力があります。
 主人公の美加ちゃんです。
 小賢しい言い方をすれば「キャラが立って」ます。もうフラグ立ちまくりで。
 言葉では説明しにくいのですが、今までのしいちゃまのマンガには決して出てこないタイプの女の子です。「しいちゃまってこんな子もかけるんだ!?」って感じの。
 そういう新鮮な魅力とともに、この作品の中でしいちゃまはもう一つの大冒険を実施しています。
 作者として果たすべきストーリーの舵取りを放棄してしまったのです。操縦桿を離してしまったのです。
 「キャラが動く」とはよく使われる言葉ですが、そのちょこまか動く美加ちゃんに、しいちゃまはあれこれ指示を出さず、作品の行方をすべて彼女の足どりのままに任せてしまったのです。
 これじゃ、完成度が低くなるのも当たり前です。
 「美加ちゃんの魅力を最大限に生かすには、それがベストだ」しいちゃまはそう判断したのでしょう。なにものにも束縛されない、自由に生きる美加ちゃんを、しいちゃま本人も、きっと束縛したくなかったのです。
 けど、作品として見た場合、しいちゃまは明らかに放任しすぎです。
 しいちゃまもそれをわかってます。わかっていて、あえてそのままにしています。
 しいちゃまはこの作品を、美加ちゃんにくれてやったのです。

 「ないしょのハンカチメッセージ」がダメな作品だとはいいませんが、作品として、もっと作りようがあったでしょう。
 それをしなかったしいちゃまを、私は責めるつもりはありません。
 
 しいちゃまはこの作品で明らかに ”芸に遊んでいる” のです。
 自分の庭で、自分の生んだ愛娘を舞わせ、それを自ら愛でているのです。

 創作を楽しむ、それは創作者にとって一番大切なこと。
 読む人に楽しんでもらうためには、自分が楽しんでかくのが一番なのです。
 芸に遊ぶというのは、なまける、などというレベルの低い話ではありません。自分の芸を磨くための大事な寄り道なのです。芸に一生を捧げる人ならば、むしろやるべきなのです。
 しいちゃまはそれを身体で理解し、実践した。
 ファンとして、喜びにたえません。

 この作品と前後してしいちゃまは「ないしょのたんぽぽ予報」という作品をかいてます。当時のしいちゃまの力量のすべてを注ぎ込んだといっていい傑作です。その緻密に計算された完璧なまでの作品をかいたのと同じ時期に、こうしてまるで別人のように自由奔放な作品をかいている。
 それは決して今の自分に満足せず常に前進を続けるしいちゃまのチャレンジ精神の現れなのです。
 才能だけでなく、その姿勢においても、しいちゃまは一流と呼ぶにふさわしいクリエイターだと思います。

 ただ残念なのは、ここまで怒濤の進撃を続けてきたしいちゃまが、なぜか突如進撃をやめてしまったことです。というかこれ以降の作品が単行本化されてないので、その後のしいちゃまの活動の実態がほとんど「?」なのです。
 最近の『どれみ』などでもたまにしいちゃまはハッとなるほど切れ味鋭い作品をかいたりしますが、基本的には「能ある鷹が爪を隠しっばなし」状態で、ちょっともったいないかなって気もします。

 世間ももうちょっとしいちゃまの才能に気づいてほしいし、
 しいちゃまももうちょっと才能を分かりやすく見せてほしい。
 そんな事を思う、わがままファンのひとりごとでした。


「しいちゃまは○○○がおキライ?」


その3・先生

 私は自称「日本一の『おジャ魔女どれみ』ファン」です。
 といってもマンガのほうの、ですけど。大好きなしいちゃまのマンガの中でも、1、2を争うほど大好きな作品です。
 でもそんな私でさえ「ここはおかしいんじゃないの?」と言いたくなる箇所があります。それは…


 …長門かよこちゃんがマンガには出てこないんです。
 しいちゃま、今からでも遅くありません。
どうかかよこちゃんを描いてください。

 かよたん、かむひあ~っ!!!


 …すみません。少々とり乱してしまいました。
 そういうことを言いたいのではありません。いやほんとは言いたいんだけど今は違う目的のためにこの文章を書いてるので…
 え~と、そうです。おそれ多くもしいちゃまの『どれみ』に不満な点。
 それは関先生の扱いです。
 しいちゃまの描く関先生に愛情が感じられないのです。
 しいちゃまのキャラに愛を感じない、その事がすでに異常事態なのですが、それがよりにもよって関先生!

 私はしいちゃまを心から信じています。しいちゃまは私の価値基準です。しいちゃまが白と言えば白、黒と言えば黒。たとえ毒のない玉木を描こうとも(あれでせいいっぱいなのはわかってます)たとえ崩れ顔のおんぷちゃんを描こうとも(実は歓迎)文句はいいません。でも愛のない関先生を描くなんて、それだけはご勘弁ください。

 でも考えてみれば… 長いことファンやってますが、しいちゃまのマンガに出てくる先生って、どれもこれも印象薄いんですよね。『夢のびんづめいかが?』のひな子先生がほとんど唯一の例外といっていいくらいで。つまり関先生に限ったことではないのです。何事につけ偏見を持たないしいちゃまとしては珍しいことですが。

 なのになぜか西澤先生のほうはソツなくかいてくれてるんです。もうわけわかりませ~ん! そりゃ西澤センセもいいけど、まずは担任でしょ、関先生でしょ。
 さらに… 言葉にするのもおぞましいですが… マンガにはゆき先生は全く登場しません!
 ページ数が足りないのはわかるのですが、ならばなぜ西澤先生(以下同)
 こんな事バラすとただでさえコミックスを敬遠してるアニメファンがますます…
 こんな辺境まで彼らが来ることはまずないでしょうが、先生の弱点を暴露してしまった自分がうらめしい。
 それでも思ったこと言ってしまうんですよね。たぶんこれからも。


「しいちゃまがいっぱい!」

 ネットを散策していると、いろんな「たかなししずえ」さんに出会えます。
たかなし@しずえ
たかなし◇しずえ
たかなし▽しずえ
たかなし◎しずえ
たかなし☆しずえ
たかなし□しずえ
たかなし=しずえ
たかなし?oしずえ
そんな「たかなししずえ」さんはいません!!
 よくもまあ、これだけいろいろと思いつくものです。
 私の弟でさえ、メールで堂々と
" たかなし%しずえ 版のどれみを読みました。"
 ありがとう。また一つ私の「たかなしコレクション」が増えたよ(いらんて)。
 ひどいことに「なかよし」公式サイトデジなかでさえ、たかなし▽しずえ でした(今は改善されましたが)
 まったくどいつもこいつも、どっちもどっちも!

JIS規格って知ってるかい?
昔、どっかのお偉いさんがたがこしらえたっていうぜ


 ハートマークというのは「機種依存文字」なんだそうで。要するに規格外。うしろからバッサリです。
 そうです、これを規格した連中はコンピュータに日本語を授けるその時に、を、を捨てたのです。
 コンピュータにハートは不要だといわんばかりに。20世紀における人類最大の愚行といっていいでしょう。

 私がたかなししずえさんのことを「しいちゃま」とよぶのも、
 ひとつにはこのへっぽこJIS規格のためでもあります。
 「たかなし先生」じゃ、ちょっと堅苦しいし、
 かといって「たかなし・しずえ」では、あんまりにもあんまりです。
 たかなししずえというペンネームは、名が体を表した、とてもお似合いの名前だと思います。
 だからこそ、ハートマークにこだわりたい。
 とにかくこのへっぽこJISの現状はすみやかに改善していただきたいものです。

本音ポロリ

 「なかよし」連載の『かみちゃまかりん』(コゲどんぼ)を読んでふと思うのですが…

「 『おジャ魔女どれみ』のコミックス、この人でもよかったかな~、なんて」

ああ~私がそんな事言ってど~する~!

でも言ってちょっとすっきりした(ちょっとだけね)。コゲどんぼ先生は才能あると思います。がんばれ! 

なぜ『ジャムおじさん』なのか?

 講談社から「なかよし読みきり傑作選1976~80」という文庫本が出ています。当時の新人マンガ家たちの初々しい短編がおさめられた、とても好感のもてる本です。で、その中にしいちゃまの『ジャムおじさんのいぬ』も入っているのですが…
 私がこれ買って一番最初に思ったのは「なんで『鈴ちゃん』じゃなくて『ジャムおじさん』なの!?」
 『スパンク』以前にかかれた読み切り作品の中で、一番のものは? と聞かれたら私は迷わず『ぼくの鈴ちゃん』と答えます。秀作であるだけでなく、動物が活躍するという点でも実にしいちゃまらしい作品です。たったひとつの作品でしいちゃまの魅力を味わってもらうなら、『鈴ちゃん』以外に選択の余地はないはずです。
 でも、よくよく考えてみたら『鈴ちゃん』じゃ駄目なんです。『鈴ちゃん』は短編というより中編。一冊の文庫本で多くのマンガ家の魅力を伝えるためには、『鈴ちゃん』は大作すぎるのです。というわけで次善の作品を選ぶとなると… これが意外に難しい。
 たとえば『ポケットいっぱいの夢』などは実にかわいらしい魅力あふれる小品ですが、残念なことに動物が活躍する話とはいえない。出てくるにはくるのですが。しいちゃまの初期の作品って意外なことにあまり動物の活躍する話が少ないのですよ。その中で選ぶとなると、やっぱり『ジャムおじさん』ということになります。これがベストというより、これしかないという感じで。
 この文庫本を編集した人は、かなりの眼力を持った人だとみました。ひょっとしたらしいちゃまのファンなのかもしれませんね。私はしいちゃま以外のマンガ家さんには詳しくないのですが、他の作品もファンが見れば「なるほど」とうなる選択がされてるのかもしれません。そこんとこ、ちょっと気になるところです。

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